日々、読書。 #02
古本屋に行くと、ついつい時間を忘れてお宝探しのような感覚に没頭してしまうことがある。
新しい書籍は次々に増え続けているけれど、それらを追いかけ回すのはあまり好きではない。そうでなくても、既にもう人生をかけても読み切ることのできない本たちを、私たちより先に生きた人たちが残してくれているのだから。
そして古本の魅力は、私たちの生きる時代から離れた哀愁を感じさせ、その当時の生活風景や土地の様子が記されていたり、普段は手に取ることのない分野の本にも、同じ”古本”という陳列の中から巡り合えたりすることだと思う。
乱雑なようで整った棚に並べられた本たちの、その褪せた色合いに、薄く日に灼けた背表紙がなんとも恍惚に感じられ、引き寄せられるように自然と手を差し伸ばしてしまうのだ。
そんな風にして手にとったひとつに、東海林さだお著書『偉いぞ!立ち食いそば』があった。
普段では手に取らないだろう書籍ではあるが、読んでみるとぐんぐんとその世界に引き込まれて面白い。くすりと笑ってしまったり、ふっと吹き出してしまうような場面がいくつもあって、気の抜けた空気の漂う文章はとても心地よい。
著者の東海林さだお(ショージ君)は、人生も終盤にさしかかったいま、何か大きなことを成し遂げたいと偉業に憧れを抱き、どんな偉業がいいかを思索する。月面着陸や、エベレスト登頂など様々な案が思い浮かぶのだが、どれもいまからでは間に合わないなどと簡単に諦めてしまう。
そして挙句の果てに、「もっとお手軽で安い偉業がいいな。」と言い出してしまうのだ。「簡単なわりに人が驚くやつ。」がいいのだと言う。そうして彼は思いを巡らせ、辿り着いた先にあったものが、立ち食いそばの全メニュー制覇であった。
その日からというもの、彼は毎日一食を立ち食いそばに費やし、その様子をエッセイのように書き記していくのだった。そのユーモラスな彼の表現に、所々で差し込まれる挿絵は心地よいアクセントとなって私たちの笑いのつぼを刺激する。
例えばそれは、彼の偉業を成し遂げる二日目のこと。立ち食いそば屋に入ったときの情景を描くシーンでは、誰もが経験したことのあるような体験から、思わずくすっと笑ってしまうのだ。
お金がなかった学生の頃、いつもアルバイト帰りに難波のそば屋に寄ってから帰っていたことを思い出す。以前はジュンク堂があった、道具屋筋の入り口付近。なんばグランド花月のすぐ近くにある、松屋という下町ならではのそば屋に通っていた。
そこも昔ながらの券売機が店の前に置いてあり、そばかうどんかを、券を出して椅子に座る瞬間に声をかけるのが暗黙のルールであった。店のおじいさんが尋ねて来る前に、流れるように力を込めて「そばで」と言うと、少し常連っぽさがあってなんとも嬉しい気持ちになったことを思い出していた。
昔のお店のいいところは、客との距離が近いことにあると思う。距離が近いというと語弊があるかもしれないが、例えばそれは、みなで同じ食卓を囲むような団欒の生まれる、古き良き空間がそこにはあったように思うのだ。
店内には、小さくて年季の入ったブラウン管が天井から吊るされていて、野球中継やニュースが流されている。店主も提供のない間はテレビに没頭し、客と一緒になって同じ方向を向いていたりするのだ。どこかで事件があったというニュースがテレビから流れては、その話題について各々が語り出す。「大丈夫かいな、、」などと誰かが声を漏らせば、周りに座っている人も次々と話をはじめるような、そんな空気が確かにそこにはあった。
いまの時代は、いい意味でも悪い意味でも、他者と切り離された文化が根付いてしまったように感じる。特にコロナがその風潮を加速化させ、黙食が推進されたり、隣通しの席には仕切りが置かれたりするその光景には、昔ながらの和やかさが物理的にも離れてしまっているように感じ、なんとも残念な気持ちになってしまう。
この一冊を読んでいるうち、ときに笑い声をあげて吹き出しつつも、そんな時代の移り変わりを私たちに思い出させてくれるのだった。著者のユーモア溢れるこのエッセイには、彼自身の童心を忘れない素直な感性が描かれていて、この一冊を読むだけでも彼の人柄が伝わるような温かさを感じさせてくれる。
ふと思い出すと、また懐かしい松屋のそばを食べたくなってきた。大阪に帰ることがあったら、必ず立ち寄ることにしよう。
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『偉いぞ!立ち食いそば』 / 東海林さだお
男は誰しも偉業に憧れる。人生も終盤にさしかかったショージ君が挑んだのは「立ち食いそば屋メニュー全制覇」。
かけそばに始まり春菊天、ちくわ天、コロッケ…世界中から注目されるこの偉業は果たして達成なるのか!?ほかに24個の駅弁を食べまくる「駅弁『奥の細道』」など、満腹感ずっしりの好評エッセイ。
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