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社会を変えた食イノベーション、地方発で「世界を救う」商機も

 青森県の八戸市を中心とする県南部で広く読まれている地元紙「デーリー東北」。同紙の人気コラムで複数の寄稿者が執筆する『私見創見』を2020年から約2カ月に1度のペースで書いています。
 第8回は、2021年6月29日付から。日本が生んで世界に広がった「食品の三大イノベーション」が持つ価値と可能性について書いてみました。
(※掲載時の内容から一部、変更・修正している場合があります)

インスタントラーメン、レトルトカレー、カニカマ――。日本人ならどこかで食べたことがあるこの三つは、戦後日本の「食品三大発明」だといわれる。いずれも国民食として普及しただけでなく、世界各地に浸透して食文化を変えた革命的な製品だ。

最近、食品のイノベーション(技術革新)についての取材を増やしている。先週と今週(※当時)は日本経済新聞電子版に、大塚食品が1968年に発売した世界初の市販用レトルト食品「ボンカレー」の記事を書いた。

常温で長期保存が可能で、いつでも温めれば誰もが失敗せずに、おいしいカレーを食べられる。これも世界を変えたイノベーションだ。

レトルト食品の発端は元々、米軍がレーション(軍用糧食)として「携行しやすく温めるだけで食べられる」のを狙って開発した。大塚食品は米パッケージ専門誌でソーセージのレトルト食品を見て、「これをカレーで作れないか?」と着想したのが発端だった。

世界初の即席めん「チキンラーメン」を1958年に発明した日清食品ホールディングスの創業者、故・安藤百福氏。NHK朝ドラ『まんぷく』のモデルにもなった。同社が1971年に発売した「カップヌードル」も、お湯を注いで3分で、どこにいても食べられる革新性が世界中に市場を広げた。

「カニカマ」は石川県七尾市に本社がある水産加工会社のスギヨが1973年に発売した「かに風味かまぼこ」が最初という。高価な本物の代わりに作ったカニカマは「すし」という食文化が世界中に広がったことで、各地で日本人が思う以上に人気のすしネタになっている。

これら3大発明が戦後の高度経済成長期に勃興ぼっこうした。第二次世界大戦で「戦争遂行のため」に食イノベーションが起こった米国の影響が色濃いだろう。

戦後の日本で子供たちが米兵に「ギブ・ミー・チョコレート」と群がった時代に、対象となったのが米ハーシーズのチョコ「Dバー」だ。板チョコ1枚で600キロカロリー以上を摂取でき、気温50度でも溶けず、しかも食べ過ぎないように「意図的に不味くしてある」のだという。

コカ・コーラは世界のどこでも「本国と同じ5セント(当時)で買えるように」を狙って生産体制が組まれ、後の世界展開のきっかけとなった。

米政府は第二次世界大戦の当時、世界に派遣した1500万人の米兵が「存分に戦えるように」と、食品業界に糧食の開発を依頼した。ケチャップで有名なハインツは戦時中、缶詰を温める装置なども開発。米ゼネラルフーヅやケロッグは持ち運び容易なパッケージ食品を供給した。その食イノベーションが米国の戦争遂行を支えた。

だが残念ながら、旧日本軍というか日本には即席めんやレトルトカレーなどのイノベーションは、まだなかった。「食料をパッケージ化して戦地に送る」との発想すら乏しかっただろう。食料という最重要の兵站へいたんを保てず、敗北したわけだ。

米国発の新しい食品は世界に広まり、各地でブランド化した。戦後日本にも流れ込み、当時の食糧難を解消し、高度成長期に「誰もが簡単に作れてれる食品」を次々と生み出すきっかけになった。食のイノベーションが社会に与えるインパクトはそれほど大きいのだ。

日米とも、食の新発明を生み出したのは地方企業が多いのも面白い。ハーシーズやハインツは米国のペンシルベニア州、コカ・コーラはジョージア州、ケロッグやゼネラルフーズはミシガン州が発祥だ。

国内ではボンカレー以外に「オロナミンC」「ポカリスエット」「カロリーメイト」などの画期的製品を生み出した大塚製薬グループは徳島県で、日清食品は大阪府で生まれた。

この点で、一次産品の宝庫である青森県も、水産加工業の多い八戸市も、食イノベーションを生める可能性は大いにあるはずだ。国内では災害時に「被災後の72時間」を生き抜くための食品がもっと増えていいし、世界にまだ残る貧困や食糧難を解消できる技術も生まれたらいいと思う。

食イノベーションの余地はまだ大きい。問われるのは社会の課題を見つける目と、解決法を創造しようとする「こころざし」だ。

(初出:デーリー東北紙『私見創見』2021年6月29日付。社会状況については掲載時点でのものです。扉の写真は各社広報から使用許可をいただいたものをコラージュ画像にしています))

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