菅原耕道

スティーブ・ジョブズ氏と同じ曹洞の坐禅、スタンフォード大学曹洞禅センター、ヨーロッパ禅…

菅原耕道

スティーブ・ジョブズ氏と同じ曹洞の坐禅、スタンフォード大学曹洞禅センター、ヨーロッパ禅協会と同じ仏教を慕って修行しています。

最近の記事

現代の煩悩

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。  無常迅速、生死事大なり。時、人を待たず。聖を去りては必ず悔いん。(宝慶記)  澤木興道老師の名言集を3冊拝読していた。株式会社ディスカバートゥエンティワンからも刊行されている。法隆寺の勧学院で佐伯定胤僧正のもと唯識を学ばれてから、坐禅に生涯を捧げられた老師の言葉は、現代においても非常に大きな意味をもっていると思う。(平言葉で表現できぬということは、学問がこなれておらぬからじゃ。と、仏教を分かりやすく表現するこ

    • 坐禅と男女同権と平和への願い(推敲後)

       現在、正法眼蔵全講(岸沢惟安老師)を拝読している。これは分厚い本が24巻ある為、読み終わるまで10年はかかると思う。(諸行無常ではあるのだが、修行生活を疎かにしたくない為、少しずつ読むことにした)「しるべし仏家には教の殊劣を対論することなく、法の浅深をえらばず、ただし修行の真偽をしるべし  正法眼蔵 弁道話巻」  正法眼蔵礼拝得髄(しょうぼうげんぞうらいはいとくずい)の巻に非常に感動する。道元禅師が鎌倉時代にすでに男女同権(フェミニズム)を説いているのである。  「いずれも

      • 菩薩道を慕う

        丘宗潭(曹洞宗大学 現在は駒沢大学 学長 )老師の禅戒鈔講話を拝読させていただいた。禅戒鈔は、江戸時代の万仭和尚(ばんじんおしょう)が著されたものだ。また、丘宗潭老師は、澤木興道老師の師であった。丘老師が、修行僧の小参(しょうさん、疑問を尋ねること)を受けた。僧 「一大事(仏教の肝心であり、人生で大事なこと)をお示しください」 丘 「一大事、何、貴様のか」 僧 「私の一大事です」 丘 「貴様一人くらい、どうだっていいじゃないか ワハハ」(現代では、パワハラですね)澤木興道老師

        • 人類の永続を祈る

           内山興正老師に師事されていた、水原舜爾先生(岡山大学医学部教授)のご著書を4冊、拝読させて頂いた。私は看護師の資格を持っていて、昔、フローレンス・ナイチンゲールの「看護覚え書き」を読み、看護の知識は専門家だけが持つものではなく、すべての母親が持つべきものであるのでこの書を書いたとあるのを見て、感動した事を覚えている。また、看護学校では、日本看護協会出版会から出版されている、渡辺和子シスターの「現代の忘れもの」が配られ、読ませていただいたり、マザー・テレサ(1979年 ノーベ

        現代の煩悩

          大自然のゆるし  (一部追記)

          私の師、青山俊董尼と親交のあった尻枝正行神父様の事。尻枝神父様は、ヴァチカンでローマ法王の側近で活躍されていた、世界的神父様である。尻枝神父様が中学生の時、第二次世界大戦が終わった。お父さんが戦死され、家も焼けてしまい、お母さんと兄弟四人で、途方にくれていた。家族の為に、彼は教会建設の資材が積まれた処に忍び込み、リュックにくぎを詰め始めた。そこで黒い服を着た、ロンカート神父様に見つかってしまい、捕まってしまった。しかし、神父様は、くぎを一緒にリュック一杯に詰めてくれ、「足りな

          大自然のゆるし  (一部追記)

          人類の叡智を永遠にと祈る

          ゲッセマネの祈り 願わくはこの苦杯(さかずき)を 弱き我より過ぎ去らせたまえ されどわが意(こころ)のままにとにはあらず 御意(みこころ)のままになしたまえ キリストの磔刑前の祈りである。内山興正師は前半の半分が仏教では南無観世音と助けを求める気持ちの一心称名、後半が南無阿弥陀仏の感謝のお念仏にあたると話された。「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」(道元禅師)とあるが、人生観を深め、死を見つめる(メメント・モリ)ことは大切である。博多の仙厓和尚は、辞世の一句を求

          人類の叡智を永遠にと祈る

          自然を深く敬って生きる 人間中心のパラダイムの転換を(推敲後)

          聖フランシスコ 「医師の祈り」 主よ 私をあなたの医療のしもべにしてください。 病には治療を、怪我には救助を、苦しみには安堵を、悲しみには慰めを、 絶望には希望を、死には受用と平安とをもたらすことができますように。 どうぞこの私が自分を正当化するよりも他に慰めを与え、 服従を求めるよりも他を理解し、名誉を求めるよりも他を愛するようにしてください。 なぜならば私たちは自分を与えることによって人々を癒し、相手の話を聞くことによって慰めを与え、そして死によって「永遠の生」へと生まれ

          自然を深く敬って生きる 人間中心のパラダイムの転換を(推敲後)

          一切我今懺悔、不真実の為、書き変えました(再再推敲後、再読をお願いいたします🙇🏻)

          西有穆山(にしありぼくさん)禅師は風外禅師の3人の偉い弟子の一人、奕堂(えきどう)禅師のお弟子であり、澤木興道老師の師の師にあたる方なので、正法眼蔵啓迪(しょうぼうげんぞうけいてき)を拝読していると、やはり非常に感動があり、法喜禅悦(ほうきぜんえつ)の思いで、時の経つのを忘れて読んでしまう。書を拝読することは、古を慕い続ける思いで、我見を投げ捨てて読まなければならない。 ただわが身をも心をもはなち(放ち)わすれて(忘れて)仏のいへ(家)になげいれて、仏のかた(方)よりおこなは

          一切我今懺悔、不真実の為、書き変えました(再再推敲後、再読をお願いいたします🙇🏻)

          師への感謝

          現在、西有穆山(にしありぼくさん)禅師(横浜、西有寺に住職した為、にしありと呼ぶ)の正法眼蔵啓迪(しょうぼうげんぞうけいてき)を拝読させていただいている。澤木興道師の、「一切経は坐禅の脚注(説明)である」という言葉により、難解な文章も何とか理解することができる。坐禅の仏凡、能所、自他など一切の分別を手放した処が本当に大切な処だ。仏陀は常に禅定を修し、その坐から立って説法をされた。「坐禅は自己の正体なり」(道元禅師、正法眼蔵随聞記)「聖人に己なし、己ならざる処なし、天地と我と同

          師への感謝

          21世紀以降の人類の歴史は(再推敲後)

          (人類歴史方向の深さ) 二十一世紀以降へのメッセージ 古来東洋の文化は落着き志向の文化 古来西洋の文化は生き甲斐志向の文化 仏教は一切ぐるみである自己が ひたすら 一切ぐるみの自己する 自己落着きの宗教 基督教は壮大な摂理展開による いのちがいのちに成長する いのち生き甲斐の宗教 仏教基督教は近代科学技術文化とともに 人類がいままでに築いてきた最高文化遺産 この歴史的最高文化遺産を もし二十世紀時代のように切り捨てて顧りみず 仏神に代り人間欲望のみを至上価値として ただ欲

          21世紀以降の人類の歴史は(再推敲後)

          社会、文明の真の進歩の方向は

          道元禅師は、後嵯峨上皇から紫衣を賜っても3度辞退され、最後に止むを得ずお受けになった時、 永平、谷浅しといえども 勅命の重きこと重々 却って猿鶴に笑われん 紫衣の一老翁 という偈(げ)を詠まれ、一生高閣に納めて着ることはなかった。一生墨染めの黒衣で過ごされ、名誉、利益への欲を徹底的に捨て去った道元禅師。母、伊子の父は摂政関白藤原基房公であり、名誉、利益の全てが手に入る道元禅師にして、、である。  同時代、イタリアのアッシジには聖フランシスコが宣教していた。ギリシャ、ローマ文明

          社会、文明の真の進歩の方向は

          真実語を書きたい

          私は、青山俊董師から戒名を頂いた。ハーバード大学に講演に招かれた世界的な尼僧様である。  道元禅師偈(げ) 西来の祖道 我東に傳う(印度から中国そして今、日本へと道を伝えた) 釣月耕雲(ちょうげつこううん=日常の生活の一つ一つの行)古風を慕う(古風=真実 禅とは、最も洗練された人生態度である 内山興正師) 世俗の紅塵 飛んで不到(いたらず)(場所がどこであろうと、坐禅を行じ、心のありようによって世俗は強欲や自己中心性で溢れていても、自分の心には到らない) 深山雪夜 草庵の中(

          真実語を書きたい

          「平和に向かって」絶対必要な「自己の大人性」(推敲後)

          「それはこの宗教が自己中心性の一つの表現にほかならず、またこの自己中心性たるやすべての相剋のもとであり、さらに集団の自我は個々人の自我より一層危険な崇拝の対象だからである。集団の自我がより危険なわけは、それが一層力強くまた悪魔的であるばかりでなく、信仰するに価しないことがそれほど明瞭にわからないからである。〜中略〜この集団の力は、個々人の自我になんらかの抑制を加える理知と意志との支配下を脱しているゆえに、それは潜在意識下の感情のなすがままになるものである。そして個人が罪を犯す

          「平和に向かって」絶対必要な「自己の大人性」(推敲後)

          悪は「自己」が見ている

           法然上人は、「誰にも聞かれないように、盗っ人するように念仏申せ」と元泥棒の弟子に話された。善い事でも、人に見せびらかしてはいけないということである。「宗教とは人知れず心の中に本物を持つということである」(澤木興道)「あなたが祈る時は、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(聖書)「潜行密用(せんこうみつよう)は愚のごとく魯(ろ)のごとし。ただよく相続するを主中の主と

          悪は「自己」が見ている

          反戦〜人間の思考の限界〜   (推敲後)

           戦争はいつでも、国家間の争いから、家族間、宗教間の争いに至るまで、正義の旗印のもとに行われる。  忿を絶ちて、瞋を棄て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず、かれ必ずしも愚にあらず。共にこれ凡夫(智慧が少ない人間)のみ。(十七条憲法) 「人をみな虚偽者(いつわりもの)とすとも、神を誠実(まこと)とすべし」「聖人なし、一人もあることなし」(聖書) 「人間(じんかん)の是非、

          反戦〜人間の思考の限界〜   (推敲後)

          現代人の「自己」の生き方

          ヘルマン・ヘッセの詩 日本の森の渓谷で風化してゆく古い仏陀像 やわらげられ やつれて 多くの雨と 多くの霜にさらされ みどりに苔むして あなたの穏やかな頬 あなたの大きな 伏せられたまぶたは 静かに目標に向かって行く すすんで朽ち果て 無に帰するという目標に 一切の中に 形のない無限の中に 消えかかっているその身振りは今も告げている あなたの王者としての使命の高貴さを そしてやはり早くも求めている 湿り気とぬかるみと土の中に 形にとらわれぬ身振りの意味の完成を 明日は根と

          現代人の「自己」の生き方