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『秘密の花園』を読んで


この物語は、わがままだったメアリーと病弱なコリンと動物を操る魔法使いのディッコンのおはなし

とでもいっておこう。内容を紹介するものではないので、ぜひ読んでほしい。

この物語でキーポイントとなっていたのは、
『自然』の存在である。

わがままで痩せていたメリーも、病弱なコリンも、この『自然』によって元気で丈夫で感性豊かな子どもへと変貌した。


『自然』に触れること、植物や動物、土や風、それらに触れることによる肉体的・精神的な成長が表現されていた。


我々もきっとそうであろう。


子どもの頃の記憶で印象的なのは、そういった自然との触れ合いではないだろうか。


農業や漁業、畜産業や林業の方々に優しい人の印象があるのも、自然に触れていることから起因しているのかもしれない。(もちろん個人的な思想だ。)


自然というものは、時に優しく、時に厳しく、我々の成長に必ず貢献してくれる。


本書でも、メリーとコリンは花園で過ごす中で横暴な話し方などが変化していっていた。

何か劇的なイベントが起こるわけではない。

ディッコンが新しい動物を連れてきたり、花が咲いたり…。

そのような状況の中で、彼女らは感情を露わにして喜びを分かち合うのだ。なんと素敵なことだろう。児童文学は大人にこそ大きな気づきを与えてくれる。


前回の読書日記で、society5.0の話をした。



我々はsociety4.0の情報化社会の中で生きている。

農耕はsociety2.0だ。

情報化社会になったことで、人と人とのコミュニケーションのハードルが上がったように感じる。孤独が増えたように感じるし、「情報化社会」というくらいだからさまざまなことがスマートにされてきた。

しかし、そこに『自然』はない。むしろ無機質な機械が占拠する時代だ。
そんなところに感性が生じるのだろうか。かなりの難易度だろう。

『自然』と触れ合うことが非日常となってしまった現代において、自然回帰することはほぼ不可能に近い。これだけ便利になってしまったのだから、当然といえば当然だ。


しかし、本能的に健全な肉体的・精神的成長は『自然』にしかないのではないだろうか。



森林浴なども人間が本能的に欲していると個人的には思っている。『自然』からしか得られないエネルギーがあるのだろう。



以下は、しがない教師の私からの提案だ。

通勤時、一度でいいから景色を見ないか?

一度でいいから一駅歩いてみないか?

スマホを封印して通勤してみないか?

五感をフル活用して、日々を過ごしてみないか?




そうすると、さまざまなものを発見できる。

昨日は最寄駅の壁のタイルのタイプを知ることができた。

そういう小さな気づきからでいいと思う。自然に、風に、空に、世界に目を向けて過ごしてみてはいかがだろうか。

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