ポジティブなのに何故疲れる?真のポジティブとは

みなさんは、ポジティブな面だけで構成される人間を見たことがありますか?
私はありません。

陽キャラ、陰キャラ、という言葉がありますが、
それは正確ではなく
どんな人にも、陽の部分と陰の部分の両方があると私は思っています。

完全にポジティブな人間…
みたことはありません。

無理してポジティブを演じようとしていた自分はいましたが。

今は無理してポジティブを演じようなんて(あんまり)思いません。
自分のネガティブさも大事な自分の一部分です。

何かっていうと。
陰と陽、両方あるのが人間であるとすると、
ネガティブを嫌うと、自分の相当な部分を嫌っちゃうことになる。

大切な自分を受け入れられず、苦しみの元となる。

…みんな、本当は「そのままで良いんだよ」って言ってほしいんだよね。
それができないから、体をこわばらせているんだよね。

そこで、私はね、
ポジティブ、ネガティブ、の言葉の定義を整理すると
いいのかなって思うんですよね。

ポジティブ、ってなんとなく、使っている言葉ですが、
その中に含まれる意味は多様です。

私は、下の図で、↑ の方向を目指すのが、「目指すと良いポジティブ」、
楽な考え方なんじゃないかなと思っています。

(手書きで、すみません)


わたしの考えるポジティブ・ネガティブ

無理に → の方向に行こうとして、疲れたりすることもあるし
自分の中の ← を嫌いになって、疲れたりすることもあるし
ポジティブ病、というか。ポジティブ疲れ、というか。

私の提唱する「ポジティブに生きる」とは、↑の方向を意識する生き方です。
→ が自分の中にあってもいい。← が自分の中にあってもいい。

全てのものは、ものはいいようだから。
がさつ なのは おおらか だから良いんです。
細かい性格 なのは 気が利く から良いんです。

あんまり みんな言わないけど、
ネガティブなのは、人に共鳴できる、優しさにつながるんです。
これを、ポジティブと同じくらいの価値だと思って、良いと思うんだけどな…。

ものごとにあらかじめ付与された意味なんてなく、
意味を作り出しているのは、意味をみている「私」だけ。
自分で作り出した意味で、そんなに自分を責めないで。
そのままで良いんです。

短所は、長所にまだ見えていないだけ。
今はわからなくても
月日が経って視座が上がると、長所だと気付きます。
表裏があるコインの、「裏面」しか、見えていなかったんですね。

自分のゆるせないところが、あるとしたら。
それは、ゆるせない自分を、ゆるせていないのです。
本当は、自分をゆるしてあげたいのに、ゆるせない。
それができなくて、つらいんです。

…でもね、ゆるせない、それだけの理由が、どこかにあったんです。
その理由に、分かってほしかった自分に、寄り添ってあげてください。
ゆるせなくて、いいんだよ、って。
ここに書いてあることがちょっと難しかったら、
こう口に出すだけで、いいです。

「ゆるせない自分を、ゆるします」

わたしは、↑ の方向を意識するのは、自分らしさを受け入れ、調和し、
自分の中の美しさに沿って生きる生き方だと思っています。

↑ の方向を目指し、いろんな自分を受け入れられるようになると
知らないうちに、いろんな他人を受け入れられるようになります。
イライラすることが少ない、楽な人生になりますよ。

みんな、自分と同じ、人間なんだなって。

誰かのヒントになりますように。


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