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オンライン・キッス(短編小説;4,100文字)

コロナ禍に書いた作品です:


 世界的な感染症パンデミックのさなかにあって、今年のイグノーベル賞の医学・生物学賞受賞者に決まったのは、我々、バイオテック・ショート・サーキット(BSC)社の研究開発チームだった。
 受賞理由は、

《感染症防止と愛情表現を両立する画期的製品の開発》

 チームを代表して授賞式にオンライン出席することになった私は、自宅にビデオカメラをセットして、緊張しながらその時間を待っていた。
「いよいよね」
 開発チームの一員でもあり、恋人でもある朋美が言った。
「ああ。授賞式では、受賞対象の研究や製品を披露することになっているからね」
「緊張するわ」
「そうだね。……実演もあるしね」

 当初は会社からリモート出席する予定だったが、コンプライアンス部から《待った》がかかった。
「会社の風紀コードに抵触するんですよ。社内からのパフォーマンス中継は許可できません」
「風紀と言うが、そもそも、そういう商品を開発し、販売して利益を上げているのが、この会社じゃないか! 第一、こんなに素晴らしい宣伝の舞台はないんだぜ!」
 反論したが、石橋を叩いて粉々にするのがどうやら《仕事》らしい、コンプラ部には通用しなかった。
「それに、今はお二人、仲がよろしいようですが、その関係にひとたび何かあったらたいへんですよ。どちらかが、会社公認のセクハラ行為が映像公開された、と騒ぎだしたらたいへんな事態になります」
 その論理は ── 理解できなくもない。
「……だいたい、ノーベル賞ならともかく、《イグ》付きじゃあね」
 コンプラ担当者は、ほとんど聞き取れない声でつぶやいた。
 私はしぶしぶ了承し、自宅からのオンライン出席となった。

*****

 そのウィルスはせきやくしゃみ、そして、会話によっても飛沫感染することが知られ、マスクの着用が有効とされた。
 けれど、人はパートナーとの、あるいはいわゆる《風俗》で、《キス》をする時にはマスクを外す。保健所の聞き取り調査で告白する感染者はほとんどいなかったが、感染のうち少なからぬ割合が、《キス感染》によるものと推定されていた。
 真っ赤な唇を印刷したマスクや、透明で唇が見えるマスクも発売されていたが、逆効果だった。唇を見ると一層、実際にくちづけしたくなるものだ。

「だめよ!」
 開発のきっかけは、朋美にキスを拒否されたことだった。
「テレビでもネットでもはっきり言わないけど、飛沫で感染するんだから、キスはもっと危険に決まってるじゃない!」
「えええっ! ダメ?」
 理屈ではわかっている。でも、とても辛かった。
「ESC社から出ている《Mobile Lips》をチュッチュして、我慢しなさいよ」
 実は、朋美には内緒にしてるが、とっくに買って使っている。
「あれじゃ、つまんないよ。やっぱり、キミ自身の唇じゃなきゃ」
 そう言いながら、ひらめいたのだ。
(ESC社の《Lips》にはない機能 ── ほかの人と相互作用を持ち、しかも感染の危険がないデバイスを開発すればいいんだ!)

 さっそく、会社でデバイス開発の企画提案を行った。
「配偶者や恋人との ── それに、ナンパでもフーゾクでも、他人との《安全なキッス》は強いニーズがあるはずです」
 力説する私に、どの顔も深く頷いた。誰もが不自由を ── あるいは、感染の怖れを ── 切実に感じているのだ。
 開発するデバイスの方向性はふたつあった。アプローチも、開発コストも、活用技術も、すべてが異なっていた。
 企画会議は大揉めに揉めたが、結局、極秘プロジェクトとして二つとも平行に進めることになった。

 《A案》は短期的な《解》として開発され、《B案》は究極のデバイスとして商品設計された。
 
言い出しっぺでもあり、具体的な開発アイディアも出した私は、AB両チームのリーダーとなった。

 《A案》は、きわめて簡単なデバイス ── というより、膜材料の開発だった。
 弾性率が低く、しかも破断までの伸び率が大きな高分子材料で、《唇や舌を含む、口全体を覆う》膜を作ったのだ。いわば、《口用コンドーム》とでもいうべき製品だった。これを双方が装着してキスをする。

 問題は、試作品の機能をどう試験するか ── だった。
 しばらくは、開発メンバーに自宅に持ち帰ってもらい、パートナーとのキスを実践してもらっていた。
「たぶん、コンドーム・メーカーの開発担当も、こうするしかないのでしょうね」
「でも、ほら、……いくらモニター報告書を読んでも、なんかよくわからないよね」
「そうそう、まさに隔靴かっか掻痒そうよう状態です」
「やっぱり、装着して使っている現場に立ち会って、科学的に評価しなくちゃ、ね」

 メンバーからの強い要求を受け、リーダーの私が《実験台》を務めることになった。
 《実験台》といっても相手が要る。それまで経理課にいた朋美を説得し、開発チームに引き抜いた。

「……いい感じですね、今度の試作品」
「前のサンプルと比べて弾性率が12%減ですからね。舌の動きにかなり自由度が増したはずです」
「お二人のアドレナリン分泌量も増えていますよ」
「心拍数も前サンプルより増加してる」
 白衣姿の開発メンバーに囲まれ、体中にセンサーを付けられた私と朋美は、かなりの頻度でキスしなければならなかった。

 本当はもっと多くのカップルで試験する、いわゆる《N増し》の必要があるのだが、それを部下に提案するのはパワハラとセクハラの《重畳》とみなされてしまう。
(せめて、女性側だけでもいろいろ変えて……)
 と純粋に統計的な観点から考えなくもなかったが、もちろん、それを提案する勇気はなかった。

「……やっぱり、こうやって実験室でデータ取りしながらモニター評価すると、臨場感もあって、開発がスピードアップしますね」
 サブリーダーが目を輝かせて言った。
「コンドーム・メーカーでも、実は、こうやって試作品評価しているんじゃないでしょうか」
「……まさか、いくらなんでも」

 開発当初は、《膜》の強度不足から途中で破れてしまうことがあったが、材料改質によって《事故》の頻度は急減していった。
「コンドームはラテックスやポリウレタンの膜が1枚だけだから、破れたら即、漏れちゃいますけど、我々の製品は双方が口に装着しているから、はるかに安全ですね」
「ああ。万一、片側が破れたら、その時点でキスを中断して新品を装着すればいい」
 ただし、コンドームと違って口には歯がある。高強度と低弾性を両立する高機能膜を開発しなければならなかった。

 Aチームで開発した膜は《Safe-kiss maker》と銘打って世に出ると、爆発的に売れた。
 市場調査によれば、夫婦や恋人などのパートナー間よりも、風俗や、マッチングアプリで出会ってすぐ、といったインスタント・カップル間で使われることが圧倒的に多かった。
「コンドーム使用による《Safe sex》と同じだ。《Safe-kiss maker》によって《Safe kiss》が普及し、初対面でも気軽にディープなキスができるようになったんだ」

*****

 イグノーベル賞表彰式の中継が始まった。

 私は司会者から紹介を受け、スピーチを行うと共に、《Safe-kiss maker》を口に装着して、ビデオカメラの前で、朋美とディープな、とてもディープなキスを交わし、その様子は、全世界に放映された。
「Wow!」
 ゲストの女優が、マスクの上から口をおさえて叫んだ。
 私は、朋美から体を離し、《Safe-kiss maker》を外した。
「世界中のみなさん! ここでもうひとつ、サプライズがあります」
 ビデオカメラの前で話し始めた。
 ──《B案》のベールを外す時が来たのだ。

「BSC社が秘密裏に開発を進めてきた、さらに高機能なキス用ツールを紹介したいと思います。事前に送った《Universal-kiss maker》を用意してください」
 画面の向こうでは、アシスタントがぶよぶよとしたジェル状物質を二つ持ってきた。そして、青色のジェルを司会の男性に、赤色のジェルをゲストの女優に渡した。
「では、それを口に入れ、通信端子だけは口から外に出して、上下の唇全体も覆ってください」
 表彰式会場の二人が私の指示に従ったのを見て、カメラのこちら側では、私が赤色、朋美が青色のジェルを口に含んだ。
 会場の二人が、驚いた顔を見合わせた。
「あン……」
 女優が額に皺を寄せた。

 《Universal-kiss maker》の中にはセンサーとアクチュエーターが張り巡らされており、ジェルが受けた《圧力分布》《変形量》に関する情報を、オンラインで相手方のジェルに送ることができる。
 私は口から《Universal-kiss maker》を取り出した。朋美はまだ、司会者とのリモート・キッスを楽しんでいる。
《Universal-kiss maker》を使えば、世界中の誰とでも、ネット経由でキスすることができます。今日という日は、記念すべきオンライン・キッス時代の幕開けとして、皆さんの心の中に長く記憶されることでしょう」
 会場は嵐のような拍手に包まれた。司会者は、朋美とのキスをまだ楽しんでおり、ゲストの女優に耳を引っ張られている。
《Universal-kiss maker》は、来月、世界同時発売の予定です。どうかご期待ください!」
 私は、カメラに向かって深々とお辞儀した。

(さて、この中継を目にした人びとが、次に期待することは ── もちろん、わかっている)
 ビデオカメラのスイッチを切った。
(そして、その新製品開発も、既にBSC社の中でかなり進んでいる)
 基本的な材料と制御システムは、《Universal-kiss maker》をベースに、大きな改良を加えた。
(── 問題は)
 上気した顔で、ようやく《Universal-kiss maker》を口から出した朋美を見た。
(……モニター評価試験を、どうやって彼女に納得してもらうか、だな)

(……《Universal-love maker》のモニター評価を)


〈初出:2021年10月9日〉

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