見出し画像

Silent、ぼっち・ざ・ろっく 音楽の古典化




音楽と最も親和性が高いコンテンツといえば、やはり映像でしょう。特に、優れた物語に添えられた音楽というのは、制作者すら思いも寄らない魔術的なパワーを生み出し、見るものの脳髄を強く揺さぶります。ここ最近で特に印象に残ったのはドラマ「Silent」とアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」です。


突発性の難聴をテーマに、すれ違う二人の恋模様を繊細なタッチで描いた「Silent」、自意識過剰で人と接するのが苦手な女子高生、後藤ひとりが音楽やバンドを通して成長する「ぼっち・ざ・ろっく!」(略称ぼざろ)。ストーリーはもちろん、脇役にいたるまで魅力的な登場人物も忘れられません。


「Silent」では序盤、湊斗の優しさに感情移入しすぎて辛くなりましたし、「ぼざろ」では解像度の高い自意識過剰あるある(自己評価は低いのにプライドは高いなど)に笑いながらも、真摯に音楽と向き合い人としてもだんだん成長していく姿に、青春の波動を感じずにはいられませんでした。ちなみに推しは山田リョウです。


さて、この二作には共通して作品を支えるバンドがいます。「Silent」にはスピッツ、「ぼっち・ざ・ろっく!」にはASIAN KUNG-FU GENERATION(略称アジカン)です。スピッツは「魔法のコトバ」を筆頭に、作中で何度もフューチャーされ、主人公の想と紬にとって重要な位置を占める存在となっています。アジカンは結束バンドのメンバーの名前や、各話のタイトルの引用元に使われ、最終回では「転がる岩、君に朝が降る」をカバーしたことでこの曲が再注目され、YouTubeにあるPVも一気に再生数を伸ばしました。僕もこの二組は、中学生の頃から親しんでいるバンドです。それが今をときめく人気ドラマとアニメによって、若い世代にも浸透していく様子を見るのは嬉しくもあり、時代が移り変わっていく感慨深さもあります。


歴史に刻まれる楽曲、アーティストとは星の数ほどあるそれらの中でも、本当の本当に一握りです。一世を風靡した楽曲ですら次第に忘れ去られ、昔を振り返る時に「ああ、そういうのあったね」と言われることも珍しくありません。そんな中でも、何十年経っても魅力が衰えず、しかも時を重ねるごとに深みと艶やかさを増していくような、真に選ばれし音楽やアーティストもいます。ビートルズなどはその代名詞ともいえる存在ですね。


いわゆる「古典」と称される作品には、時代を超える普遍性があります。人類が共通して好むメロディー、強靭かつ美しい、普遍的な感情を表す歌詞。どれだけ時間を経ても、遠い未来で初めて触れる若者の心にみずみずしく届く様子を、今この瞬間にも感じられる。そういう作品を、人は「伝説」や「古典」と呼ぶのでしょう。


僕は今回、スピッツやアジカンも着々と「古典」への道を進んでいるな、と思いました。彼らを聞いて育った世代が、新たな人気コンテンツを生み出し、作中にその存在を大事なものとして織り混ぜる。そうすることで、次の世代にも彼らの存在が脈々と受け継がれていく。様々な人の手に触れ、血や汗や、想いや温もりを吸い込んでいきながら、作品やアーティストは巨大な伝説となっていきます。


ファンにとって一番幸せなことは、好きになったアーティストが古典になるまで成長していく様を、同世代として見届けられることかもしれません。今僕が、いくらビートルズやマイルス・デイヴィスに傾倒しても、彼らと同じ時代を生きることは、タイムマシンでもない限りできないのですから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?