見出し画像

夏休みの宿題の意義は『締め切り』と自分との関係を知ること

就学年齢の子供を持つ親御さんは、『夏休みの宿題』いろいろ思いがあるようですね。
あべみょんさんの記事↓に、

夏休みの宿題って。。。必要ですか?本当にいる?あれ…。
自由研究にだけ集中しろ!あとはいい!

あべみょん家の疑問と方針?

とありました。
コメント欄にも「宿題不要」共感が多かったようです。
私も自分が小学生の頃はそう思っていました。

けれど今は、夏休みの宿題というのは、小学生にとって、というよりも、その後の人生にとって非常に重要な意義を孕んでいるのではないか、と思っています。

小学校を卒業し、上の学校に進むにつれ、そして社会人になると一層、『夏休み』とその『宿題』について想うことがありましたが、それはいつも『締め切り』との関係性でした。

夏休みは長く、小学生の私は毎年、それが『無限に続く』ような錯覚と共に始まったことを憶えています。
当然、宿題の『締め切り』ははるか遠い先のことでした。
(これが学期中の宿題とは決定的に異なります)
休みの冒頭、気まぐれに2,3ページ手を付けた後、宿題はどこかに放っておかれ、毎日楽しく遊び歩いていました。

……しかし、永遠に続くと思われた夏休みも、やがて終わりに近づき、『締め切り』が悪魔の形相で迫って来る
8月の終わり ── ほとんど最後の数日に本格的に宿題に取り掛かり、9月に入ってから日記をまとめて書くなど必死で取り組み、先生には「やってあるけど家に忘れた」ふりをして、何度か提出時期を遅らせていました。

その後の人生で、何度も、小学生時代の夏の宿題よりも(当然)はるかに重要な『締め切り』を課されました。
その度に、夏休みを想い出し、たとえば、
(締め切りは3週間先 ── はるか遠い未来のようだけれど、その時は必ず来る
などと『自戒』していました。
── 自戒の結果、どうなったか?
やっぱり最後の数日、時には最後の数時間まで持ち越し、必死で自分に鞭打っていました。
米国留学時代は、研究室の発表会開催時刻直前までパワーポイントのプレゼン資料を作っているので、
Toshi is always working to the last minutes !(いつも土壇場までやってるなあ!)」
と呆れられていました。

つまり結局、その後の人生でも、小学生時代の夏休みの宿題と同じパターンを繰り返している、と言えます。
(まあ、夏休みの宿題もなんとかそれで乗り切ったし……)
『私の中の小学生』が深層心理の中でそうささやいているのかもしれません。
でも逆に(いや、それを含めて)、夏休みの宿題によって、子供は、『締め切り』とのタダシイ(何が正しいかはともかく、『自分流』の、という意味で)向き合い方を学ぶのではないでしょうか。
「夏休みの宿題は、毎日時間を決め、配分を決めて、最後にあわてないようにきちんきちんとやりなさい」
と言う先生や親御さんは多いことでしょう。それはいいですよ、連中の仕事ですから。
でもね、当人はやはりひとりひとり、得意不得意、性格の違いなどありますから、『自分流』を見つけることが重要なのでしょう。

つまり、
夏休みの宿題の意義は、自分が(その後の人生に何度となく訪れる)「締め切り」というものに対してどういう態度を取るニンゲンなのか、自己認識する好機であること、ではないでしょうか?

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?