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殺人の凶器は紙のファックス!? 小説 「ファックスの終りとオフデューティ・マーダーケース」(3)

 およそ四半世紀前の〈あの者たち〉の来訪により、ファックスが危険な凶器と化したことを受けて、日本の警察にもファックス事件を専門に扱う部署が設置されていた。
 警視庁刑事部特定通信機器対策課——稲塚はそこに所属している。

「この島に医者は私一人しかいないんですよ。だから急病の旅行客にも、私ができる範囲で対応していて」
 ゆおくり荘の主人が運転する軽ワゴン車の後部座席に収まりながら、稲塚は隣に座る大月医師から経緯を聞いていた。
「それでこの先の汐路屋しおじやという民宿なんですが、客室から物音がしたのを聞いた従業員が、客室で倒れている男性の宿泊客を発見したそうです。この時点で完全に意識はなく、すぐに私のところに連絡が入りました」
 窓の外を見ると空は薄暗く、木々が風に揺れている。
「駆けつけた私が確認したときには、すでに心肺は停止。健康そうな成人が特に外傷も目立った特徴もなく死亡していたことから、島の駐在にも連絡を取りました」
 そして駐在が駆けつけると、亡くなった宿泊客のリュックサックの口が半開きで、中に黒い箱状の物が見えていたのだという。
「破壊、できているでしょうか?」
 そう言って医師は自身のスマートフォンを取り出して、一枚の写真を稲塚に見せた。畳の上に、黒いプラスチックの箱と、傷の目立つ古いスマートフォンが並んでいる。箱のほうは、中に銀色の機械部品と、切断された短いケーブル。
 通信モジュールに市販の電話を流用した、典型的な密造ファックスだ。
「そのスマホもプラスチックの箱の中に入っていて、箱は蓋がされた状態でリュックサックに入っていました。蓋を開け、ケーブルを切断したのは私です。往診バックにハサミなら入っていたので。
 それで稲塚さんには申し訳ないのですが、これが確実に破壊できているか、確認をしていただきたいんです。今、島の駐在が民宿を封鎖して、従業員やほかの宿泊客を避難させています」
「なるほど、そういうことですか……」
 現にこうして密造ファックスを見せられた以上、稲塚にとっても他人事とはいえなかった。本当に宿泊客の死因がファックスなら、どこかに送信した人物がいることになる。それに、ほかにもファックスがないという保証もない。
 遠隔という性質上、ファックス事件は第三者の犠牲が出やすい。事件を受けて駆けつけた警察官が、更なる受信で殉職することだってある。
 おまけに今夜は悪天候で、おそらく島から出られない。
「それにしても、お一人しか医師がいないとなると、何かと大変ですね。元々こちらで診療所を?」
「父のせいです。高齢なのに故郷から出たがらなくて。前にいた医師が引退して、この島が無医地区になると決まったとき、私が一時的に診療所を預かることを決めました。夫と息子を横浜に置いて来ましたが、来年には別の医師が赴任してくる予定です」
 島から出たがらないとは、かつての恩師の意外な一面だった。
 そもそも稲塚が今回弓奥利島を訪れたのは、上司から溜まった休暇を消化するよう言われて、それならかつての恩人にでも会いに行こうかと思いついたからだった。
 しかしその肝心の恩人が、旧友の葬儀とやらでちょうど島を離れることになり、旅行も一度は中止になりかけた。けれど恩人側からの強すぎる勧めで、稲塚は一人羽を伸ばしに島まで来ることになってしまった。島の民宿で一番の評判だというゆおくり荘にも、恩人の紹介のおかげで安く泊まれている。
「もうすぐ着きます」と、ハンドルを握るゆおくり荘の主人が言った。
「わかりました。一応私が現場を見てみましょう」
「助かります。警察の専門部署の方がたまたま島にいらしていて、幸運でした。父の予定が変わってお越しにならないかもしれないと聞いたときは、『せっかくだから観光だけでもしてもらったらいいのに』って、私言ったんですよ」
 大月医師は本気で安堵したような表情を浮かべていた。どうやら稲塚の無目的な旅行の成立にも、彼女は関与していたらしい。稲塚の表情は、対照的に困惑を深めた。

「ご苦労様です。戸屋島とやじま署の木内きうちです。失礼ですが、署を通じて照会させていただきました。本部の稲塚巡査部長ですね」
 軽ワゴンを降りた稲塚に駆け寄って来たのは、雨合羽を着た一人の制服警官だった。
特通トクツウ課の稲塚です。休暇中に偶然こちらを訪れていました」
 特定通信機器対策、略して特通トクツウ。稲塚はゆおくり荘を出るときに再び借りた傘を開く。
「来ていただいて助かります。なにせ、駐在一人しかいない田舎なもので」
 目の前の制服警官は、かなり若く見える男だった。稲塚より五、六歳年下といったところだろうか。おまけに喋り方がやけにハキハキとしている。それから、戸屋島といえばこの弓奥利島の隣に位置する島で、そういえば戸屋島署が二つの島を管轄していたのかと、稲塚は曖昧な記憶をたどった。
 そして彼の背後に見えるのが問題の民宿だろう。外観は稲塚の泊まっているゆおくり荘とも似ているが、こちらの方がやや大きい。
「民宿にいた人には、近くの海原ハウスという飲食店に避難してもらっています。まあ、ほんの数人ですが」
 道中は気がつかなかったが、汐路屋はあの魚拓が壁に貼られたカフェレストランからも近いらしい。
「わかりました。では現場でファックスの状態を確認させてください」
 そして車の中の二人にもしばらく待つよう伝えてから、建物へと足を向けた。
 玄関から入ると、目に飛び込んできたのはソファセットが置かれたロビーだった。その奥の廊下と階段は木製で、室内からは木材の香りが微かに感じられた。稲塚は後ろからついてくる木内に言われるまま、階段を二階へ上がる。
 そして木内の指示どおり、二階のとある部屋の扉を開けると、そこでは一人の男性が倒れていた。
 稲塚はその顔に見覚えがあった。
 同じフェリーで島を訪れ、今日の昼前に海原ハウスで見かけた三人組の中の一人。今はただ目を見開いて、絶命している。そして傍らには、写真で見せられたとおりの物——古いスマートフォンに、小さな黒いプラスチックの箱。
「現場保存は?」
「麻美先生がその機械を壊して、自分と一緒に部屋を出てからは、誰も入っていないはずです。車の音がするまで、自分が廊下にいました」
 駐在の話を聞きながら、稲塚は車内で大月医師から譲り受けた使い捨ての手袋をはめると、屈んで黒い箱を手に取った。100円均一ショップで売られていそうな質感。サイズは手のひら大。今はその中に銀色の装置が収まっている。
 典型的な密造ファックスだった。通信モジュールとして飛ばしの携帯電話をそのまま組み込んだ簡易的なものだが、日本の場合、闇で流通し犯罪に用いられているのはほとんどがこのタイプだ。用紙の排出もオミットされ、連続した受信もできない。
「やはり受信済みか……」
 稲塚が呟いた。木内が稲塚の肩越しに覗き込むと、稲塚が銀色の装置の中から、器用に数センチ四方の小さな紙を引き抜いていた。見ると紙には小さな黒点が印字されている。
「それは?」と、木内。
「ファックスがファックスたる所以」
 稲塚は顔を上げながらさらに言った。
「これでもう、このファックスが作動することはない」
 物理的な紙の原稿を画像として読み取り、電気的な信号に変換したうえで送信し、離れた場所で受信して紙に印刷するシステムがファックスとして認識される——〈あの者たち〉がファックスと認定する基準には、物理的な用紙の存在が不可欠だった。たとえ印刷されるのが、ほんの数センチの紙に小さな「・」一つでも。
 用紙がセットされるのは受信側で、どこかに別の送信側があるはずだ。殺人の凶器としてファックスは、一度目的を果たせればいいから、双方向に「原稿」を送ることまでは考えられていない。送信側では小さな紙の「原稿」を、最低限の装置でスキャンし電子化する。それを組み込まれたスマートフォンを経由して受信側に送り、受信側はやはり組み込まれたスマートフォンが受信した「原稿」をプリンター部に送り、最低限の紙に印刷。だからスマートフォンを含めても、この程度のサイズで装置は完結する。
 大月医師が切ったケーブルは、スマートフォンとプリンター部を繋いでいたもので、一応その時点でこのファックスは無力化されていた。稲塚がさらに紙を取り除いたのは、まれにスマートフォンとプリンター部がBluetoothなどの無線で接続されているファックスも存在するからで、要は銃に安全装置セイフティを掛けるだけでなく、弾自体を抜き取るようなものだ。ファックスの用紙は、まさに弾丸に相当する。
 こんなものが人の命を奪ったのだと考えると、あらためて稲塚は無性に腹が立ってきた。
 第一、ファックスを禁止したところで、〈あの者たち〉が言うような地球人類の文明の向上など起きたのだろうか? 稲塚の身の回りでも、いまだに社会の人々はわざわざ紙の書類へ判子を押したり、無駄な会議のための無駄な資料作りに追われていたりする。
 稲塚は床から立ち上がると、改めて室内の様子を見回した。稲塚が泊まっている部屋とも大差はないが、比べるとやや狭く、全体的に年季が入っている。そして争った痕跡はない。民宿の従業員が聞いたという物音は、絶命した被害者が床に倒れ込んだときのものだろう。
「誰かが押し入った可能性は排除していいな」
 そう言った稲塚に木内が訊ねる。
「そうなると、自殺の可能性ですか」
「送信側が出てきてない以上、その線も考えにくい」
 ファックスが入っていたという、被害者のリュックサックも覗いてみる。稲塚がリュックの口を開けると、真っ先に出てきたのはあの海原ハウスのコースターだった。魚拓と店名があしらわれた丸い厚紙。あとの中身は平凡な旅行の支度だけ。それとは別にクーラーボックスのような荷物が部屋にはあり、そちらは釣り道具の一式だった。
 稲塚は一通り部屋を調べ終えると、木内と共に部屋をあとにした。木内は廊下を歩きながら携帯で、「もう戻ってもらって大丈夫です。ご遺体の搬送はまだなので、現場には近づかないでいてもらう必要はありますが」と、どこかに伝えていた。従業員とほかの宿泊客の件だろう。
 建物の外に出ると、雨と風はこの短時間にも勢いを強めているようだった。あたりは徐々に暗くなりつつある。
 軽ワゴンの側へ戻った稲塚が「とりあえず、見つかったファックスがこれ以上『受信』をする心配はありません」と車内に伝えると、大月医師もゆおくり荘の主人も、安堵した様子だった。
「ご遺体なんですけど、麻美先生の診療所に運ばせてもらえませんか」
 そう隣で尋ねる駐在を尻目に、離島での事件は特に初動が大変だろうなと、稲塚は他人事のように考えた。
 すると木内が稲塚に向き直って、「本署は隣の戸屋島にありますが、天候のせいで船が出せないそうです。応援が到着するまで、もう少し手伝っていただけませんか?」
 さらにこの若き駐在は、「実はもう本部には連絡済みです。稲塚さんの上司の方にも」と付け加えた。

(続く)


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