函館の内側性 ー地元という意識をつくる境界ー_2
3.内側と外側のあいだ
"函館に対する想いの強さ"
これは、"函館の内側と外側との区別の強さ"と言い換えることができるだろう。であれば、その内側と外側は何によってつくられるのか。あるいは、そのあいだには何があるのか。
そのように考えるならば、そこのあるのは言うまでもなく、境界である。
柏木博は彼の著書、『しきりの文化論』のなかで、壁や塀などの物理的な境界とともに、自己と他者、うちとそと、聖と俗、日常と非日常、など意識的な境界をそれと同様に扱う。
何かと何かの差異の間にあるもの=境界として捉えるのだ。
また、エドワード・レルフは『場所の現象学』の中で、次のように言う。
"場所に対するアイデンティティ"、つまりここでの函館の人たちの街に対する想いは、函館の内側性を意識させられる境界の強さによって形づくられているのではないか、そのような考えに至る。
函館の人たちが共通して持つ地元への想いの強さ、長年自分の中での問いとしてあったものが、朧げに見えてきたのだ。
4.内側性を構成する3つの境界
函館の内側性を構成する境界、それはおそらく行政上の境界などではなく、地形や気候などの自然条件、そして歴史や文化等の諸々の要素によって形づくられているだろう。それらは複雑に絡み合っているわけだけれど、ここではわかりやすく3つの内側性を抽出してみたい。
ⅰ. 物理的あるいは視覚的内側性
ⅱ. 行動的内側性
ⅲ. 言語的内側性
4-ⅰ. 物理的あるいは視覚的内側性
小学生の頃だっただろうか、家族旅行で初めて東京を訪れたとき、ホテルの窓から見た東京の街の異様さにしばらく言葉をなくしたのを覚えている。
そして、
"街に終わりが無いよ"
そう興奮して親に言った記憶がある。
函館の街しか知らなかった僕は、広大な土地が隙間なく人工物で埋められ、それがどこまでも続いているという様に、得体の知れない異様さを感じた。
つまり、それはあるはずの街の端=境界がないということに対する違和感だったのだ。
だけれど、関東に10年近く暮らした今から思えば、街に明確な境界がないことは"普通"で、逆に函館という街の境界の明確さこそが、マイノリティであるとわかる。
実際、東京にいて、街と街の境界を感じることなどはほとんどない。車で走っていてもひたすらに街が続いていて、境界がどこにあるかなどは問題にはならず、今どこにいるかというのは、標識などをみて行政上の区分けを知るだけだ。ましてや、東京の人たちの多くが利用する地下鉄などであれば、そもそも目的地に着くまで何も見えないのだから尚更だ。
それに比べて、函館の境界はこれ以上ないほど明確である。誰もが知る函館山からの夜景をみれば函館という街の輪郭がすぐにわかる。
左右は海に接し、あとは山に接している。
つまり、海と山という自然条件によって、物理的あるいは視覚的に明確にしきられているのだ。
画像引用:https://www.visit-hokkaido.jp/info/detail/167
僕の実家から少し行ったところには湯の川があって、その浜から晴れた日には微かに青森がみえた。
"ほれ、あっちが内地だよ"
親にそんなことを言われ、内地とはどんなところだろうと思ったのを思い出す。
海のあちら側にある内地、そして海のこちら側にある函館。
函館の人にとって街の境界は、疑問の余地もないほど明白なのだ。
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