Y談

 新年早々、懐かしい人からメッセージが届いた。その人は小学校3年生の頃、転校してまだ学校に馴染めなかった私を何かと気に掛けてくれた男の子の彼だった。自惚れの記憶でなければ、お互いに好意を寄せていたと思う。ところが翌年、今度は彼が転校してしまい、疎遠になってしまう。けれど、手紙のやり取りから、互いに携帯を持つようになってからは電話番号やメールアドレスを交換し、今日まで連絡手段が保たれていたのだった。

 本来なら久しぶりの思い出の彼からの連絡に心が弾むはずなのに、何故だか嫌な予感がしていた。心当たりが全くなく、原因が思い出せない。しかし、このような予感というのは大抵は当たるものなのだ。そのため、暫く連絡を返さないでいたのだが、明確な理由がないのに無視をし続けるのは失礼だと思い直し、連絡を返したのだった。

 「さいきん元気?」とか「いまどこに住んでいるの?」といった当たり障りのない話をして、彼からの本題を待つことにした。一体この嫌な予感の正体は何者であるか。彼から切り出された本題の一言目がメッセージに表示されたとき、私は在りし日の苦い記憶を呼び戻されることになった。

 「ねえ、ずーっと昔にエロ話したの覚えてる?」

 そう、彼は、私の知らない時間と土地で、とんでもなくY談好きなしょうもない男になっていたのだった。高校生の頃に連絡を取っていたとき、当時付き合っていた彼氏との卑猥な話を聞かれ、それ以降、距離を置いていたことをすっかり忘れていたのだ。いくらなんでも当時の会話の内容は思い出せないので、ごめんね記憶がないの(そもそも云十年前のY談を覚えている方がどうかと思うのだが)といって話題から逃れようとしているのに、「そかそか!当時彼が狼で…それって事実?」なんて追撃してくるものだがら、あまりの恐怖に、即ブロックと連絡先の削除をしたのだった。

 お年頃の高校生ならまだしも、Y談の続きを、同じようなテンションで27,8にもなってされるとは思わなかった。Y談をしたためすぎではなかろうか。おまけに狼という幼い表現にも寒気がしてしまう。

 思い出は掘り起こさず、綺麗なままであったほうが良いこともあることを、改めて思い知ったのだった。さようなら、かつて私を助けてくれた男の子、さようなら、Y談男。

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