続・フレッシュな脳みそ


成功を目指してはならない――
成功はそれを目指し目標にすればするほど、遠ざかる。
幸福と同じく、成功は追求できるものではない。
それは自分個人より重要な何ものかへの
個人の献身の果てに生じた予期しない副産物のように
……結果として生じるものだからである。

    ――――ヴィクトール・フランクル『意味の追求』
   (『フロー体験 喜びの現象学』とびらの言葉)



▼▼▼脳を手懐ける▼▼▼


「脳の波待ち」の話しですね。
土日にいろいろあって、
ちょっと書く気力が萎えているのだけど、
頑張って書きます。

僕が身体の中にある「自然」としての脳を意識し始めたのは、
やはりなんと言っても、2013年秋に鬱病を発症し、
2年間まったく動けない期間を過ごしたときだ。
このとき、自分の一部だと思っていた脳が、
「絶対的な他者」になった。
これは世界が崩壊するような出来事だった。

脳がまったく自分の思うとおりにならないのだから。

エンジンがかからない。
たたいても叫んでも蹴っても、
薬を飲んでも電気ショック与えても、
まったくウンともスンとも言わないのだ。

ちなみに電気ショックはやってない。
蹴ることは関節の柔軟性が足りずにしてないが、
叩いたりはした。
髪の毛抜いたりもした。
もう、つらくてつらくて、そうなった。
自分の脳に腹が立ちすぎて。

さて。

脳という「絶対他者」に、
じゃあどう向き合うか、
どう手懐けるか。

ここから僕の、
「思うようにならない脳との二人三脚の練習」が始まった。
繰り返すが35歳で鬱病を発症するまで、
僕は(多分ほとんどの人と同じく)、
「脳は自分の一部」と思っていた。
しかし、脳は自分の中にある自然だと知った。
だとすると付き合う以外ない。

僕にとっての鬱の発症は、
自分の手足のように意のままになる(と勘違いしていた)馬に、
ある日突然後ろ足で蹴られ死にかけた、
みたいな「大事件」だったのだ。

まずは馬を他者として認めるところから始まる。
そしてこの気まぐれで意のままにならぬ存在を、
手懐けていくしかない。
にんじんを与える。
スキンシップを図る。
馬が出すわずかなサインに敏感になり、
馬が望むものを察知して事前に供給する。

そういったあれこれが、
僕にとっては「睡眠」「運動」「食事」
「仕事の進め方とペース作り」
「仕事の環境作り」などなどのもろもろにあたる。


▼▼▼スプリンターとマラソン選手▼▼▼


具体的なことを事細かにここに書くことはしない。
それにたいして意味はないからだ。
なぜなら脳という馬は、
それぞれに違うので、
僕と同じ手懐け方であなたの馬は手懐けられないからだ。

どうしても興味がある人は、
個人的に聞いてください。
教えてあげます。

でも、一般的なことは言える。
「脳の波乗り」「脳のロデオ」に熟達するにはまず、
自分の脳の個性を把握する必要がある。

僕の脳は「スプリンター型」だと思っている。
30分とか45分とか、
短い時間にレーザービームのような強い集中力を発揮するのが得意だ。
昔から数学の難問を解くのが好きで、
そのときは時間を忘れて考えられた。
その代わり、漢字を覚えるとか、
歴史上の人物の名前を覚えるとか、
そういう微温的に長時間脳を使うタイプの勉強は、
本当に反吐が出るほど嫌いだった。
嫌いすぎて宿題をボイコットしていた。

すでに覚えている英単語を何度も書くのは、
「右手の運動」にすぎないので、
僕は昨日キャッチボールでそれを代用しました。
、、、と担任には言わなかったけど、
心の中では言っていて、
態度でそれを示していた。
テストでは常に95点以上を取るが、
宿題まったくやらないから、
特定の先生からは蛇蝎のように嫌われた。
今は特定の先生の気持ちも分かる。
あのオバサンの英語の先生に同情する。
せっかく用意した宿題を無視されてさぞ悔しかっただろう。
本当に申し訳ない。
要は僕は、こましゃくれたクソガキだったのである。

僕は微温的に脳みそを長時間使うことは苦手だが、
抽象思考も得意だし、論理的に考えることも得意だ。
得意すぎて「論理を超越したこと」の把握が難しいので、
天才的な発想は一際出てこない。
天才は論理を超越したところから出てくるから。

話しを戻すとこの集中力のレーザービームは、
とにかく強い分、出力が高く、
電力を消耗する。
逆に脳の持久力はないので、
長い時間それを持続することができないし、
一日にその集中力を発揮できる回数も限定されている。
だいたい4回できたら良い方じゃないかな。
体調など諸々のコンディションが整うと、
レーザービームを4回出すことができる。

これが「スプリンター型」の僕の脳の個性。

これに対し「マラソン選手型」の脳の人もいる。
こういう人は、5時間も6時間も、
微温的な集中を保つことができる。
僕の姉や弟が学生時代にこういう勉強の仕方をしていた。
こういう人は東大に入れる
(弟は東大、姉はお茶の水女子大に現役で入った)。
僕は弟を真似てフィールドに出るのだが、
脳の「モノが違う」ので、
500メートル地点で早々に離脱し、
気がついたらジャンプコミックスの『珍遊記』を熟読していた。
「漫★画太郎先生、今週もウンコの描き込みがエグいなー」

こういう人は東大に入れない。

マラソン選手型の脳と、
スプリンター型の脳。

手懐け方は当然違うし、
向いている脳の使い方も違う。
サラブレッドは2000メートルの競馬に向いていて、
ペルシロンなどの1トン超えの重種馬は、
500キロの重りを引いて高低差のある直線を、
200メートルだけ走る「ばんえい競馬」に向いている。
サラブレッドに重りを引かせたら足をけがするし、
ペルシロンに2000メートル走らせたら、
息が上がるし心臓に負荷がかかりすぎて途中で倒れるかもしれない。

そういうことなのだ。

昔、中学ぐらいの理科の授業で、
電池の「直列と並列」って習ったでしょ。
マラソン型は並列回路で、
スプリンター型は直列回路だ。
前者は安定して長時間豆電球を光らせるが、
後者は強い光を短い時間出すことができる。

スプリンター型は、
まさに「30分サイズの仕事」をするときは、
何の苦もなく高出力の仕事ができる。
さきほどの「数学の難問」みたいなやつ。
大人の仕事だと、
「アイデア出し」とか、
プレゼンの構成を考えるとか、
そういうやつ。

でも、ほとんどの仕事は30分サイズではなく、
300分サイズとかだろう。
マラソン型の人は、
そんなの5時間集中するまでだ、
と思うかもしれないが、
スプリンター型には不可能だ。
心臓が壊れる。

そういうときは、
30分のスプリント×10回、
というふうに分割するのが良い。

30分×4回が一日の仕事だとすると、
それを2日か3日繰り返すと仕事は終わっている。
あと、スプリンター型の集中力はレーザービームだから、
ゾーンに入ったときは、
普通の人が5時間悩むような問題を、
30分で解決できるなんてことも、
いろんな条件がそろえばできる。

だけど、その「ゾーン」は何度も言うように、
自分ではコントロールできない。
脳は「自分の中の他者」だから。
その他者を手懐け、
ゾーンに入る確率を上げるためにできることをする。
睡眠、休息、昼寝、コーヒー、スマホ断ち、
PCの様々なアプリやツール、
まっしろな紙とペンのようなアナログ用具、
音楽やラジオなどのBGM(あるいはそれらの遮断)、
そういったあれこれを組み合わせ、
「波待ち」をするのだ。

そして「稲村ジェーン」が来たとき、
一気にテイクオフするのだ。
そのときの爽快感といったら。

ピンポンのドラゴンの言葉を借りれば
「ここはいい」。

「また、連れてきてくれるか?」

……ペコはいつでも応じてくれるが、
体内の他者であるじゃじゃ馬は連れてきてくれるとは限らない。
僕の場合、鬱の再発という、
「一歩も動かない状態」に脳が入ることもある。

そんなふうに、
思うようにならないようでいて、
思うようになると爽快な、
体の中の自然と付き合う、
「農夫」とか「馬のトレーナー」のような感覚を、
僕はこの10年ぐらいで培ってきた。

今言語化できるのはここまでだ。
何かの役に立つかもしれないし、
何の役にも立たないかもしれない。

こればかりは、
筋トレのパーソナルトレーナーの指導のように、
一律に教えることが不可能だ。
手足が長い人のスクワットのフォームと、
短い人のフォームは異なる。
その人の柔軟性、
スポーツ遍歴、
様々な要素を加味し、
複雑な連立方程式を解いていく。

脳を手懐けるプロセスも、
そんな作業だったりする。
陣内義塾はそういったサポートもしている。
興味ある人は連絡ください。

宣伝でした。

終わり。


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参考文献および資料
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・『フロー体験 喜びの現象学』M・チクセントミハイ



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