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じゃがいもの畑と情報の畑




自分の五感から入ってきたものを「情報化」せずに、
誰かがすでに収集した情報をこれ幸いとばかりに重宝する。
こうした「情報処理」を主とするネットの世界はますます膨張し、
その一方で、あろうことか
農業や漁業といった一次産業がないがしろにされている。
現代の風潮はますます情報処理に偏っているように感じられ、
由々しき事態です。
           ―――『子どもが心配』養老孟司著 62頁



▼▼▼北海道の農業地帯を散歩して考えたこと▼▼▼


これを書いている8月8日現在、
季節性鬱の再発防止のために北海道に来ていて、
今は道東の川湯温泉というところにいる。

気温は17度ぐらいまで下がり、
暑い日でも最高気温が27度ぐらいだろうか。
とても過ごしやすい。

来て良かった。

気持ちが良いので毎朝、散歩をしている。

硫黄山という、煙がもくもくと立ち続ける、
「世にも不思議で幻想的な黄色い山」を、
1キロぐらい向こうに眺めながら、
北海道の農業地帯を僕はひたすら歩く。

一辺が数百メートルある正方形の畑の横を、
イヤホンでラジオを聞きながら僕はひたすら歩く。
時々、酪農の牧場がある。
「木村農場」とか看板が掲げてある。

帯広畜産大学にいたころにも思ったけれど、
「●●農場」っていう看板って、
だいたい酪農家なんだよな。
肉牛農家さんもやってたっけか。
養豚や養鶏や畑作では見たことない気がするんだよなー。

話を戻す。

畑にはいろんな種類がある。
小麦、蕎麦、じゃがいも、とうもろこし、甜菜、長いも。
パッチワークとよく言われるけど、
直線の定規で線を引いたように、
四角い区画が様々な色に色づく。
いつ見てもきれいだ。

「田舎の香水」と知り合いの酪農家が言っていた、
家畜の糞尿と飼料のまざった香ばしい匂いも、
東京の電車には似つかわしくないし、
北海道でも「街の人」は特に苦手という人が増えたけれど、
僕はまったく不快ではなく鼻から大きく吸い込む。
獣医科の学生時代は一年中、
僕からこの香りが出ていたのだから。
母校の匂いでもある。

馬を繁殖させながら、
「乗馬体験」の商売をしている観光農場がある。
「自家製ソフトクリーム」を併設する酪農家がある。
かつて6年間住んでいた十勝と似ているけど違い、
違うけど似ている。

話が一気に変わるけど、
僕はこの8年ぐらい、
自分がする仕事の大半を、
「脳内で農業をしている」ように感じてきた。

教会で話すことがあったり、
セミナーやワークショップや合宿を開催したり、
大学で教えることがあったり、
高校などで講演会をしたり修養会を導いたりしてきた。
広くは「人材育成」とか「教育」といったことになろうか。
「宗教」とか「哲学」とかの分野も少し含まれる。
なんかそういうのは偉そうだから好きではないけれど、
でも「僕からしか出てこないアウトプット」を求めて、
依頼者はお仕事を頼んでくれてきた。

何かしらこいつに話させたり書かせたりすると、
「収穫物」があるぞ、と。

けっこうそれはうまくいっているらしく、
ほとんどの依頼者はリピーターになる。
やはり何か「収穫物」があったのだ。

僕がこうしてメルマガを書いているのも、
ある意味僕の「脳内の畑」から、
収穫物をもぎ取って読者に提供しているとも言える。
家庭菜園のトマトやきゅうりを、
近所にお裾分けするように。

4年前から文章の販売もはじめた。
家庭菜園とはいえ、肥料だとか水道代だとかかかるので、
その分の足しにするために。
農家の庭先で無人販売をするように、
note で有料記事、有料マガジンを売り始めた。
登録者の方々が買い支えてくれるから、
無料メルマガが継続できている。

YouTube/Podcastの配信も、
年間300本弱している。
これもまた「脳内の畑の収穫物」だ。

これもまたお裾分けするように、
無料で公開しているのだけど、
コストの足しがないとやはり持続不能なので、
今後も続けていくための微々たる収益化として、
数年前から「プレミアム放送」を note で売り始めた。
これも文章と同じで無料の通常放送は、
プレミアム放送を買ってくれる方によって持続可能になっている。

「陣内義塾」という個人事業を立ち上げた。

FVIというNGOの会計状況は皆さんが思っている以上に火の車で、
この5年ぐらい赤字がつづいている。
しかも小さくない赤字が。
2度ほどあった予想外の大口の献金がなければ、
はっきり言ってとっくに潰れている。

活動が続いているのが奇跡みたいなもので、
ゆえにセルフサポートで活動する、
カタリストの「給与」は、
物価高の昨今でも増やせようはずもない。

というより僕は20代の頃に市役所職員だった、
公務員時代よりも高い月収を、
46歳の今までに手にした事がない。
これからもおそらく「サラリー」としてはないだろう。
そんなこと分かってて飛び込んだのだから、
「辛いよー嫌だよー」というつもりもまったくない。
そんなことは知ってたのだから。

とはいえ東京の生活費は高く、
妻は堅実に知恵深く節約して家計をやりくりしているけれど、
長女が生まれてからは「月の収支が赤字」のときが増えてきた。
食費もかさむし、モノも必要だし、教育費もかさむ。
子連れ家族で出かけるというのが
こんなにお金がかかると知らなかった。

さて、このまま少ない預金を切り崩しながら生活は継続できない。

2020年の1月に次女が生まれた。

妻の妊娠が分かったときから、
僕はひたすら考えた。

考えに考えた。

さて。

困った。

アルバイトを始めるか。

求人サイトを調べたりもした。

でも、よくよく考えると、
なんか僕の「脳の畑」は、
けっこう「市場価値」があるんじゃないかと思い始めた。

じんわり温めたのは3年ぐらい、
具体的な構想には6か月かけて、
「陣内義塾」を創業した。

税務署に届けた開業日は2020年1月29日。
次女の誕生日だ。
「次女のおむつ代を稼ぐための起業」
という事実を忘れないために。

FVIの神田先生や柳沢さんにかけあって、
「副業」を認めてもらった。
時間を使わせてもらうわけなので、
「売り上げの2割」をFVIに寄付する約束をした。
利益ではなく売り上げの2割だ。
商売してる人なら分かると思うけど、
少なくない率だよ、これは。

元手がかかる商売はできない。
在庫も抱えられない。
「脳内の畑の収穫物」だけが頼りだ。

またまた突然、話が過去に飛ぶが、
父親の陣内学は東大工学部(理科一類)に現役で合格した。

自慢したいのではない。
そもそも俺の話じゃない。
そうじゃなく、彼の高校のころの「Z会」の話をしたいのだ。

陣内学は当時「Z会」界隈で少し有名だった。
数学で「全国上位者」として頻繁に名前が載っていたからだ。
でもこの「名前」は「ペンネーム」にする文化があり、
陣内学のペンネームは「頭脳で勝負」だったのだそうだ。
東大の入学式のあと、男子トイレで知らない同級生と並んで、
「Z会やってた?」みたいな話になり、
自分が「頭脳で勝負」だと打ち明けるとその人は、
「え? あなたがあの頭脳で勝負さんなんですか!!」
と尊敬されたという。
ラジオリスナーが有名なハガキ職人に会ったときの感覚。

でも、よくよく考えてみよう。

頭脳で勝負。

圧倒的にダサい。

絶妙にダサい。

ダサすぎるペンネームだ。

でも、陣内学が52歳で他界してから20年後、
2020年1月に陣内義塾を起業した僕は、
「頭脳で勝負」しようとしていたのだ。

お父さん、見てますか?

あなたの息子は頭脳で勝負してますよ。

何の話?

そう、起業の話。

Googleで「教会 コンサルタント」と検索しても、
1件もヒットしなかったので、
陣内義塾は「日本初の教会コンサルタント」を名乗った。
多くの人が「絶対にお客さんはつかない」と言った。
依頼する人(教会)がいるわけがない。
教会を知悉する人ほど商売にならないと「確言」した。

僕は逆に「これはいける」と思った。
多くの人が「絶対無理」と言うことの中にこそ、
可能性の種は往々にして埋まっている。

かくして起業して4年が経つわけだけど、
お客さんは絶えたことがない。
皆、リピーターになる。
FVIに毎年20万円以上を献金できるようになった。

次女のおむつ代だけでなく、
僕の筋トレ代と車の維持費も稼げるようになったし、
妻にプレゼントもできるようになった。

最高だ。

陣内義塾の業態は、
ひとことでいうと、
「脳みそ貸し出し業」だと思っている。

今の時代、「自分の頭で考える人材」を雇うのは、
本当に本当に本当に苦労すると聞く。
しかも「失敗のコストは極大」だ。
高いリクルート費用をかけて、
高い給料と福利厚生という固定費を支出して、
しかも悲しいことに使い物にならないことも、
数年で辞めていくことも少なくない。

経営者にとっては地獄だ。
これは「牧師の招聘」にもまったく同じことが言える。

そんなリスクを負わず、
「1時間だけ脳みそを貸し出す」。

けっこう良い商売だと思う。
ボロ儲け、という意味ではない。
利用者にとってメリットがあり、
僕にとっても持続可能だ、という意味で。

これもまた「脳内の畑の収穫物」だ。

さて。

知識社会の21世紀に、
情報化が「極点に達した」ような、
超巨大都市の東京に僕は住んでいる。

東京でじゃがいもは育てられない。
一辺200メートルの畑の土地費用は、
天文学的なものになり、
コストが収益を大幅に上回る。
東京は農業で稼ぐのには向かないのだ。

東京にいる人の多くは「情報」で稼いでいる。
永田町、霞ヶ関、丸の内、日本橋、渋谷、汐留、お台場、赤坂。
政治と行政と金融とビジネスとマスメディアの中心地が東京にあり、
出版業もいまだに70%以上が東京に本社を置く。
あと、大学や専門学校も数多ある。
東京にはどの駅にも大学があって驚く。
じゃあそこで働くホワイトカラーの労働者は何をしているか。
ひと言でいえば「情報処理」をしている。
あと加えるなら「対人サービス業」。

でも「情報で稼ぐ」のにもいろいろあるな、
と僕は思ったのだ。

北海道の農家にも、
農協の「F1の種」と農協の肥料と、
農協からリースされるコンバインと農協の農薬で、
農協が指定する作物をつくり、
農協にそれを売ることで生計を立てる、
まさにオーソドックスな農家(酪農家)がいる。
この人たちは「規模の経済」で効率的に農業を営み、
そして集団の持ち合いでリスクを分散している。
正確な統計は知らないけれど、
たぶん全農家の9割がこれにあたる。

その一方で、
観光農場を始めてみたり、
有機農業でつくった作物を、
全国にEC販売して独自に販路を開拓したりする、
アントレプレナーもいる。

この人々は自分と消費者の間に、
直接的な関係を切り結ぶことで、
農業を持続可能たらしめようとしている。

リスクは往々にして個人で引き受ける。

表面上は同じ農業だけど、
収益構造は驚くほど違う。

東京で「情報で稼ぐ」も似ている。

農協スタイルは東京では「サラリーパーソン」だ。
情報で稼ぐ会社や組織に所属して情報で稼いでいる。

一方で「観光牧場」スタイルもある。
お客さんと直接的に関係を切り結ぶ。
東京にいる様々な業種のフリーランサーがこれだ。

川湯の牧場地帯を散歩しながら、
さびれた「農家のアイスクリーム屋さん」を見ながら、
僕の場合、情報版の「観光牧場」だなぁ、
と思ったのだ。

あ、ひとつ断っておくと、
じゃがいもを育てるのと、
脳内の収穫物を育てるのでは、
じゃがいもを育てるほうが圧倒的に「偉い」と僕は思っている。

じゃがいも農家は情報なしに生きていけるけど、
僕はじゃがいもなしには生きていけない。

一次産業は、いつの時代も、
いちばん「偉い」のだ。

なぜか反対に考える人が多いのがいつも不思議なのだけど。

『イワンの馬鹿』を一度みんな、読んだ方が良い。


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