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殺人の凶器は紙のファックス!? 小説 「ファックスの終りとオフデューティ・マーダーケース」(5)

 土田は金子とはやや趣の異なる男だった。
 特にセットもされていない黒髪に、着古された灰色のパーカーという出立ちで、垢抜けない大学生のような雰囲気を漂わせている。
「この度はご友人を亡くされて、お悔やみ申し上げます」
「まあ、日下とはだいぶ古い付き合いですね」
 素っ気ない反応だった。それから稲塚は、金子にしたのと同様に今朝からの行動を訊ねると、事件発生時は民宿の裏でタバコを吸っていたという答えが返ってきた。この民宿の建物内は禁煙で、裏手に喫煙所が設けられている。三人揃って汐路屋に戻ったあと、部屋でテレビを見ていた日下を尻目に喫煙所へ出て、結局そのまま建物の外に一時間近くいたらしい。だから大騒ぎになるまで、何も気づかなかったのだという。
「ずっと裏手にいたんですか?」と、稲塚。
「暇すぎて。庭を眺めながらぼーっとしてたっていうか」
「まあ雨の音ってリラックスできますよね」
「刑事さんも、わかります?」
 稲塚は「ええ」とだけ応えて次の質問に移った。
「詳しいことはまだ調べている最中ですが、死因はファックスだと思われます。何か心当たることはありませんか」
「あいつがなんでそんな物を持ってたのか……俺が聞きたいくらいですよ。誤作動でも起こしたんですか?」
 稲塚は「これから捜査するので、まだ今はなんとも」と釈明しながら、土田の受け答えをそっとメモした。

 高尾からの電話が鳴ったのは、土田の聴取を終えて稲塚がロビーで一人きりになったときだった。
「やはり所轄からクレーム。あなたは捜査から外れなさい。そもそも休暇中でしょう」
「ですが係長、不慣れな駐在の巡査が一人の離島なんですよ」
「クレームは方面本部経由で来てるから、いくらなんでも無理。明日には天候も回復するから、所轄の捜査員が行って聴取もやり直す予定なんですって。ほかにファックスがある様子も無いと言ったのは稲塚でしょう? そのまま所轄に任せなさい」
 電話が切れたあと、稲塚にはあたりがやけに静かに感じられた。
 遅れて、外で続く雨と風の音が微かに聞こえてきた。

 駐在所のパトカーで稲塚を迎えに来た木内に、稲塚は捜査から外れなければならなくなったことを告げた。上からの指示で、と。
 そのことは木内もすでに耳にしていたらしく、申し訳なさそうにする若き駐在に対し、稲塚は「こちらこそ勝手をし過ぎた」と詫びた。
 実際、木内に何かを言って変わることでもなかった。稲塚は道中、聴取の内容をパトカーの助手席から説明した。

 ゆおくり荘に戻ると、豪華な夕食に出迎えられた。
 旬の刺身の盛り合わせ。金目鯛の煮付け。名物だという明日葉の天ぷら。部屋で料理を並べるゆおくり荘の主人にそれとなく訊ねると、ゆおくり荘の今夜の客は稲塚一人らしい。
 やはり観光のオフシーズン、ということなのだろう。
「もしかして、明日も色々お忙しいんですか」
 遠慮がちに訊く主人に、稲塚は捜査からは外されてしまったことを正直に説明した。他所者には変わりないからと。
「そうですか……。それじゃあお帰りは、確か明日の高速船でしたね」
「ええ。午後の便です」
 稲塚の手はすでにグラスに伸びている。休暇中の身に戻ることができた一方で、胸中は複雑だった。
「ちょうどよかった。いや実はね、せっかくご旅行でいらしたのに、こんなことになってしまって、島民として申し訳ないなと思っていたんです」
「そんな。あなたの責任じゃありませんよ」
 笑って応える稲塚。
「それで、私の弟が隣の戸屋島で島焼酎の蒸溜所をやってるんですけど、明日の午前中、よかったら見学と試飲なんてどうですか? ちなみにそれも、弟のところの酒です」
 稲塚は手の中のグラスに目を向けた。甘い香りが口に残る、芋焼酎のロック。
 悪くない誘いだった。

 弓奥利島の名物の一つ、温泉。
 稲塚はゆおくり荘の浴室で、頭を湯船の縁に乗せ、一人湯に浸かっていた。
 実は島自体も火山の産物なのだという。港にあった旅行客向けの案内看板には、そう書いてあった。また看板には、また島名の由来についての解説もあり、曰く、鎌倉時代にこの島へ流刑にされた貴族が再起を図るため、支援者に弓や矢を送らせたという逸話に由来するらしい。つまり、弓送り・・・が変化して弓奥利になったのだと。
 湯船の中で考える。
 休暇中に事件に巻き込まれたことは不本意だったが、捜査をするなと言われると、それはそれで納得がいかなかった。しかも、島の若い駐在は明らかに不慣れときている。
 往々にして時間は犯人に味方する。証拠は隠滅され、逃亡の猶予も与えてしまう。
 遺体を発見した部屋の様子。ファックスが入っていたとされる、被害者のリュックサック。そしてその中身。部屋の中に争った形跡が一切見当たらなかったこと。光景の一つひとつを稲塚は脳裏に思い浮かべる。
 問題は、誰が密造ファックスを被害者のリュックに仕込んだか。
 送信側が被害者の手元になかった以上、自殺の可能性は消える。聴取で聞いた内容を信じる限りでは、物音がするまで誰も被害者には近付いていないようだが、誰かが嘘をついていればその限りではない。
 もっと前の時点で、ファックスがリュックに仕込まれた可能性はないだろうか。昨日のうちか、あるいは島へ向かうフェリーの上で。それかもっと以前、フェリーが出港する前は……。
 ただ殺害したい相手の近くに隠しておけばいいというのは、凶器としてのファックスの厄介な特徴だった。わざわざ飲ませる必要のない毒物のようなものだ。
 やがて、稲塚はある可能性にたどり着き、風呂から上がった。

 部屋から電話をかけると、相手はすぐに出た。
「稲塚か。なんだか大変らしいな。さっき課長が方面本部に呼び出されてたぞ」
 早口な男の喋り声。隅田すみだは稲塚と同じ係の同僚で、入庁したのも同じ年だった。
「悪いがちょっと調べ物を頼みたい。もちろん、すぐにわかる範囲で構わないし、お前や上司に迷惑をかけたくもない」
「下手に関わると、迷惑を被りかねないってわけか。そもそも何があった?」
 稲塚は前もって整理しておいたとおり、休暇中に殺人事件に遭遇したことと、その初動捜査に加わった経緯を説明し、そして本題を切り出した。
「被害者と参考人について調べてみて欲しい。動機に繋がりそうな情報があれば、殺人のヤマが早々に一つ解決するかもしれない」
 そして稲塚は被害者である日下と、その同行者である金子と土田の身元を伝えた。隅田は数秒間考え込んでから、稲塚に答えた。
「ちょうど西葛西の事件で科捜研からの報告待ちだ。そのあいだに照会だけしといてやる。成果があれば、あとで折り返す」
「わかった。恩に切る」
 電話を切った稲塚は、急に手持ち無沙汰な感覚に襲われた。
 部屋のカーテンの隙間から覗くと、窓の外は一面の闇だった。島の夜は思っていたより暗いらしい。
 部屋のテレビをつけてみる。
 夜九時のニュースが、明日の天気予報を伝えていた。気象予報士が週間予報まで説明し終えると、次は〈あの者たち〉の母船の位置情報。明日は日本列島の近くにはいない見込みで、見上げても見えないでしょう。〈あの者たち〉の来訪以降、当たり前になったものの一つだ。
 今からおよそ二十五年前に起きた、〈あの者たち〉の地球来訪。その光景を、少年時代の稲塚は不安と好奇心をもって眺めていた。
 当時は誰もが、世界は一変すると信じていた。
 しかし〈あの者たち〉がファックスを使用した者の命を奪う以外何もしないせいで、次第に世界はあまり変化しないという見通しが優勢を占めるようになった。いつしか人々から、〈あの者たち〉への関心と警戒心も薄まっていった。
 長年地球の人々が夢想した地球外生命体。それが実在し、ついには地球に現れたというのに、空高くに留まって降りてこないせいでほとんど何もわからない。肉眼で目視できる位置にいるにもかかわらず、調べる手段もほとんどない。
〈あの者たち〉の来訪によって、むしろ地球人類の適応力の高さが浮き彫りになったといってもいい。
 そんな時代に自分は何ができるか考えて、稲塚はわかりやすく人の役に立つ人生を求めて、警察官になった。けれど初心に抱いた熱意は、月日の流れの中に、置いてきてしまったような気がする。ただ許せないのは、ファックスによる事件だった。ファックス事件を受けて現場に駆けつけた警官が、さらなるファックスの受信の犠牲になる——そんな光景を、稲塚は間近で目にしたことがあった。

(続く)


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