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素晴らしきジムのおじさんたち

老人と若者は似ている。先がないから突っ走るか、
先を考えずに突っ走るかの違いだ。
       ――内館牧子『老害の人』

▼▼▼あるジムの風景▼▼▼

僕は朝起きると、
必ず筋トレをする。

昨年末に今の家に引っ越してから、
ジムへの距離が遠くなった。
前に5年住んでいた西東京の家は、
家から徒歩で3分、
自転車なら1分の距離にトレーニングジムがあり、
僕はそこへ月曜から木曜まで、
週に4日、必ず通っていた。

僕はフリーランスなので、
基本的には自分の時間の使い方を自分で決められる。
コロナよりはるかに昔から、
「出勤」という概念から自由になっていた。
だから「平日会員」という、
定年後のおじさんや主婦を対象とした、
17時までしかジムを使えない、
比較的安いプランで入会することができた。
フリーランスの僕は平日の日中にジムに行けば良い。
朝と夜にその分家で仕事をすれば良いだけの話だから。

フリーランスにタイムカードという概念はない。
労働時間という概念すらない。
「アウトプット」がすべてだ。
1分で10のアウトプットは、
100時間で5のアウトプットより優れている。

これはまた、別の話。
またいつかするとしよう。

出勤という概念から自由になることと、
その自由を乗りこなせるようになるのはまた別の話で、
後者を完全に身につけるには約10年という時間が必要だった。
(これもまた、またいつか話すとしよう。)
東京では30年以上企業に勤めた定年退職したおじさんが、
「自分の身体の置き所が分からない」
というような所在なさとともに、
ゾンビのように街中を徘徊している。
彼らは結局「図書館」とか「病院」とか「公営ジム」とかに、
「出勤の代替物」を見つけることで、
その所在なさの手当をしている。

そしてそこにいる若い職員の対応が悪いと怒鳴りつけたりすることで、
「去年まで人の上に立っていたのに、
 今年から何者でもなくなったというショック」に、
必死に抗おうとしている。

多分。

あ、そういえば、
僕が通っていたトレーニングジムもそうだった。
開店時間は10時だ。
その15分前ぐらいになると、
5人とか10人の人が、
列をなして入り口に並んで、
マスク越しに世間話をしていた。

ちなみに1番にジムに入店したところで、
何のメリットもない。
別に開店と同時にビーチフラッグ大会をしているわけでもないし、
福引き券を配っているわけでもない。
ロッカーの数がやたら少ないわけでもないし、
全員が使いたい特定の人気マシンがあるわけでもない。

その証拠に、
僕がこの行列を避けるために、
10時15分にジムに入店し、
ロッカーに歩を進めると、
おじさんたちは、ロッカーでまだ着替えている。
着替えながら世間話の続きをしている。
きっと彼らは着替え終わりたくないのだ。
世間話が終わってしまうから。

そう。

列に並んでいる9割は定年退職後のおじさんだ(当社比)。
彼らは「出勤」という概念を、
骨の髄までたたき込まれているから、
生きているうちにそれが体内から抜けることがない。
だからゾンビのように、
「かつて人間だったときの習慣」で、
どうしても「タイムカード」を押したくなる。

そういえば、ジムの会員証をピッとやるやつ。
あれ、タイムカードに似てるじゃないか。
だから彼らは安心するのだ。

ジム入店が「会員としての自由な権利の行使」だと考えると、
行列をつくってまで10時ちょうどに入店することは、
不合理きわまりない行動だ。

しかしあれが「出勤の代替行為」だと考えると、
非常に合点がいく。
始業時間、ロッカー、タイムカード、
同僚との噂話、、、すべてがつながるじゃないか。
彼らはまだ会社員時代の夢を見続けるゾンビなのだ。

だから彼らの「筋トレ」は、
全然合理的じゃない。
筋肉に効かせることなど何も考えてなくて、
思いきりチーティングを使いながら、
「101、102、103、、、」と数えながら、
ダンベルをただ持ち上げるという「作業」をしている。
筋トレに多少通じている人ならわかると思うが、
100回も挙がる重さを扱っても、
筋力向上や筋肥大にはまったく効果がない。
同じダンベルでも良いが、
しっかり筋肉だけに効くようにチーティングを使わず、
10回が限界のやり方でやったとき、
その10分の1の時間でそれ以上の効果が得られる。

しかし、これが「会社員の見る夢」だと考えると、
すべてが合点がいく。
彼らにとって筋肉などどうでも良いのだ。
汗を流して労働をしている自分を
誰かが見ているという事実が重要なのだ。
トレーナーに「今日も頑張ってますね(効いてないけど)!」
なんていう営業スマイルを向けられた日には、
かつて外回り営業で革靴をすり減らして
会社に帰ったとき上司から言われた、
「ごくろうさん」がリフレインし、
ゾンビの脳内には、脳汁がどばどば出るのだ。

多分。

ここで難しいのは、
ゾンビにとってはトレーナーは自分より30歳ぐらい年下なので、
「会社の部下の残像」でもある点だ。
だからゾンビは、新人マークをつけたトレーナーが、
たとえばぼーっと突っ立ってたり、
何らかのミスをしたりすると、
「かつて上司だった自分の夢」が立ち上がる。
そして大卒新人トレーナーに、
「ほら、先輩だったら床についた汗を今モップで拭くとこだろ」
とフロアでは注意し、
「俺は客だぞ!そんな態度で接客するのか!」と、
受付ではモンスターカスタマー化する。

ゾンビにとってトレーナーは上司の夢でもあり部下の夢でもあるのだ。
朝から「出勤」しているこのジムの規律を守るのは俺達だ、
という、団塊世代トレーニーたちは、
今日も反動をつかったトレーニングで、
無意味な汗をかいている。

▼▼▼老後2000万をゴールにする愚▼▼▼

いや、僕はこんな話をしたいんじゃない。
最近、内館牧子さんの
『老害の人』を読んだからだろうか。
2019年に読んだ『終わった人』も面白かった。

ついでだから言っておくと、
僕は「老後2000万円」の話を、
常日頃から心底下らないと思っている。
老後に心配すべきは資金ではない。
どうやって尊厳をもって老いていくかとか、
どうやって心豊かにいられるかでしょ、と。
お金というのは、
その「心豊か」のための数ある手段のひとつでしょ、と。
手段を目的化することを僕は別名馬鹿と呼んでいるのだけど、
その意味で老後2000万がゴールだと思ってる人は馬鹿だ(失礼)。

あまりにも有名なハーヴァード大学のコホート研究は、
それを雄弁に語っている。

〈とくに興味深いのは、
ハーバード大学の「グラント研究」だ。
1938~40年にハーバード大学の学部生だった
268人の男性を75年間追跡調査した研究である。
この研究によれば、有形の資産が重要なことは間違いない。
金銭的資産が乏しかったり、
他の人より少なかったりすれば、不満が生まれる。
しかし、人生に満足している人に共通する際だった要素の一つは、
生涯を通じて深くて強力な人間関係を築いていることだった。
この研究を初期に主導した研究者のジョージ・ヴァインラントによれば、
幸福を支える柱は二つある。

一つは愛、もう一つは、愛をないがしろにせずにすむ生き方だ。
稼ぐ金が増えれば、幸福の度合いは高まるかもしれない。
しかし、幸福かそうでないかを分けるのは、あくまでも愛なのだ。〉

(『LIFE SHIFT』リンダ・グラットン P125~126)

、、、人間が幸せかどうかは、
「豊かな人間関係の有無」で決まるのだ。
グラットンが言うように、
幸せが目的であるならば、
愛が一義的な予測変数で
ある程度のお金は「愛にダメージを与えない」、
というための手段でしかない。

「老後2000万円」はだから、
手段を目的化していると私は思うのだ。
そうじゃない。
「老後にも友人をせめて1人」とかのほうが、
きっと幸せにとっても長寿にとっても大切になってくると思う。

どうですかね。
厚生労働省さん。

厚生労働省さんはきっとこれに気づいているが、
経済産業省さんが、
「老後の資産に不安を持たせて貯蓄を投資にまわさせる」
という大本営の号令のもとに、
「老後資金の不安をあおる」ということを続けているように、
ひねくれた僕には思えてならないのだ。

話を戻そう。

日本の高齢男性は先進国で一番幸せではないという調査結果とともに、
日本の高齢男性で「親しい友人がひとりもいない」と答える人が、
先進諸国で最も多いというデータが並べられることがあるが、
これも「幸せは人間関係からしか来ない」ことを証明している。

人間には3種類の資本(資産)がある。
「人的資本(能力)」
「金融資産(お金)」
「社会資本(友人)」

殆どの人が誤解しているのだが、
この3つのうち、
「幸福」の源泉となるのはただ一つだと、
橘玲さんは『幸福の資本論』に書いている。

三番目の社会資本しか、
幸福の源泉にはならないのだ。
ここで詳しく解説する余裕はないので、
興味がある人は『幸福の資本論』を読んでほしい。

大事なのは2000万円ではない。
2000万円は手段だ。
目的は豊かな人間関係の維持や発展だ。

だいいち、「2000万円」という、
お金をストックで捉えるのが、
なんともいえずダサいではないか。
少し勉強すれば分かるのだが、
お金には二種類ある。
「ストック」と「フロー」だ。

大切なのは「フロー」だ。
湖やダムに貯まった水と、
川を流れ続ける水が質的に違うのと同じように、
ストックのお金とフローのお金は質が異なる。
宝くじで1億円あたった後ニートになった人と、
毎月の給料30万円の仕事を27年続けた人、
お金の「量」は同じだが、
お金の質が違う。
フローの方が健全なお金のあり方だというのは、
バランスシートを読むのが仕事の、
フィナンシャルアドバイザーや銀行の融資部門の人は、
みんな知っている。

老後にフローを絶やさないために、
自分の人的資本(能力)に投資したり、
社会資本に投資したりするほうが、
投資や資産運用に貴重な頭や時間を使うより、
はるかに本質的で重要だと僕は思うが、
経済産業省はそれだと都合が悪い事情があるだろう。

かくしてビジネスマンが手に取る雑誌だけでなく、
主婦が手に取る雑誌にさえ、
今日も「資産運用」の文字がでかでかと踊る。
「資産運用しないと乗り遅れるぞ!」とばかりに。
そもそも世間が何かを煽り始めたら、
僕なんかはマユにツバをべっとり塗る方だから、
心はキンキンに冷めている。
煽る人がいるということは、
誰か得してる人がいるはずだ。
そして煽られている側は、
たいてい損する側であって得する側ではない。
ちょっと考えれば分かるはずだ。

筋トレのことを書こうとしたが、
話がそれすぎて時間切れなので、
今日はここまで。

続きはまた明日書くことにする。

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参考文献および資料
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・『老害の人』内館牧子(講談社 2022)
・『終わった人』内館牧子(講談社 2018)
・『LIFE SHIFT』リンダ・グラットン(東洋経済新報社 2016)
・『幸福の資本論』橘玲(ダイヤモンド社 2017)
・『投資なんか、おやめなさい』(荻原博子 2017)

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