HSPの人に必要なのは「トリセツ」ではないか

ここのところHSP当事者の集まりにちょくちょく顔を出している。会の冒頭には必ず自己紹介タイムが設けられていて、僕は「HSPですけど教員やってます」とかそういうことばかりを言っているのだけど、もちろん中にはHSPを知らなくて勉強しに来ました、っていう人もいれば、これまで「敏感すぎる」ということとどう向き合ってきたか、をとりとめなく話す方もいる。

先日のHSPの当事者の集まりでは、「自分はHSS型のHSPで・・・」などと自分の傾向やタイプを熟知した自己紹介をされる方がとても多くて、中にはHSPのスコアの点数まで発表される方もいた。

それを聞くたび、なんだこの人すごい自分のことよく知ってるな、と思う。僕は別にHSS型かどうかなんてハッキリ知らなくて(診断テストはHSS型じゃないぽいけどHSS型の特徴に当てはまるところもあってかなり微妙)、HSPスコアはやったことはあるけど細かい点数なんて覚えていない。

それは「自分がめちゃくちゃ敏感である」と自覚して、HSPのことを徹底的に調べ上げたとかそういうことではないような気もする。その敏感なセンサーを内向きにして、自分の身体が何を訴えているのか、どういうことを求めているのか、を、実直に素直に受け止めている結果なのかもしれない、と思う。こうして深く考えることもHSPの特徴である。

この日の当事者の集まりの最後は「自分を知ること」の大切さという話で終わった。これは、本当に大事なことだと思う。もちろん、HSS型HSPと自覚したりHSPスコアの点数を発表することがすべてではないのだけど、それは確実な自分の「強み」であることは間違いない。自分を知ることで、働き方や日常生活、人付き合いのあれこれに境界線を引くことができるようになるのだ。

西野カナに『トリセツ』という曲がある。最近何故かAmazon Musicがよくこの曲を流すのだが、この曲は「自分を知ること」という意味では非常によくできているなと思う。「急に不機嫌になります」とか「定期的に褒めると長持ちします」とか、そういう自分の特性を結婚相手に伝えた上で「懲りずにとことん付き合ってあげましょう」とか言っているわけで、これは相当自分のいいことも悪いことも受け入れた上で、自分のことを知っていなければできない芸当な気がする。

永久保証の私だから、とまでは言わなくていいが、たとえば「2泊3日の旅行がどんなに楽しくても翌日に1日何もしない日が必要です」とか「隣の同僚が不機嫌にキーボードを叩くだけで機嫌が悪くなります」とか、自分の苦手なこと、できないことを明文化しておくというのは非常に大切なことなのかもしれない。HSP、敏感な特質を持っている、と言ってもその人によって敏感さのものさしはぜんぜん違う。たとえば僕が大丈夫なことでもほかのHSPの人にとっては耐えられないこともごまんとある。そうした敏感な人間同士の相互理解にも十分に活用することができる。

今度、自分の「トリセツ」を作ってみようか。

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