言語化することの価値

日常生活を普通に生きているとふと気になったことや感じたことをそのままにしておくことがある。

なぜそう感じたか、具体的にどんな気持ちになったのかを考えずにベットに入りすぐに寝てしまう。
ただこのように自分の気持ちをしっかり理解できていないと、自分が何をしたいのか、何が嫌で何が好きか、知らない状態になってしまう。

自分を理解できなければ人生を楽しむために何をすれば良いのかもわからずに、いつまでもいつまでの他の人の人生を羨ましがったり、よくわからない占いや宗教、インフルエンサーを信じるようになってしまう。

まあそういったものに盲信的に信じて、その道を極めるのもある種幸せなんだなあ、とも思うけれども、その信仰がなくなったときに今までやっていたことが無駄に感じてしまう。

だからこそ誰かの考えではなく、自分がどんな考えを持っているか理解した上で、どうやって自己実現をするかを考えられるかがすごく重要になってくる。

1000年前のように価値観が皆同じで、みんなが同じ目標に向かって進む時代から科学、ITの進歩により価値観が多様化した今、どれだけ自分が持っている価値観を理解できており、アップデートできるかどうかが鍵になってくる。

そのためにも日常的に起こることをより解像度高く捉えたり、その要因や理由を考えることで、行動のモチベーションを捉えることが必要である。
ただその場でふと考えるだけでは頭にも残らず、知識と知識を繋げることが出来ないので、ただ考えただけになってしまう。

しかし不思議なことにその時感じたことを文章にまとめると、その時の記憶や感情、思考などを明確に指し示すことができ、かつ自分の今後の指標にすることができる。

だからこそメモなり、ブログなりで自分の思考を言語化することにはすごく価値があることだし、発信力をつける以上のリターンがあることは間違いない。

IQが高い人であればその場で考えることですぐに答えを出せるが、そんな天才的な人でない限りは、日常を観察し、自分の価値観をストックし、今後の行動を最適化できるか否かにかかってくる。

なので周りの言動に気遣いすぎることなく、自分の気持ち、価値観、行動に目を向けて、根本のモチベーションを把握し何をするか決めることが、価値観が多様化した現代に最も必要になってくることなのかもしれない。

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