【日記1】子の文化祭を見に行った。
子どもの文化祭に行ったんですよ。
ちょっとね、うるっときちゃいました。
いや、うちの子がなんか出てたとかではまったくないんです。
文化部の子たちの舞台発表を見たんですけど、歓声のあるライブってなんて素晴らしいんでしょう。
コロナ禍で歓声の出せないライブに何度も行っているから、声援を送って応援している空間が新鮮でたまらない。
ああ、生のライブっていいよなぁ。
しかも、フィナーレにやられた。
個人情報もあるので詳しくはかけないけれど、あれは反則だわ。
あれ、絶対うるっとしてる先生いたと思うわ。コロナ禍でここまで従来に近い形に戻して文化祭を開催できたのはすごい。先生たちにも子どもたちにもお礼を言いたい。
ただ、このフィナーレ、体育祭とセットで見て始めて「うるっと」さがわかるやつで、しかも体育祭の最後の最後まで観戦してないとわからないやつなので、見に来てた保護者の中でどのくらいの人が「うるっと」したかはわからない。うるっとできた自分はラッキーだったのかも。
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「感動」って感情が動くと書くけど、感情って気持ちだけじゃなくって。
目で見て、耳で聞く。鼻で匂いを、舌で味を、肌で空気を感じる。1つの感覚だけで感じたものよりも、2つの感覚で感じたほうがだんぜん体験の「厚み」が変わってくるのよね。
だから私は子供の行事にも割と足を運んでいる。
と、子ども絡みの関係でない知人に言うと「へー、そういうタイプなんだ!?意外ーー」と返されることがあるんだけど、たぶんそれはちょっと勘違いしてる。行事に足を運ぶのは、子の成長を見たいというよりも、子の経験をリアルに体感したいからといったほうがしっくりくる。
上の子には「文化祭なんて(下の子が出てるわけじゃないし)見に行って楽しいの?」なんて言われたけど。
もちろんわが子だったらもっと楽しいだろうけれど、知らない子の演奏でもリアルで聴くのも十分楽しかったし、それを聴いて盛り上がっている生徒を見るのだって楽しかった。「いやあ、青春っていいなぁ」と勝手に子どもたちに思いを馳せることも自由にできるんだから。
まあ、当の子どもたちはきっと数年もすれば、「中学校の文化祭?出店楽しかったよねぇ。あ、それ高校か!?中学の時ってどんなだったっけ??」とかなっちゃったりするんだろうな。
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人生の半分を過ぎてしまったおばちゃんからしてみれば、「こんなキラキラした思い出を忘れちゃうなんて!」と思っちゃうけど、当人たちからすれば通過点なんだろうな。
おばちゃんはもうキラキラした体験を自らすることがなかなか難しいので、これからもイベントの疑似体験させてもらおうと思っています笑。
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