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パスウェイダーズ(短編小説;10900文字)

<詭弁学科の劣等生が、奇妙な名前の会社で働くお話です>


 名古屋大学文学部詭弁きべん学科の4年だった僕が主任教授の部屋に呼ばれたのは、秋も更けて来た頃だった。

 残り少ないが黒々とした髪を丹念に横向きに撫で付けた結果、髪と地膚が頭頂部近くで縞柄を呈している野山教授は言った。
「君はまだ就職が決まっていないそうだね」
 前日に、恋人の裕美ひろみにも同じ事を言われたばかりだ。
「ええ、でも、なんとかなると思います」
 僕は健気けなげに答えた。
「まさかとは思うが、職が決まらないのは、この学科のせいだなどと、とんでもない思い違いをしてやしないだろうね?」
 背の低い彼は手を後ろに組み、おりに閉じ込められたツキノワグマのように、教授室の壁の間を往復運動し始めた。僕は黒とベージュの縞が方向を180度ずつ変えながら行ったり来たりするのを見下ろしていた。
《詭弁》ほど実戦的な学問はない! 政治でも、ビジネスでも、いや、サイエンスの世界でさえ、一番重要なのはキミ、いかに乏しい材料で、いや、時には材料無しで、相手を言いくるめるかの技術に他ならない。すなわち、あらゆる社会活動および学問の頂点に君臨するのが、我が《詭弁学》だ!」
 教授は往復運動を一時停止し、胸を張った。
「はあ……、頂点、です、か……」
 野山教授の《頂点》に《君臨》する縞状の毛髪を見ながら、僕は力なく繰り返した。
「企業はもちろん、国家にも大いに期待されている。その証拠に、君以外の学生は全員、採用内定をもらった。トップクラスの何人かはキミ、国会議員秘書として、引っ張りだこだ。私には、議員活動に不可欠な詭弁学のコーチング依頼がひっきりなしだ。……いいか、問題は学科じゃないんだ。君は自分の教養科目の成績を知っているか?」
「ええ。決して良くはありません」
「そうか。いや、採用側は実に良く研究しているぞ。一般教養のない人間が、ただ《詭弁術》で武装しても、議論は空疎になるばかりだ。採用側は、それを見抜いているのだ」
 教授は、僕自身に問題がある事をほのめかし、── じゃないな ── 明確に指摘した。
「ええ、だから独文にも哲学にも振られ、第三志望の詭弁学科にしか進学できなかったんです。ここだけは応募者が定員に満たなかったものですから」
 僕も、せめてもの反攻姿勢を見せた。
 教授はゴホゴホとせき払いをした後、
「ところでキミ、来月からアルバイトをする気はないか? 求人が来てるんだ。もし気に入ったら、そのままその会社に就職すればいい」
 僕は姿勢を正し、バーコード頭に礼を言った。ちょうど、家庭教師より数学ができる事を鼻にかける生意気な高校生と喧嘩して、バイトを辞めたばかりだった。

 その会社は《説得産業株式会社》といった。

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