函館の内側性 ー地元という意識をつくる境界ー_3
4-ⅱ. 行動的内側性
これは自然条件による物理的あるいは視覚的内側性とも密接に関係する。分かりやすくいうならば、函館の人たちの行動範囲の狭さについてといった方が良いかもしれない。
基本的に、函館からはどこにも行けない。
函館から一番近い10万人規模の街を上げるなら、それは札幌になる。そしてその距離は250キロほどあり、車で休みなく行っても5時間程かかる。
今、僕の住んでいる千葉県からであれば、東京と神奈川を跨いで静岡県まで、つまり県を二つ跨ぐほどの距離感だ。
そして、函館から札幌までの間には、長万部町やニセコ町などの小さな町がぽつぽつあるだけでひたすらに暗い森が続く。関東のように街から街への道沿いがどこもそれなりに発展していて街が続いているような感覚とは全く異なる。
であるから、僕たち函館出身者は、年に一度ほどの滅多にないイベントとして親に連れられて函館の外に出るということしかできず、つまり、車を運転できない学生時代などは特に、"函館の外は行けないところ"という意識が強くなる。
つまり、函館という街の輪郭が、そのまま行動的内側性を形成するのだ。
4-ⅲ. 言語的内側性
道外の人はあまり知らないかもしれないが、北海道の中でも函館の人の言葉と、それ以外の言葉には大きな違いがある。
北海道の人たちが話す言葉は、多少の訛りはあるものの基本的にほとんど標準語に近い。だけれど、その中にあって函館の位置する道南エリアだけは、津軽弁に近い強い訛りのある"函館弁"を話す。
であるから、少し話しただけで函館の人かそうでないかはすぐにわかる。
学生時代、夏休みや冬休みになると、クラスの何人かが旅行などで函館の外へ行って帰ってくる。そうすると、僕らは恐る恐る
"どうだった?"
と聞く。
"なんか人が違うわ、標準語だし"
そんな会話を何度か繰り返したのが思い出される。
つまり言葉が、"函館弁を話す私たち、函館弁を話さないあなたたち"という境界として機能するのだ。
実際、僕自身も小中学生の頃は札幌の親戚などと会うと、"どこか違うところの人"という意識があった。
また、函館の外からきた転入生が、函館弁を話さないせいで、最初、仲間に入れてもらえず、次第に函館弁を話すようになることでクラスの中で打ち解けるというのを何度も見た。
函館の人が地元愛が強いと言われるのと同時に排他的だとも言われる所以は、函館の内側の人と外側の人を区別する言葉の境界が、良くも悪くも強く機能しているからだろう。
5.沖縄への親近感
函館出身者の地元への想いの強さ。これは、長年の間の自分の中でのトピックスであったわけだけれど、他の街の出身者の"地元"に自分と似たような熱量を感じることが何度かあった。
特にそれを強く感じたのは沖縄の人たちで、なぜ北と南で距離を隔てた彼らに親近感を抱くのか不思議に思ったのを覚えている。
だけど改めて考えてみると、沖縄にもこれまで見てきた"内側性"がどれもあてはまっていることに気付かされる。
・海によって明確にしきられた物理的あるいは視覚的内側性
・同様につくられる行動的内側性
・うちなーぐちという方言による言語的内側性
また僕たちが地元で言っていた、内地という言葉が沖縄でも同様に使われるのも興味深い。彼らには、その他にも政治や文化などの要素がさらにその内側性を強化しているのだろうけれど。
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