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料理がツラくなる理由と、お店が流行らない理由の答えが見えた。

どんなに、忙しくても美味しいご飯を食べると、多幸感に包まれる。
誰しもこんな経験があるのではないかと思う。

僕の仕事は、この「多幸感」をプロデュースすること。

料理人として、お客様に直接振る舞う機会はほとんどなくて、お店のレシピを開発したりお店のブランディングをサポートしたり。食のビジネスで突き抜けるための仕掛け人、サポーターである。
最近は家庭料理のレシピを料理家のように作ることも多い。

この仕事は、色々な料理に関わることができる一方で、実際に食べてくれた方のリアルな反応があまり見れない。

そんな中で、どうやって仕事を進めているのか。

この答えのひとつが、「食を仕事にする人」はもちろん、「家で料理をする人」のヒントになればと思う。

食の好みなんて人それぞれだし、1食にいくらかけるかも人それぞれ。

僕は仕事柄、色々なジャンルのお店と、さまざまなレシピを作成している。

自分のInstagramの発信を含めると、ほとんど毎日新しいレシピを作っているから、365日新メニューを作っている人ということになる。

毎日のご飯は、自分が作れる料理の中から献立を考えることが多い。飲食店も普段の営業はメニューにある料理を作り続けるし、料理研究家も基本的には自分のキャラにあわせた料理の幅を広げるように、メニュー開発を進める。

こんなに求められる形にあわせた、カメレオン的に新しいレシピを作る人はあまりいないと思う。

どのお店も、主婦も当たり前に持っているのが「美味しいもの」を作りたいという思いだ。

ご飯を作る人にとって、当たり前すぎて、あえて意識することもないくらい基本的なことだ。

でも、おいしいとは?
を問うと、なかなかその先の答えが出てこない。
だけど、ここが見えないとメニューは作りらはじまらない。

この答えのない問いに向き合い続けること、これが僕の仕事と言っても過言ではないのだ。

そして、僕と同じように家のご飯担当者も、
日々この悩みと戦ってる。

そして、その結果料理をするのが億劫になる人も多い。

この文章が、「食」の悩みのヒントになるようにと願っています。

料理の種類

そもそも食事は大きく2つのパターンに分けられる。
それは、

①補う食事
②満たす食事

補う食事というのは、生存本能としての食事である。

いわゆる、「腹が減っては戦はできぬ」という言葉があるように、生きることは何かと戦うことであるわけで、その活動のためにエネルギーと栄養を摂取するための食事だ。

家庭料理はここにあたる。

一方で満たす食事というのは、「お腹が減ったマイナスをプラスに変える」ガソリン補充的な料理ではないわけだが、その中でもさらに2つに分けられる。

一つが、“感情的な食事”。

たとえば、苦手な上司にガミガミ言われたからビールと焼き鳥で1日を締める。という食事。

他にも、失恋して悲しくてコンビニに駆け込んで大量にお菓子を食べること。

何もネガティブな出来事の後に食べるだけじゃなくて、テスト勉強を頑張ったご褒美にケーキを食べたり。

大きい仕事がひと段落したから、ちょっと贅沢に焼肉に行ったり。

久々に会う友達と語り合うために、お店を予約したり。

いわゆる、腹を満たすよりも、心を満たすために「食事」があるというパターンだ。

食事の味に全焦点が当たるというより、心を満たすための時間と空間に食事がある。という構造になる。

個人のカジュアルな飲食店が目指すのは、基本的にココになることが多い。


二つ目が、“文化的な食事”

これは、先ほどの「感情的な食事」と一見似ているけど、本質が異なる。

具体的には、記念日のデートに予約する少し良いレストランや、旅行先で食べるご当地グルメ。

こだわりシェフの料理などがここに当てはまる。

一時的な感情の起伏によるものではなく、僕が僕らしく生きるために、食事をする場合だ。

例えば記念日の食事は、「記念日を大切にする2人の生き方」であり、一時的な感情とは少し異なる。

またこれは、作り手(シェフ)がつくる料理を堪能するという側面もある。料理にはその国の文化、シェフの思想がモロに現れるものだ。

だから、「シェフ渾身の料理」というやつには、文化的な作品(アート)に近いものを持つ。
この料理を食べることは、まさに文化的な食事と言えるのだ。


このように、ただ“腹一杯”になるだけでも目的が異なる。

だけど、どのパターンも感想は「おいしい」と同じ評価をされてしまうのだ。

料理が辛くなる(食のビジネスでコケる)のは、まさにここにある。

家庭料理における「おいしい」

家庭料理における食事は、料理の種類でいう“補う食事”になることが多い。
毎日の生活で消耗したエネルギーと、栄養素を補うのだ。

だから、家庭料理においての「おいしい」は、「お腹いっぱい食べられて嬉しいよ」である。

そして最大の特徴は、作り手の「愛」が込められているところだ。
苦手な食材を省いたり、食べやすい大きさに切ったり、大切な人(もしくは自分)が食べるシーンを鮮明に思い描いて作る料理だ。

料理を作る時、必ず食べる人が想像できる。
これは飲食店には出来ない。
(常連だけで満席になる長年の愛されたお店はコレができる。だから強い)

以前、Instagramのアンケートで、
「あなたが忘れられない料理は?」とアンケートをとった。
驚くことに、約半数がお味噌汁や、おばあちゃんの作る赤飯、お母さんの春巻きなど、「家庭料理」をあげた。

きっと料理における最大のスパイスは、大袈裟でもなんでもなく、愛なんだと思う。

どうか、毎日のご飯作りがしんどい時は、おいしいの呪縛にとらわれないで、夫婦で「おいしい」の目線合わせをしてみてほしい。

「あなたのことを思って、台所に立つよ」
これで、十分すぎるくらいだ。


今辛くても、大丈夫。
きっと、あなたの大切な人の「忘れられない味」になる。

僕のフォロワーが、そう教えてくれた。


とは言え、不安になることもあるだろう。
台所仕事は、答えがないのに孤独になることが多い。
辛い時はShunのDMに相談くださいね。

ビジネスにおける「おいしい」

ここは家庭料理では満たせない「おいしい」が満たせないとコケてしまう。

あなたのビジネスがカバーできる「おいしい」を、どんな時のどんなシーンで満たすことができるのか。
具体的に思い描くことが必要になる。


以前、「隠れ家」をコンセプトにしたお店の一部をプロデュースした。

そこはフランスの隠れ家をモチーフにした、カフェだった。

隠れ家をコンセプトにするためには、「家っぽさ」と「知る人ぞ知る感」を出すことが重要だ。

Instagramでは、洗練しすぎない“掴みどころ”を残したテイストで、スタジオっぽさがない自然光を使った写真を提案。
これは、カメラマンではないお店のスタッフ(撮影担当者)が更新しやすいという運用面でのメリットもある。

店内の家具は、オーナーの趣味によりツルツルしたものではなく、アンティーク家具が採用された。

アンティーク家具は基本一点もの。これも手触りのある温もりが演出できる、コンセプトに合った最高のアイテムだった。

Instagramのコンテンツの中にも、料理ではなく家具の写真も載せている。
ここに「家っぽさ」を出しているのだ。

一方でメニューには、聞き馴染みがない「何が出てくるんだ…」というワクワク感を残した。
これが、知る人ぞ知る感につながる。

このような演出は、家では再現できない。

きっとレシピが流出してしまったとしても、このお店は流行り続けるだろう。


オープン後、Instagramはリール投稿なしでものの数週間でフォロワー5000人越え。
カフェなのに予約殺到のお店になった。


自分のビジネス(お店)が叶えられる「おいしい」は、具体的に何を満たすことか。
家で得られる「おいしい」とズレた所に、鋭く深く差し込めるか。がカギになる。

こんな感じでバリバリ仕事してます。
店舗ブランディング、メニュー開発は気軽に相談ください。

だから、食は面白い。

僕らにとって、食事することは、生きる上でどんなに避けたくても避けられないことだ。

だったら「食を、生きがいに」してしまえば、人生の幸福度は上がるに違いない。

だけど、人によって好みが異なる。
時間、場所によって求められるものが違う。

絶対に必要なのに、絶対的な答えがない。
だから、悩んでしまう。
僕にとって、これが面白い。

今回、あえて家庭料理とビジネスの両方を同じ文章に書いてみた。

「おしいし」と求めるものが同じでも、作る側のカタチによって、こんなに課題が異なるということを伝えたかったからだ。

僕が活動する目的は、「食を、生きがいにする」人を増やすこと。

これが、この世界で生きる人の、
幸せの総数を増やすことつながると考えている。

そのために、食にまつわる「個人」「お店」「生産者」「クリエイター・作家」に手を差し伸べる。
そんな存在でありたい。


Shun|フードクリエイター・料理家

*Instagram:
https://www.instagram.com/shun_foodcreator/

*HP:
https://shun-foodcreator.studio.site

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