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バングラデシュより自己紹介

はじめまして

菅谷 俊輝(すがや しゅんき)です。

早稲田大学創造理工学部経営システム工学科出身。大学在学中に会社設立に携わり、海外ビジネスの可能性を感じ、現在は日本法人1社、バングラデシュ法人1社を経営しています。



生まれて~学生時代

生まれは、東京都葛飾区柴又
寅さんやこち亀で有名なあの葛飾区です!
小学校時代は、野球、サッカー、テニス、習字、語学クラブ、そろばん、水泳、くもん、体操など様々なことを両親には挑戦させてもらっていました!

中でも、野球とそろばんは熱心にやっていました!

中学は立教新座、高校は早稲田学院に入学し、
大学はそのまま早稲田大学経営システム理工学部に入学しました!

のですが、、ここで事件が起きます。
大学1年の時に、今まで男子校でずっとゴリゴリ野球と勉強をしてきたため、その反動で色んな地方や経験を持っている頭のいい人や気前のいい人たちと出会い、偏った思考が一気にまっさらになりました。

ということで、学生時代は麻雀したりサークルに入ったりという大学生らしい大学生活を送っていたのですが、理工学部は単位を取るのが非常に大変で、普通に落ちこぼれていきました。

そして3年のころになると就職活動を始める友達も回りに増えてきた時に、自分はこのままストレートで大企業や外資系企業に入って長年勤めて給料を順繰りに上げていく!みたいな、分かりきった未来に対して不安を非常に感じていました。(大手企業の方を批判しているつもりは全く御座いません!)

20歳~22歳にやっていたこと

大学3年~4年での就職活動を私は正直一度も経験したことがありません。
理由は、20歳の時にどんなに頑張ってもそんなに頑張らなくても変わらない時給に疑問を感じ、フルコミッション(完全歩合制)で個人宅にフレッツ光や電気会社切り替えの営業をしたりしていくうちに、月収で50万円近く安定的に稼げるようになってきたので、仲間と一緒に営業代行会社を起業する形となりました。

社会人2年目~8年目

理工学部を休学、退学をしたのもこの頃なのですが本当に親と色々揉めて、結局大学を去ることとなりました。(今戻ったとしても、理系の大学研究室の資料発表や卒論を提出するために何もかもを犠牲にすることはないでしょう。)本当に大学復帰するかどうかはよーく考えてみたのですが、やっぱりこのまま2年くらいを棒にふるって考えたときにどうしてもその場に戻ることはできなかったのです。

27歳~29歳で海外とのコンタクトを取り始める

正直この27歳~29歳が私の人生の転機となります。
それまで、仕事で何がやりたい!は考えたことがなく、ずっと自分が持っているポテンシャルや能力の中で何が一番活かせてお金になるかということばかりを考えている人生でした。

それがようやく変わるタイミング&大転換期が来たのです!!

ミャンマー訪問&ミャンマー人たちとの出会い
会社の事業の一環で、ミャンマーの人材を日系企業に紹介する事業を立ち上げました。
元々ミャンマーで日本語学校を運営している社長さんとつながるタイミングがあり、あれよあれよと事業拡大していったのです。

もちろん私もミャンマーに訪問しました。
そしてミャンマーの住み心地が衝撃的に良かったのです。
さらに、英語が堪能なミャンマー人もたくさんおり、
それなのにミャンマー現地の物価が上がらないために日本と比べると考えられないような給料(月2万円とか時給100円とか)で働いている方達が数えきれないほどいる現実を目の当たりにしました。

そしてこのまま何も考えずに、日本で仕事を続けていくことが、恐ろしく感じました。

日本で仕事をすることを辞めた

ミャンマーでの事業を経験し、色々思考した結果日本を飛び立つことを決断しました。
理由は、この先5年、10年と先を見たときに
・英語ベースでビジネスをすること
・日本基準ではなく、世界基準で仕事をすること

この2つがパッと浮かんだからです。

海外を知ることからスタート

試しに、日本人がどういう場所で就職できるかやその国ごとの
・GDP
・物価
・所得水準
・日系企業数
・都市ごとの人口数
などなど、とにかく全網羅しよう!と思い、

こちらのサイトを作りました。
(ちなみにですが、このサイトに誘導したいとかの目的は一切ないので興味ある方だけ訪問していただければ問題ないです。)


バングラデシュにて事業をスタート

2021年9月より、バングラデシュにてオフショア開発企業の代表取締役を務めております。

またこちらに関しては、追って記事にしていこうと思います。

ご視聴有難うございました!







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