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とにかく凄まじい映画「愛を乞うひと」

 これも、かなり以前の映画で恐縮ですが、人生でもっとも衝撃的だった作品のひとつです。
98年 ── もう25年前ですね。封切直後に観て書いた記事です。
Again、ネタバレにご注意ください:

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ここ二週間ほど、私が購読している毎日新聞では、
「殺さないで」
と題して親による幼児虐待問題の特集を組んでいる。
私の知人でも、子供を叱って叩いたりしているうちにコントロールの効かなくなる人がいる。
自身でも、果たして自分の子供を「論理」で叱っているのか、「我」の部分で叱っているのか、解らなくなる時が過去にあった。

話は少し横にそれるが、この「論理」と「我」のせめぎあいは会社の中の至る所に存在する。自分より上位の人が何か話す時は、それが、どの程度「論理」から、どの程度「我」から出ているのかを見極めるのは、とても難しいけれど、重要な事だと思う。

そんな中、「愛を乞うひと」を今池で見た。
衝撃的な映画だった。

幼児期から少女期に至るまで、見るからに身勝手な母親に虐待され続けてきた女の子が、この「鬼婆」の手から逃れ、やがて結婚して自分の子供が高校生になった頃に、当時の生活や人々(何度か変わった父親)の消息を振り返り、尋ね歩く。
想い出の中の「母親」と現在の「本人」の二役を同じ原田美枝子が演じている。
(私が男のせいかもしれないが)髪を上げて世の中に対し挑戦的に生きている、自堕落で身勝手で暴力的な昭和20年代の母親である原田美枝子の方が、1980年代に生きる、その娘である疲れた中年女の原田美枝子より、はるかに生き生きとしているのである。

この「とんでもない母親」を魅力的に描くのが、この映画の最大のテクニックだったろう ── と思う。そして、それに見事に答える原田美枝子は大女優である。
これに加え、雨の中を中井貴一演じる「アッパー(台湾語で父親)」に手を引かれながら母親を振り返る子役の演技にも感動した。

次に成長した子役は、実の母親に殴られた(お岩さんのような)傷跡をネタに「おもらいさん」をやらされるのだが、傷痍軍人を演じる新しい父親はこのような事を言うのである。
「お金をいただいているのではありません。もらってあげているのです。あの人たちは、お金を出す事で、幸せな気持ちになるのです」

これは至言である。(今はもう日本にはほとんどいないけれど)乞食にお金を出す瞬間の人の顔を見た人間(私は17歳の時にこれを経験した)ならば、それがわかる筈である。

── いずれにせよ、「愛を乞う人」は、映画を観た個人のそれぞれに(昭和20年代、30年代の追憶をも含め)想いを起こさせる映画であり、たぶん、今年のナンバーワンであろう。

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