2020年という「しんきろう」について
どうも僕です。
なかなか忙しく、
文章を書く時間が取れずに、
ご無沙汰してしまっていました。
いやはや。
書けるときもあれば、書けないときもある。
というぐらいの感じで、
やっていきたいと思います。
でも、更新を途切れさせないため、
5分ぐらいの音声コンテンツを毎晩配信しています。
「声のブログ」というかたちで。
これはまぁ、
僕が思ったこととか、
読んだ本とか見た映画を、
どこかで書いたり話したりして紹介するまえに、
一度短くアウトプットしておくことで、
さらに記憶に定着させられるかもしれない、
という備忘録的なものです。
まぁ、興味ある人は聞いてみてください。
もしかしたら面白いと思っていただけるかもしれません。
YouTube、Podcastでの配信もしているので、
まぁ、重複しているといえば重複しているのですが。
意味ないな、
と思ったらやめます笑。
さて。
何を書きましょうか。
12月になったということで、
この1年を振り返ってみましょう。
誰にとっても、
もしかしたらこの1年は振り返りたくないものかもしれませんね。
あまりにもディストピアな一年なので。
映画『天気の子』で、
雨に沈んだ東京が出て来ます。
そんな世界に僕たちは生きている。
あるいは同じ新海誠の、
『君の名は』で、
隕石によって消滅した村が出てくる。
そんな世界に僕たちは生きている。
東京オリンピック2020の熱狂も、
皆さんが個人的に抱いていた旅行の計画も、
何かしらの企画やイベントやビジネスも、
嘘のようになくなってしまった。
SF作品だったとしても、
そんなわけあるかい、
と突っ込みが入るような世界に僕たちはなぜか、
生きている。
街中で人々はフェイスシールドをし、
誰もがパソコン越しに仕事をし、
あらゆるイベントが中止になり、
政治は趣味の悪いコメディのように混迷を続ける。
『君の名は』の主人公たちのように、
「あり得たかもしれないもうひとつの現在」
に至る分岐点まで戻って、
ボタンの掛け違いを直すことができるチャンスがあるのなら、
そのための「人柱」となって命を差し出すという人だって、
もしかしているかもしれない。
でも、幸か不幸か分からないけれど、
そんなチャンスは僕たちには提供されていない。
僕たちは、
「いま、ここ」
を起点に考え始めるしかない。
とりあえず、
ここから始めるしかない。
さて、どうしよう。
まずは1年を振り返ってみる。
僕の場合、
今年は実は、
忙しくなる予定だった。
夏には、8年ぶりぐらいに、
アメリカに行く予定だった。
義理の兄が結婚するので、
テキサス州オースティンで結婚式に出席する予定だった。
花婿の付き添いとして、
スーツの色まで指定されていた。
そのついでに、
アメリカにいるメンターの家にも、
滞在する予定だった。
子どもたちのパスポートも取った。
0歳の娘は証明写真のボックスに入れないので、
写真館に行き、
地下鉄大江戸線、新宿都庁駅の改札を出たところにある、
地下の旅券課に行き、
1万円以上の収入印紙を買い、それを貼り付け
「いつも思うけど、なんだこの二度手間システム」と毒づきながら、
家族4人分のパスポートを受け取った。
(僕と妻のぶんもちょうど今年で期限が切れるので)
全部で5万円以上かかった。
あとはH.I.Sでヒューストンかダラスまでの格安航空券を買うばかりだった。
ESTAって面倒くさいよな、とか考えていた。
そんなときに、
緊急事態宣言が発令された。
「たぶん今年はアメリカに行けない」
とそのころには思うようになっていた。
オースティンから、
メンターのいるアリゾナまで、
Hertzのレンタカーでドライブするのは、
一生に一度できるかできないかの、
大冒険になるんじゃないかとか、
アメリカのスーパーに行ったら、
ビーフジャーキーをしこたま買い込むぞ、
とか、
もう7年履いている、
古くなったニューバランスを、
買い換えるチャンスだ、と考えていた。
Made in U.S.Aのニューバランス996は、
日本で買うと2万円を超えることもある(!)が、
アメリカなら運が良ければ100ドルそこそこで買える。
Patagoniaの直営店にも行こうと思っていた。
娘2人と妻とで、
テキサスの有名バーベキューハウス、
「Salt Lick」に行くのも楽しみだった。
あそこには8年前に、
当時テキサスの大学で教えていた弟に連れて行ってもらって、
その美味さに度肝を抜かれていたのだ。
アメリカ人が飲食店に行列をつくるのを、
僕はそのとき初めて見た。
そしてバーベキューを食べたとき、
その理由に納得した。
肉はあくまでしっとりしていて、
スモークの香りはあくまで上品で、
ソースのスパイスの味は複雑かつシンプルだった。
食べ応えは十分なのに、
いくらでも食べられる。
すべての人の胃袋をブラックホール化する魔力を、
Salt Lickのバーベキューは持っていた。
そんな計画も、夢も、
蜃気楼のように消えた。
オリンピック招致に頑張っていた(今も頑張っているという説もある)、
20年前、森喜朗元首相は、
あまりの支持率の低さに、
音読みして「しんきろう内閣」と呼ばれていた。
ブラックユーモアを申し上げれば、
東京オリンピックの熱狂も、
しんきろうのように消えてしまった。
僕の「オリンピック中の日本を脱出するための、
アメリカ渡航計画(本当は結婚式のため)」
も、しんきろうのように消えてしまった。
皆さんの2020年もまた、
しんきろうのように、
消えてしまったのかもしれない。
でも、振り返るとき、
たしかにそこには、
過ごしてきた365日がある。
(まだあと30日ほど残っているけれど)
その365日は、
「思っていた365日」とは違うかもしれない。
でも、
『天気の子』で、
雨に沈んだあの東京のように、
たしかに僕たちの記憶には、
「思ってたのと違う1年」が横たわっている。
さしあたり、ここから考え始めるしかあるまい。
森喜朗のように当初の計画に固執し、
あとは「神に祈る」という態度よりも、
この現実をまずは受け止めるほうが良い、
と僕は思う。
そして、
現実を改変する豪腕ではなく、
「この1年は正解だったのか」という、
「正解主義」でもなく、
与えられた現実を、
「正解たらしめる」ために、
何をすべきかを考える、
思考の柔軟性が、
いまは大切なのだと思う。
きっとSalt Lickのバーベキューは、
今もしっとりしていてくれるはずだ。
いつの日か再会するその日まで、
あくまでしっとりし続けていてくれるはずだ。
僕は「世界」というものを
そんなに固く信頼しているほうではないけれど、
僕の「世界への信頼」は、
そういうところに碇を下ろしている。
オリンピックの熱狂ではなく。
悲喜劇のような政治の狂騒でもなく。
僕たちはこの世界をそれでも、
信頼できるはずだ。
バーベキューがしっとりしている限り。
アメリカのスーパーで売っている、
テングのビーフジャーキーが、
ガシガシとジューシーである限り。
今この記事を書きながらタブレットで聞いている、
『素晴らしきこの世界』を歌う、
ルイ・アームストロングの歌声が
明日もまた、
昨日と同じように空気を震わせてくれるかぎり。
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