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函館の内側性 ー地元という意識をつくる境界ー_4

6.戻りたいと同時に、逃れたい場所

"そんなに函館が好きなら、ではなぜあなたは函館に暮らさないのか"
そんな問いをこれまでに何度か投げかけられたことがある。
その度にどう答えたらいいのか、これまでよくわからなかった。

僕がいま函館を離れ、千葉に暮らしているのは、本当は函館が好きで戻りたい気持ちがあるけれど、仕事や諸々のやむを得ない理由があるからだろうか。
少し考えてみるけれど、多分そんなことではない。

僕の函館への感情は愛というよりは、愛憎に近い。函館の懐かしくあたたかい記憶を辿ると、その次の瞬間には函館で感じていた不自由さがよみがえる。

『場所の現象学』には、僕のこれまでの感情をこれ以上ないほどよく表す、次のような言葉がある。

"私たちの場所の経験、とくに故郷についての経験は、弁証法的なものである。つまり、そこに留まる欲求とそこから逃れようとする欲求のバランスをとることである。(中略)ノスタルジアや根なし草になったという思いに悩まされるか、その場所に抑圧され束縛されているという感覚を伴うメランコリアにさいなまされるかのどちらかである。"*4

僕は確かに、函館の外側にいるときには、函館のことをいつも想い、帰りたい気持ちでいるけれど、いざ函館に帰郷し何日か過ごすと、薄暗い慣習の海に浸かるような不自由さを覚え、そこから逃れたい衝動を自分の中に感じるのだ。

きっと、僕はこれからも函館に戻りたいと思うと同時に、函館から逃れたい気持ちを抱き続けるのだろう。
つまり、僕はこれからも函館という境界しきり に縛られ続けるのだ。
函館の内側もしくは外側、どちらにいるにしても。



終わり

*1 エドワード・レルフ ,場所の現象学,ちくま文芸文庫,1999年,130p
*2 柏木博,「しきり」の文化論,講談社現代新書,2004年,4p
*3 エドワード・レルフ ,場所の現象学,ちくま文芸文庫,1999年,128p
*4 エドワード・レルフ ,場所の現象学,ちくま文芸文庫,1999年,112p

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