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ベトナムで起業し、自らにビザを出し、生活を安定させるまでの話


はじめに

社会に出てから毎年末に振り返りnoteを書いており、今年で3回目になります。2019年、2020年は以下を書きました。2020年2月からベトナムのホーチミン市に在住しています。今回は2021年の後半の振り返りですが、特に私が1人で法人登記(=起業)し、ビザを発行し、税金を払ったりするプロセスが最初分からなさすぎて本当に困ったので、その辺を具体的に書くことで、これから同じことをやろうとする日本人が助かったら良いなーと思っています。

ロックダウン

今年はなんといってもロックダウンの1年間でした。2月中旬から3月初め、5月初めから9月終わりまでの合計約6ヶ月間はほぼ外出できず、特に8月末からの1ヶ月は生鮮食品すら買いにいけず、食糧の調達の不安もありました。現在はホーチミン市の気温も相まって、まだ7月くらいのテンションです。なんとかことを前に進めようとしていたものの、外的要因でどうすることもできなかった期間はとにかく苦しかったです。

普段考えることはないものの、自分の人権感覚とベトナムにおける人権感覚の違いを感じる出来事も多くありました。例えば、自分の住むアパートに感染者が出た場合の即時ビル封鎖、そして例え重要なミーティングをしていても急にやってくるPCR検査など簡単に領域が侵されてしまうということもありました。偽物のドラえもんみたいな検査官がグリグリしてくれました。

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ドラえもんカラー

また、途上国で暮らす事による医療面・情報面・金銭面での不安も大きくありました。仮に感染した場合は野戦病院に送られるのか?重篤化した場合、ベトナム人は全額保証されるが、外国人は全く保証されないが保険には基本的にコロナがカバーされていないため、「人工肺をつける事態に陥るくらいならば殺してくれ」と今でも思っています。心配性なので、遺言アプリに登録し、両親・きょうだいには自分が死んだ時にメッセージが送付されるようにもしました(心配性が過ぎますね)

全くコントロール不可な状況下の経験は当たり前の日常が全く当たり前ではなくなってしまったこと、コントロールできない状況をコントロールしないで受け流すことなど、今後を生きていく上での心構えを身につける期間だったと今は受け止めていますし、そうする他ありません。

退職

2年弱全力で働いた前職のManabieをロックダウン真っ只中に退職しました。

ロックダウン期間中は事業のケア、自分のケア、メンバーのケアなど本当に大変で、その分学びも多い期間でもありました。リモートワークがというより、周囲で実際に親族がコロナの影響で亡くなったり、アパートで感染者が出て封鎖されたり、全く外に出れないなどの状況下でどのメンバーもストレスを強く感じており、その中でどうチームをモチベートして、事業も維持するだけではなく伸ばすのかというのは非常に難しいものでした。

僕がいた期間ではオンラインでしか運営ができない中でも事業を維持していける土台を作る、というところまでしかできませんでしたが、当時頑張って続けてくれた人たちが引き継いでくれた事業はロックダウン期間を乗り越え、今もしっかり回っているようで、外からではありますが全力で応援しています。

一方、反省もあります。退職はポジティブな理由でしたものですが、ロックダウン期間を含め、長期戦を戦う走り方をできていなかったというのは1番の反省です。例えば、メンバーと事業を優先するばかりで自分の健康やメンタルを放っておいてしまったり、早く休むべき時に理由をつけて休まなかったり、自分に高い課題を課しすぎてしまったりと、これから長く事業運営をしていくことを考えた時には、反省する点でした。

塞いだ気持ちを乗り越えるまで

上述のように、ロックダウンの中でキャリアについて、将来についてを自問自答した日々は苦しいものでした。辞めるのか辞めないのか、辞めるなら次は何をしたいのか、日本に帰るか帰らないか、など悩みの要素は尽きませんでした。既に同棲し婚約間近のパートナーがいたこともあり、最終的に独立し、法人を作ることで自分に対してビザを出そう = 起業をしようという意思決定に至理ました。

独立に至る思考プロセス

閉塞感を打破するには、コンフォートゾーンから抜け出して、厳しい環境に身を置くしかない、というのがモットーです。そんな自分を奮い立たせることのできる環境はどうしたら見つかるのだろうか、という風に数ヶ月はウジウジ悩んでいたように思います。結論から言うとそんなものはなく、自分で作るしかないものだと今は思います。

先日偉大な先輩の助けを借りて整理できたのですが、当時から今に至るまで、4つキャリアにおいて重要な観点があります。1つ目がベトナムに居住すること。これはパートナーと2年弱すでに時間を共にし、これ以上合う人に会う可能性は限りなく低いだろうと思っているからです。2つ目が共感できるミッションを掲げるサービス開発を通じてスキルと経験を強化する。3つ目が東南アジア向けのサービスを手がけること。これは20歳くらいの頃から思い描いています。マーケットの理解は難しいが若者が多く、まだまだこれからの市場に未来を見ているからです。4つ目が自分でやる。

1つ目の理由から、まずはベトナムに居住するために会社を作り、自分にビザを発行できる体制を整える必要がありました。ベトナムで会社を運営している先輩から法人設立・税務周りに詳しい現地のコンサルタントの方を紹介していただき、会社設立費用、ビザ費用、資本金を用意し、税務周りについての理解も深めていく必要がありました。この期間に引越しも重なったため、一時的にベトナムにおける銀行残高が13万円になっており、とてつもなくヒヤヒヤしました。

2つ目の「共感できるミッションを掲げるサービス開発を通じてスキルと経験を強化する」に関しては、2つの観点があり、それらを自分で作っていこう、という話と既にそうしたサービスを提供している会社に入って一緒にやらせていただこうというところです。現状の方向性としては、どちらかといえばいただいている仕事を優先しつつ、週末と夜を使って自分の手掛けたいサービスの開発を進めていく、というようにしています。ありがたいことに、現在複数社から仕事をいただけており、プロダクト開発、グロース、データ基盤などの領域を担当しています。チャレンジングな課題も多く、2つ目に関しては満たせてきているような感じがしています。

3つ目の「東南アジア向けのサービスを手がける」と4つ目の「自分でやる」は独立した軸ではありますが、東南アジア向けのサービスを手がけるのであれば、自分でやるしかない、というのもまた真です。例えば日本ならある程度お金になるビジネスだが、ベトナムだとまだお金にはならない、ただ1個人としてはそこに今から張りたい、といった時に、なかなか誰かの下でやる、というのは難しいのかなと考えています。現在は領域が定まり、ユーザーリサーチをしつつ、副業で数人に手伝っていただきながら、MVP開発をスタートしています。

起業の法的プロセス・ビザ、そして受注と支払い

起業の法的プロセスは自分だけでは実際わからないことが多いので、コンサルティングファームを利用しました。とはいえ、大企業のようにBig4に頼めるような状況でもなかったので、紹介経由でいくつかの候補を絞り、価格が最も良心的な会社を選びました (もし気になる方は私の方までご連絡くださいませ:elegygray@gmail.com)

またその過程で、外国人1人オーナーで起業をしようとすると時間がかなりかかることがわかり (時間がかかるだけで無理ではないです)、私の場合は同棲していた彼女に最初の代表者になっていただき、その後会社を買い取る(紙の上では)というプロセスを取りました。大体会社を作るのにコンサルに払った費用が2,700USDでした。このプロセスでは大体2週間足らずで会社の設立自体はできました。

法人登記する傍ら、ビザの準備も進めなくてはなりません。こちらも同じ会社がサポートしてくれまして、色々含めて大体1,500-1,800USDというところでした。手続きを開始してから約1.5ヶ月で全てが完了しました。価格にレンジがあるのは、日本にいる間にとっておけばお金を積まなくて良い (ex. 大学卒業証明書、無犯罪証明書、など)もののうち、ロックダウンで日本に帰国できないが故にお金で解決せざるを得ないものがあったからです。なんとも現金な・・・

この会社は(そして多くの会社も)法人登記・ビザ・税務・ライセンス周りなどをサポートしてくれるケースが多いです。日本の場合はライセンスはそこまで重要にならないかもしれないですが、ベトナムの場合、どのビジネスをやるにもライセンスの取得 = 購入が必要になります。こちらについてもコンサルタントと確認しながら進めました。私の場合はまずE-commerceとソフトウェア開発、コンサルティング、で取りました。ライセンスによって、税金 (VAT) が変わってきたりもするようです。

銀行口座も開設しなくてはいけません。私の場合はACBという銀行で開きました。他にはVietin Bank, Sacom Bankなども有名ですね。

ここまで揃っていざビジネスを始めることができます。私はまず日本の会社からプロダクトマネジメントやデータ分析案件を受注することから始めました。契約書に関しては、基本的に日本の会社側で作ってもらい、業務委託契約としてサインすることが主でした。念の為、それを英訳したものをコンサルタントに渡したりしていました。支払いに関してはWiseを利用して送金してもらっていました。

法人税は一律20%で、もちろん経費を引いた後で支払います。法人税の支払いは年に1回ですが、VATに関しては四半期ごとに払っていたと思います。

しっかりと生活する

ロックダウンや体調面の不調などを通じて、「しっかり生活する」意識が根付いてきました。いつまでも仮住まいのような場所では過ごしにくいし、いつまでもデリバリーで油物ばかりを食べてはいけないし、いつまでも運動不足のままではいけません。ロックダウンが明けてからは、朝ストレッチ→散歩→生搾りオレンジジュース→軽い筋トレを欠かさずするようになりました。

またホーチミン市の1区から7区の住宅街の方に引っ越しました。かなりゆとりのある広さでリモートワーク環境、次のロックダウンに備えて(?)も安心できる場所になりました。日本でも都市部出身ではないので、自然が多い街並みは落ち着く感じがあります。(写真は納得感のある書斎)

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ゆとりを持つようになったので、公園でベトナムコーヒーを飲んだりもします。

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そして子猫を飼い始めました。名前はMaru, Kokoです。日本での猫の名前ランキングを上から読み、ベトナム人のパートナーにどれが気にいるかで決めてもらいました。自分の助けがないと生きていくことができない生き物を初めて目の当たりにして、しっかりお世話しないとという責任感が芽生えております。最高の猫生を生きてもらうために、母として全力を尽くします。

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2022年

2021年の終盤はかなり慌しかったので、2022年はまず腰を据えて今取り組んでいることをしっかり形にしていきたいです。まずはいただいている仕事でしっかりと結果を残すこと。自分で手掛けたいサービスに関しては、前半でリリースはできる状態に持っていき、とにかく学習を回せるような状態を作りたいです。

また、5月くらいにようやく日本に一時帰ることになりそうです。2年半越しにお会いできれば嬉しいです。

では、良いお年をお迎えください!

サポートありがとうございます!