【自分史】②人の目が気になりまくる、中学校時代
こんにちは、早水俊介です。
前回から自分史を書き始めました。
書き始めると、こんなことあったな〜やこういうのも印象的だったな〜と
思い出すことも多く、何を書こうか逆に迷うほどでした。笑
数回に分けて書いていくので、読んでいただけたら嬉しいです。
ちなみに前回の記事はこちらです。
期待と不安でいっぱいの中学時代
祖父母の家に通っていた小学校時代を経て、地元の中学校に進学しました。
当時は学区の関係で2つの中学校に分かれる、もしくは私立中学校に行くルートだったので、仲が良かった友達とも離れることに。
ただその分、新しい友達もできるのかなと期待もいっぱいの入学式だったのを覚えています。
そんなこんなで通うことになった、地元の中学校は割と不良がいる中学校でした。
成長期ということもあってか3年生の人がすごく大きく見えていました。
自分もこんな感じになるのか、、、、と思う時もありましたが、
結局身長が劇的に伸びることも不良になることもなかったです。笑
部活動は小学校に引き続き、サッカー部に入ります。
この時の顧問の先生がすごく良い人で、人として尊敬できるなと感じたのは家族以外に初めてでした!
そこから自分の将来の夢が先生になります!
(ただ高校生の時に一般企業に入社することに切り替わります!笑)
先輩もカッコよく、上下関係もしっかりしており、部活も勉強も楽しみながら過ごしたのが中学校時代です。
兄が不登校になる
そんな順風満帆な中学時代を過ごす自分には学年で4つ上の兄がいます。
すごく明るく、友達も多い印象でたまに喧嘩をする兄でした。
口喧嘩した後に寝転んでいる自分の顔を蹴飛ばされたこともありますが、今となってはそれも良い思い出です。笑
そんな元気な兄が急に学校に行かなくなりました。
自分も母親も何が原因かがわからず、兄もはっきりとは理由を言いません。
あんなに元気で明るい兄が不登校になるのか、、、
家でずっと寝ている兄を見て、
漠然とこういった人にならないようにしようと、兄を反面教師にするようにもなりました。
兄は元々明るかった分、友達からも
「最近お兄ちゃんどうしたの〜?」と聞かれることも増えました。
ただあんまり触れないでほしいなあと思っていたのが本心です。
母子家庭のこともそうですが、自分の中でまた一つ、家族のことを話したくないなあという感情が生まれます。
そのため自分のことを聞かれると話を逸らすようになったり、話して気まずくなるのが嫌で人の顔色を伺うようにもなっていきました。
その影響もあってか当時は人の目を見て話すのも緊張するほどでした。
多分そんなことはないのですが、
“目を見られていること=何か訴えかけられている“
という凄まじい被害妄想をしていたのです。笑
ですが、今は目を見て話すことが大好きです!!笑
もし目を離していたらいじってください!笑
〇〇に目覚める!
そんなある日のことです。
何をしたかは覚えてないのですが、クラスでいじられることがありました。
いじめではない、自分発信でちょっとしたことだったのですが、クラスのみんなから笑いが生まれたのです。
そういったことが数回あり、
“いじられる、笑いが生まれる=喜んでもらえるのか“
という発想になりました。
家族のことを聞かれるのが苦手で、家にいるのもあんまり楽しくないなあと感じていた時でもあったので、必要とされている感覚を味わいました。
そこからはいじられキャラルートを歩んでいきます。
いじられキャラに目覚めつつ、テスト勉強は頑張る少年でもありました。
“他の人に迷惑をかけてはいけない“
そういう教育方針だった母も
テストで良い点を取ると、すごく喜んでくれたのが印象に残っています。
良い点を取ると周りの生徒からもすごいねと言われることも増えていきます。
そこから、良い成績を取ることは価値があることなんだ、、となりました。
高校時代へ
そういった背景から内申点を取って周りから評価されるようになろうと思って、生徒会執行役員をやることに。
生徒会活動を通じて色々経験できたことは楽しかったですし、
部活でも副部長になり、チームを支えていくことも学ぶことができた中学時代です。
それだけ内申点を取るのに頑張ってたおかげで高校は推薦入試で合格しました。
様々な経験をした、この中学生の経験は高校大学、新卒に至るまでに分岐点になる時期だったなと感じます。
長くなってきたので今回はここまでにします。
今回も読んでいただき、ありがとうございました。
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