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一切我今懺悔、不真実の為、書き変えました(再再推敲後、再読をお願いいたします🙇🏻)

西有穆山(にしありぼくさん)禅師は風外禅師の3人の偉い弟子の一人、奕堂(えきどう)禅師のお弟子であり、澤木興道老師の師の師にあたる方なので、正法眼蔵啓迪(しょうぼうげんぞうけいてき)を拝読していると、やはり非常に感動があり、法喜禅悦(ほうきぜんえつ)の思いで、時の経つのを忘れて読んでしまう。書を拝読することは、古を慕い続ける思いで、我見を投げ捨てて読まなければならない。 ただわが身をも心をもはなち(放ち)わすれて(忘れて)仏のいへ(家)になげいれて、仏のかた(方)よりおこなは(行わ)れてこれにしたがひ(従い)もてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれ(離れ)仏となる。たれの人か、こころに(心に)とどこほるべき。仏となるにいとやすき(易き)みち(道)あり、もろもろの悪をつくらず、生死に著する(じゃくする、執着)こころなく、一切衆生(人間も動物も物も全て)のために、あわれみふかくして(慈悲心)、かみをうやまひ、しもをあはれみ(これは魂、精神、心が磨かれている人を上、磨いていない人を下と言っている、命の尊さとしてははどの人も平等だが、その上で悪平等ではなく学ぶ関係、教える関係になることはあるの意)、よろずをいとふこころなく、ねがふこころなく、心におもふことなく、うれふることなき、これを仏となづく。またほかにたづぬることなかれ。(道元禅師 正法眼蔵生死 しょうじ の巻の後半最後の文)やはり啓迪にも、親鸞聖人が浜子で道元禅師に会って道を聞かれ、その時払子 ほっす という道具を禅師が手ずから聖人に贈り、生死の巻を贈ったと書いてある。坐禅の、全てを手放した透明な境界(きょうがい、世界)只管打坐(しかんたざ、何の得も悟りも求めずただ坐禅する、只管は三昧と同じ意味)から、この文を読むと理解できるのである。一つ一つの項目が容易ではないので、一生をかけて、実践したいと思う。
 法喜禅悦の事で大事な処がある。キリストも人はパンのみにて生きるにあらずと話しておられるように、大切なことを学ぶ事は深い喜びがある。しかし、本来、執着するものは何もないのだ。
 しゃか(釈迦)という いたつら(いたずら)ものが世に出て おほく(多く)のものをまよは(迷は)するかな (一休さん 一休道歌より)
 法執すらなおなし、いはんや世執をや(自己の正体🟰坐禅は、仏様、仏法、坐禅、お釈迦様、お経など一切に執着してはいないのだから、ましてや世間の欲望への執着は言うまでもない 道元禅師)
 殺仏 (せつぶつ 中国の南嶽懐譲禅師 なんがくえじょう禅師の語)
 仏様をそしる罪になるので決して真似をして言ってはいけない事だ。坐禅し、このただの妄想分別でしかなく、不真実である言葉が指し示している「真実の月」を見ることは(照見五蘊皆空、見性成仏)【宗教間の戦争を防ぐ為】に大切だ。
 道元禅師が中国から日本に帰ってこの話をしていた所、解脱上人様が、「ああもったいない、仏様のことを殺仏だなどと言っている、禅宗はすぐに滅びるであろう」と涙を流しながら語り、それを伝え聞いた道元禅師が、「了簡が狭い」とつぶやいたという。しかし、解脱上人様の言葉も特に大切にしなければならない。このお二人の心は、凡見で見るとどちらが勝ったという事になるが、実に平等にどちらも欠けてはならない大切な御心である。道元禅師も坐禅というお題で、「この心 天つ(あまつ)空にも花そなふ(供う)三世(みよ)の仏に奉らばや(たてまつらばや)」と詠い、正法眼蔵供養諸仏の巻があり、礼拝、修懺、念仏も大切にしている。人間の分別のどちらかに偏り、執着してはならない。(油断すると偏りますね、、、懺悔)真実に大乗仏教で大切にしなければならない処は分別と無分別、信と不信、殺と活、正と邪、善と悪、自と他などの分別を人間の頭の中で分ける以前の処なのだから。(その心が正法眼蔵涅槃妙心)
 キリスト教の、科学者への対応の失敗や宗教戦争により、西洋キリスト教文明が終わり、その後「世俗化した」西洋科学技術文明が世界に広まった。ただ、原罪や煩悩は未だに克服されてはおらず、それにスピードをかけ、無限の推進力を加えただけなのである。文明の行き詰まりに気付いた西洋は、転換させたいのだが、また元の西洋キリスト教文明に戻る訳にはいかない、宗教戦争を再び起こす訳にはいかないからだ。寛容の大切さという事はいくら肝に命じても過ぎるということはない。科学技術を大切にしながら、さらに高い精神性を持った新しい文明をこれから築いていく為に、真実の大乗仏教の精神が重要になる筈である。 

 澤木興道師の最後の弟子、弟子丸泰仙(でしまるたいせん)師は、単身フランスに渡りヨーロッパに坐禅を広めた。坐禅の姿が立派で、(像が作られている)「ダルマがきた!」と、ヨーロッパで禅ブームが起きた。ただ、弟子丸師は、ブームではなく、西洋が真剣に文明を転換させようとしていると語っていた。ノーベル文学賞を辞退されたフランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルは道元禅師の禅を「行動する禅」と呼び激賞した。
 「愛するということ」を書いた哲学者エーリッヒ・フロムは弟子丸師と文通し、禅を学んでいた。
 ハイデッガーも無の哲学といって仏教の無を意識していたと思う。






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