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第一話 2011年3月11日 東日本大震災発生


 東日本大震災が発生した当時、僕は大学3年生だった。
携帯の電波もなくなり、電車も止まり、東京は混乱状態となった。
約5時間かけて歩いて家に帰り、テレビをつけた時、
初めて東北に津波が来たことを知った。

悲鳴、津波に追われる人々、テレビのアナウンサーの声。
「町が消滅しました。」

当時のSNSでは、
「これは専門家に任せるべきで、支援を一般人がすべきでない。」
「大学生ができることは募金、献血、節電だけだ。余計なことはするな。」
そういう風潮となっていた。

「いやいや、俺ら大学生にだってもっとできることがあるはずだ!
助けを求めている人が多くいるんだ、なんとか力になることをしよう!」

そんな思いから、震災翌日の深夜から友人6人と
団体設立に向けて動き出した。
また、北海道、名古屋、関西、四国の友人に電話すると、彼らも団体を作り、動き出していた。心強かった。涙がでた。
こんなにもたくさんの仲間が一緒に動いている。
何でもできると思った。

3月13日早朝、復興支援団体SETを設立した。
設立と同時に多くの仲間がかけつけてくれた。
本当に心強かった。

最初、SNS上で激しく叩かれた。いわゆる炎上というやつだ。
「学生に何が出来る?」
「おとなしく家にいろ!」
「どうせなにもできないんだから。」
「どうせ自己満足だろ。吐き気する。」

たしかにこの時期に人を集めての活動は、リスクが高かったのだろう。
責任もとれない。
そして僕たち自身、
何をするべきなのかまったくわかっていなかった。
だけど、僕たちの衝動を止めることができるものではなかった。
何より、
「助けを求めている人がいる中で、行動しないことが善」
だとはどうしても思えなかった。
行動しなければ何も変わらないのだから。

だけど、何からすればいいのか分からなかった。
何時間も寝ずにメンバーで話し合った。
それでも、被災された方々に何一つ届けられていない。
こうやって話している間にも苦しんでいる方がいる。
そして不眠不休で作業している中、
テレビから伝えられる、
増え続ける死者数と行方不明者数。
焦りが増していった。

(続く)

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