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誰もがハチ公(短編小説;2,500文字)

「キミ、今日から?」
「はい、先週採用されたばかりで……」
「そうかあ……なるほど、……向いているかもしれないなあ」
「そうでしょうか?」
「ああ、顔つきがいい……特に目ね、……なんていうかな、どこも見ていないようで」
「え、それ……」
「いや、ホメてるんだよ。どこも見ていない、というのは、可視化できないほど遠方を見ているってことだ ── ご主人との楽しかった過去と、再会後の素晴らしい未来の両方をだ」
「ご主人って? よくわかりませんが……で、仕事は……この服を着て、ただじっと座っていればいい、ということでしたが……これ、体にぴっちりし過ぎていて、なんだか……」
「いいから、いいから。さ、この台座に上がるんだ」
「随分高いですね」
「この踏み台を使いたまえ」
「あ、ありがとうございます」
「で、ほら、少し離れたあちらに先輩がいるだろ? 彼と同じ格好で座るんだ」
「え、あれってあの……」
「ああ、外国人観光客が写真を撮ってるだろ?」
「ええ、でも、先輩って……」
「ああ、前回 ── 2週間前に採用されたんだ。今ではほら、立派な姿だろ?」
「はあ……って、あの先輩ってイ…ヌ…なんじゃあ……?」
「正確に言えば、犬ではないな」
「そりゃそうです。犬の像ですよね? ……ハチ公という名前の……」
「お、知ってるのか?」
「そりゃそうです。東京に出てきた頃、あの像の前で待ち合わせしたりしたことも……」
「おお、それなら話が早い。よろしく頼む」
「はあ? 早いどころか、話が見えません。じっと座っていればいいって、あのハチ公の姿勢で、ということですか?」
「そうだ。そっくりに頼むよ」
「無理ですよ。犬とは骨格も違いますし……」
「じゃあ、この仕事、辞めるかね。ならば、今日の日当も払えないし、泊っているホテルからも出てもらわなきゃならないが……」
「……仕方ないな……とりあえず今日1日やってみます。明日からのことは、その結果を見て考えます」
「そうこなくっちゃ。じゃ、ポーズ取ってくれ、うん、そうそう、前足を踏ん張って、口を突き出す感じ……お、いいよ、いいよ! あとは耳を立てて」
「それは無理です」
「おいおい、キミはもうハチ公なんだ ── まだ見習いとはいえ、ニンゲンの言葉を話すのはまずいだろ」
「……(そうでした)……」
「飼い主の言葉を理解するくらい賢い犬だったらしいが、……話しはしない」
「……(はーい)……」
「で、尻尾は台座の上、後ろにまっすぐ ── これはまだ無理か」
「……(そりゃ無理、え、まだ?)……」
「じゃ、そのままの姿勢で頼む。観光客が写真を撮りたがるが、『Shake hands!』『Lie down!』なんて言われても、くれぐれも姿勢も表情も変えないようにな」
「……(りょうかーい)……」
「キミの体に触ったり叩いたりする者もいるだろうが、我慢してくれ」
「……(へーい)……」
「言うだろ? 『習うより慣れろ』って」
「……」
「じゃ、頼んだぞ!」

**********

「おつかれさま ── どうだった?」
「はい……意外と疲れませんでした」
「そうか、やはり、向いてるな」
「頭の中もハチ公になりきっていたら、ご主人様の帰りを待つ、なんだか幸せな気持ちになってきました」
「よし、よし、いいぞ!」
「トイレが心配だったけど、勤務時間中は不思議と尿意を感じなかったですね」
「そうだろう。成犬の排尿回数は1日3回から5回程度だが、キミは今日水分を補給していないからな」
「成犬って……」
「あ、それから、ちょっと失礼……」
「あ、お尻に手を! ……何するんですか!」
「ごめんごめん、いや、順調だ。じゃ、ホテルまで送って行こう。明日も頼むよ!」
「はい……ずっとあの姿勢を続けていたせいか、どうも歩き辛いな……」

**********

「今日で5日目だ。だいぶ慣れてきたんじゃないかな?」
「……」
「お、いい感じだ。じゃ、台座に……お、勢いよく駆け上がったな。キミの場合は今日ぐらいで完了かもしれない」
「……」
「尻尾も立派になったしなあ……たいしたもんだ」
「……」

**********

「博士が提唱した『ハチ公効果』、17例目の成功ですね」
「ああ、仮説通りだ ── 今回は5日で『ハチ公化』したな」
「『ハチ公像化』です。彼、事前に行ったテストで『指示待ち指数 S』も『前例踏襲係数 Z』もかなり好成績でしたからね」
「ああ、『ハチ公化』に何日かかるかは、ほぼ、《S+2Z》の値に反比例するようだ」
「あ、また……『ハチ公像化』です」
「まあ、いいじゃないか。順調、順調。政府も研究費、増額してくれそうだ」
「ハチ公って、本来は美談なんですよね」
「ああ、それが諸悪の根源だ、って首相が言い出した。飼い主がいつもの駅に戻って来なかったら、1週間も経てば普通、主人に何かあったって気付くだろ? それが10年通い続けたっていうんだから、判断能力欠如だ! ── ってな」
「上司に1度指示されたら、時勢が変わっても同じことを繰り返し行う ── そんな『ハチ公主義者』ばかりだからこの国は生産性が低いままだ、そんな連中をなんとかしろって、日本中の研究者に大号令が下ったんですよね」
「ああ、こんなにうまく行くとはなあ! ……それにしても、理由わけも聞かずに指示に従う人間って多いよなあ! 国民のほとんどがそうなんじゃないか?」
「ならば、博士、このプロジェクトでハチ公像、次々と生産されますよ。一体、どうするんですか?」
「そんなこと、知らんよ。どこかに寄贈すりゃいいだろ」
「寄贈先なんて限られますよ。しかも、この先、さらに増え続けたら……」
「知らん、知らん! 私はただ、政府の指示に従ってるだけなんだから……」
「あ! 博士……」
「何だ?」
「博士も、ひょっとしたら……例のテスト、ご自身で受けてみては?」
「え! ……バカ言うな! ならば、そもそもこの国の首相がそうじゃないか! 米国政府の指示にハイハイと逐一ちくいち従っているだけだ! だから、4年に1度、ご主人様が替わると混乱して駅前を右往左往する!」
「なるほど……首相にもテスト、受けてもらいましょうか?」

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