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Mr.Childrenの歌詞で振り返る平成三十年史 1990年代編

 「平成」が終わり「令和」が始まって1年と半年が経とうとしています。転換期の前後は多くのテレビ番組や雑誌・ネット界隈が、平成をどんな時代だったかを振り返り、令和という新しい時代に託す願いを個人・団体が妙にしみじみと語っていました。それだけ「元号」というものが日本人の意識に根付いて、独自の「時代の区切り」として丁度良いのでしょう。かくいう僕も何か特定の視点で平成という時代を辿ってみようとしました。そこで、タイトルにもお書きした通り、平成時代に日本の音楽界の頂点に居続けたバンド「Mr.Children」の曲の歌詞から、当時の世相が反映されていたりアーカイブ的要素を持つワードをピックアップしていこうと思います。今回はMr.Childrenがデビューした1992年から1999年のお話です。

1992(平成4)年~1994(平成6)年

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 Mr.Children(以下ミスチル)は1992年にアルバム『EVERYTHING』でメジャーデビューを果たしました。いきなり大ヒットという訳には行きませんでしたが、じっくりと且つ着実に知名度を増やし、1993年9月までにシングルを3作、アルバムを(EVERYTHINGを含めて)3作発表しました。初期のミスチルは人間関係、取り分け恋に関するテーマを主軸に、多様な視点・想いを純朴な歌詞に込めていました。アルバム3作目『versus』に収録された「my life」にはこんな歌詞があります。

62円の値打ちしかないの? 僕のラブレター読んだのなら
返事ぐらいくれてもいいのに
(「my life」より)

 62円は1993年当時の第一種定形郵便の料金です。郵便料金に対して自分の手紙の「値打ち」と感じてしまうというネガティブな発想を、全体として物憂げな気持ちを表現しているこの曲の歌い出しにしている事が本当に素晴らしいです。当時流行したポケベルは長文や大切なお話を伝えるには不向きで、携帯電話の国内普及率は1%台という当時、一対一の秘密のやり取りをするのに、直筆でしたためたラブレターにはまだまだ価値のある時代でした。
 第一種定形郵便ですから、要は封筒に入れた手紙のことになります。相手への想いを文章に込め、投函し、届く。電話やメールとはかかる時間が全く違います。歌うとすぐに終わってしまいますが、恐らく来ないであろう返事を待つ悲しさと焦燥感は今の感覚ではなかなか計れないでしょう。山下達郎さんの「クリスマスイブ」が流れるJR東海のCMに象徴されるような「古き良き恋愛」が見られるのは、この頃が最後だったのかもしれません。ちなみに62円というキリの悪さは、1989(平成元)年より導入された3%の消費税の影響ですね。

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 1994年には大ヒットシングル「Cross Road」や「innocent world」を収録したアルバム『Atomic Heart』が発売されます。これは今でもミスチルのアルバム史上最大の売上枚数を記録し、全アーティストを含めた歴代アルバム売上ランキングの1位(当時)に躍りました。その中の「雨のち晴れ」という曲は、とある若いサラリーマンの日常をコミカルながらも鋭く描いています。歌詞にあるエピソードはドラムの鈴木英哉さんをモデルにした架空のものですが、「不景気(バブル崩壊後の長い平成不況)のあおりを受けて緊迫している社内ムード」・「『生きているうちに孫を抱きたい』を母親に言われ、いい娘は探したいけど...」といった箇所は胸に刺さります。景気も悪く、女性とも別れ、新たな出会いもなく淡々と過ぎていく毎日。今から26年前の曲ですが、そんな男性は今も多くいることでしょう。

1996(平成8)年~1997(平成9)年 『深海』と『BOLERO』

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 この時期は、簡単に言えば「混沌と混迷の時代」です。1996年に発表されたアルバム『深海』はミスチル最大の異色作として知られ、これ以降ミスチルの曲には鋭い社会批判や世相の表現が度々登場します。『深海』からはこちらの曲をテーマにします。

駄目な日本の情勢を 社会派は問う
短命すぎた首相を 嘆くTV BLUES
(「So Let's Get Truth」より)
あのニュースキャスターが人類を代弁して喋る
「また核実験をするなんて一体どういうつもり?」

宗教も化学もUFOも信じれるから悲惨で
(いずれも「マシンガンをぶっ放せ」より)

 「So Let's Get Truth」は小汚い都会・社会情勢・人々の様子を見て将来を憂う何処か厭世的な香りがし、力の抜けた歌い方は桑田佳祐さんを彷彿とさせます。「マシンガンをぶっ放せ」は後にシングルカットされた曲ですが、当時の混沌として先の見えない社会をシャープに抉っています。「マシンガンをぶっ放せ」のカップリング曲である「旅人」も、歌詞はやや抽象的な表現になりますが、余裕の無くなってしまった社会を生きる人々への諦観ともエールとも取れる曲となっています。
 1995年に阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生し、政局はといえば数々の疑獄やスキャンダルで自民党が失墜する中で55年体制が崩壊し、政党分立、内閣も多政党連立といった様相を呈していました。特に1994年に首相に就任した羽田孜さんは僅か2か月で退陣し、頼りない政治家達にテレビを始めマスコミは呆れ、嘆いていました。長引く不況も相まって、社会不安は拡大を続けていたのです。
 世界に目を向ければ、1995年にフランスが世界中の反対の声を押し切ってポリネシアにて核実験を行い、時代錯誤なこの行動にフランス政府は当然国際的な非難を浴びました。こうした醸成された雰囲気が、一部テレビ番組では「問題作」と評されるアルバム『深海』を作り上げる大きな要因となりました。
 加えて、このアルバムの「シーラカンス」という曲には「この現代に渦巻くメガやビットの海」という詞があります。ミスチルと同じ小林武史さんプロデュースのMy little lover「ALICE」(1995年)という曲にも「世界中に広がっていくネットワーク」という言葉があります。1995年にWindows 95が発売され、インターネットの普及はまだ先の話ですが、段々と世界中の情報を知り、知ってもらえるようになっていった時代でもありました。

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 1997年に発売された『BOLERO』は、『深海』で表現された社会批判がさらに加速されています。ミスチルというバンドも、CDを出せば飛ぶように売れ、地位も名誉も手にし、名実共に日本のトップアーティストとなっていきました。ただ、そうした立場にいることでしか分からない、気持ちの中での規範の弛緩があったでしょうし、音楽を通して自分たちのやりたい事は何なのか?と自問自答を繰り返していたと云います。

凌ぎを削って企業は先を競う
一般市民と 平凡な大衆よ
さぁコマーシャルに酔って踊ってくれ...

資本主義にのっとり 心をほっぽり 虚栄の我が日本です
(いずれも「傘の下の君に告ぐ」より)

 他にもこの曲「傘の下の君に告ぐ」は資本主義を否定するような表現が散りばめられています。別に桜井さんがコミュニスト(共産主義者)という訳ではありませんが、テレビでも何でも本質である「面白さ」や「文化的価値」を追求するよりも金儲け優先主義、コマーシャリズムに陥っていて忙しなく騒々しい当時の世の中に嫌気が刺したのでしょうか。景気が良くならない中、何を作るにしても物の良さより金銭的対価を求められる、そんな風潮は今も変わりません。ちなみに、曲名の「傘」とは在日アメリカ軍の傘という意味です。

 人々の生活はどうかというと、少年少女の非行が社会問題化していました。ポケベルや携帯電話が普及し、未成年が親の目を盗んで芳しくない行為を行うことが容易になっていたのです。

娘は学校フケてデートクラブ 
で、家に帰りゃ またおりこうさん
可憐な少女 演じてる
(「everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-」より)
恋の名の元に 少女は身を売り
プライドを捨てブランドを纏った
(「タイムマシーンに乗って」より)

 「everybody goes」はシングルとして1994年に発売されたものですが、その頃から中高年男性と未成年の少女が肉体関係を持ったり金銭授受をする所謂デートクラブ・パパ活が流行り始めました。「援助交際」が流行語大賞にノミネートされたのは1996年のことです。勿論これらが当時の男女関係に関する全てではありませんが、ミスチル初期に描かれていたような、純朴な恋愛模様はどこ吹く風・・・といった感です。
 このようにミクロでもマクロでも「不安」が漂っていたこの時期、また1つの歌詞を借りて表現するならば「何が起きても変じゃない そんな時代さ」(『【es】〜Theme of es〜』より)、こう総括できるのではないでしょうか。こうしてミスチルは『BOLERO』を発表した直後、約1年半の活動休止をすることになります。

1998(平成10)年~1999(平成11)年 「世紀末」

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1998年にミスチルはシングル「終わりなき旅」で本格的に活動再開をすると、1999年に通算7枚目のアルバム『DISCOVERY』をリリースします。このタイトルは、活動休止中に発見したこと・気づいたことという意味も込められているそうです。そんな『DISCOVERY』の曲の中にはこのような歌詞があります。

何処かの国では宗教がらみの正義をめぐって しかけるプラスティックボム

テレビをつければバブルがはじけて 私腹を肥やして捕まる参議院議員
(いずれも「アンダーシャツ」より)

 1つ目の「宗教がらみの正義をめぐって」なされた紛争は、ユーゴスラビア紛争のことでしょうか。あるいは1998年のインドとパキスタンによる核実験競争でしょうか。悲しいことにそういった紛争は多くの地域で起こっているので、何か特定の出来事を指したものではないかもしれません。
 2つ目は、恐らく友部達夫元参議院議員のことを指しています。彼はオレンジ共済組合という共済団体の運営資金を私的流用(借金返済・選挙費用・スナックの利用など)し、出資法違反で1997年1月に逮捕されました。テレビで流れているニュースも、バブルがはじけてどこそこの企業が倒産した合併した、政治家がこんな悪行している・・・など、何だか憂鬱になる話題が多かったことでしょう。

ニュースは連日のように 崖っぷちの時代を写す
悲しみ 怒り 憎しみ 無造作に切り替えて行く
明日を生きる子供に 何をあたえりゃいい?
僕に出来るだろうか?
(「ラララ」より)

 そんな時代を桜井さんは「崖っぷちの時代」と表しました。「アンダーシャツ」で挙げた話題もそうですし、世紀末というのは世の中退廃的になるのが常なのか、神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件,1997年)や栃木女性教師刺殺事件(1998年1月)と未成年を中心とした凶悪事件が多発し、「キレる」という言葉が世間に定着しました。どこを見ても悲しみ・怒り・憎しみが付着していて、「無造作に切り替えていく」という言い方に、それらの出来事さえ消費物と見做しているマスコミへの皮肉も感じ取れます。
 後半の2行は個人的な話になりますが、この「ラララ」という曲が発表されたのが1999年で、歌詞中の「明日を生きる子供」とは丁度僕のような1995年生まれ(やその前後生まれ)の世代なのです。親世代から何を与えられたかは人それぞれでしょうが、このような時代に僕は幼少期を過ごしていたんだと実感できるフレーズです。

 ミスチルは1999年5月に17枚目のシングル「I’LL BE」を発売します。『DISCOVERY』からアレンジを大幅に変更したシングルカットですが、この作品はミスチルが1994年のブレイク以降、最も売上枚数が振るわないシングル(累計30万枚)となりました。R&Bや椎名林檎さん、aikoさんが時の音楽となり、ビジュアル系バンドや小室系と共に「終わった」という烙印を押されてしまいました。
 ただミスチルは2000年に見事に復活を果たし、そして新しい世紀、新時代を迎えることになります。続きは2000年代編をご覧下さい。


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