函館の内側性 ー地元という意識をつくる境界ー_1
地元、函館について。
僕の長年の疑問だった、函館の人たちの謎の地元愛の強さ。
エドワード・レルフの『場所の現象学』にある"内側性"というキーワードを通してみると、その所以が見えてきました。
気が付いたら、長い文章になってしまったので、何回かに分けて投稿します。論文のような少し固い感じにはなってしまいましたが、読んでいただけるとうれしいです。
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1.函館の内側か、あるいは外側か
この文章は、"地域"を"函館"と読み替えることで、僕の中で初めて具体性を帯びる。
高校を卒業して函館を出てから、札幌や山口や東京や千葉やこれまで何度も住む場所を移してきたけれど、僕はそれぞれの"街の内側"にいたというより、常に"函館の外側"にいるという感覚であった。
つまり、自分の意識は常に函館という街に縛られていたのだ。
このように書くと、故郷というのは誰にとってもそういうものだと言われるかもしれない。実際、僕自身もそのように思っていた。
だけれど、函館の外側で僕が感じた違和感は、他の人たちが自分ほど"地元"というものを強く意識していないという周りとのずれにあった。大学などで出会う友人などとそれぞれの地元について触れるとき、自分の中の函館という"地元"と、他の街の出身者である彼らの"地元”にずいぶんと温度差があるのだ。
"おまえ地元好きすぎだろ"
その場はそんな笑いで片付けられる。だけれど、そこで感じた違和感は自分の中に留まり続けた。
2.同じように感じていた疑問
"函館の人の地元愛の強さは何なんだろうね"
函館に帰って地元の友達と話すと、そんな話題が自然と持ち上がる。函館を一度出たことがある友人たちは、それぞれが函館の外側で僕と同じようなことを感じていたのだ。
"自分だけが感じていたことではなかったのか"
他の誰かと、同じ違和感を共有できた安堵のかわりに、ではこの函館の人たちが共通して持つ地元への想いの強さは何なのだろうという疑問が生まれた。
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