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【新入生必見!?大学の残酷な話ww】

大学とは特異な環境である。高校生までは、せいぜい50人程度のクラスという閉鎖的な単位で生活することが多い。ところが大学生になるとほとんどの人が学部という大規模な括りにカテゴライズされ、割と自由度が高い環境で思い思いに学生生活を送ることとなる。

当然自由度が高くなれば、あらゆる水準が急激に高くなる。例えば容姿だろう。女子は急激にメイクを勉強し、過去の面影をなくすくらいまで変化を遂げる人もいる。男子は男子で髪を染めたり、マッシュだのセンター分けなど髪型を試行錯誤するものだ。一方で悲しい話だが、全く似合わない金髪に挑戦し、初々しい(笑)大学デビューを遂げるキッズも一定数爆誕する。

こうした外見至上主義的色合いが過熱することをきっかけとして、なぜだかわからないが、ほとんどの男女が得体のしれない恋愛市場に急にぶち込まれるようになる。こうして男女の会話の種は多かれ少なかれ下世話なものが先行し、「○○はかわいい」だの「○○君は最近○○と別れた」だの「○○はアリだな」なんて話が飲みの席では鉄板トークと化す。

別に私はこのことを否定しているわけではない。むしろ半分くらいは楽しみながら聞いているし、話していても周りの食いつきが良いため、話がいがあってなかなか楽しいものだ。

しかしながら、残酷なことに、勝手に作られた恋愛市場の中で、多くの人はその個人の内面が吟味されることなく、外見からおおよその個人を評価されてしまう。少し考えてみれば当たり前のことなのだろう。内面なんて目視できないのだから。

その証拠に、肌観として、個人的に内面が魅力的だと思う人よりも多少スタイルが良かったり容姿が良かったりする人の方が異性からの評判がいい。別に誰を好きになろうがならまいが個人の勝手であるのだが。

しかし、陰キャラのそこの君。この外見至上主義的な価値観が優勢なのは大学までだから安心してほしい。恐らく大学生のする恋愛なんて多くは遊びだろう。もう少し大人になれば、社会的地位や経済力がおおよそのパートナー選びの基準として台頭してくるに違いない。だからこそ後天的に獲得できる能力に対しては最大限の努力を注ぎ込むべきである。

まぁ、そんなことはわかっていても容姿がいい人は何かと得することが多くて羨ましいものだ。一方で容姿がいい人はいい人なりに、内面を加味したうえで自分に好意を持ってくれているのか否か不安になったりもするらしく、つくづく人間はないものねだりだと感じる。

話が紆余曲折しすぎてまとまらなくなってしまったが、最後に一言だけ言うとしたら#春から○○大とツイートする奴の8割は、一か月後にTwitterから跡形もなく消えている。

入学おめでとう。

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