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東京一標高の高い神社"愛石神社"

こんにちは!東海林です!

昨日初詣に行った愛石神社について少しきになったので書きます!

一番最初に目に広がるのが、「出世の石段」と呼ばれる超絶急な階段があります。

登ってみると膝や腰、そしてそもそもの体力の無さにびっくり。

かなりきつい!笑

学生の頃は同じような階段を10往復ダッシュしていたのか、、、と今考えれば、ゾッとする経験をしていたなと思い出に浸りながら登りました。

なぜ、「出世の石段」と呼ばれているのか、、、それはこんなエピソードがあったみたいです!

寛永11年、江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。折しも春、愛宕山には源平の梅が満開。家光公は、その梅を目にされ、「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられました。

しかしこの愛宕山の石段はとても急勾配。歩いてのぼり降りをするのすら、ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落としそう。家臣たちは、みな一様に下を向いております。家光公は、みるみる機嫌が悪くなり、もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。家光公。その者の顔に見覚えがありません。

「あの者は誰だ」
近習の臣に知る者はありません。
「おそれながら」
「おう」
「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」

平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられております。


何事もチャレンジ!チャンスはどこにでも転がっている!

そのチャンスを逃さず、チャレンジしたらものにするように毎日努力を欠かす事なく生きます!

最大限のチャレンジと圧倒的な努力。

さぁ、今日も志事しよう!

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