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父と母について(9月末の日記)

 親は私に会いたがるのに、私は親を遠ざけてきた。遠ざけたといっても、たったの二ヶ月だけど。

 どうしても家を出たくて三軒茶屋で一人暮らしを始めたのが23歳。親は毎週うちに来たがったし、結婚してからは少なくとも1ヶ月にいっぺんは会ってほしいと言われた。1ヶ月会わなければ、全然ひさこと会えてないからと寂しがり、うちに訪ねてくる。それが昨日だった。

 2ヶ月ぶりに両親がうちに来た。車で1時間の距離にある実家。「毎週帰ってくればいいのに」と言われ続けていたのが「月に一度は顔を見せて」になり、それでも最近は親に会う回数を減らしたいと思い、今回は2ヶ月会わなかった。

 地方に住む親であれば、年に1回会えればいいほう。そういう友達を羨ましく思ったことは何度もあって、その一方で「親が死ぬまであと何回会えるんだろう」という上京組の悩みを理解できることはないだろう。そんなことも考える。親が近くにいたほうが、子育て手伝ってもらえるよといらぬアドバイスをされたこともある。子供産む予定なんてしばらくないけど。
 仕事が終わったら、19時にひさこの家に集合ね。近くの店でごはんを食べよう。勝手に、一方的にその日はそういうことになった。

***

 続柄に関係なく、人と接することが苦手だ。好きなのに、苦手だ。エネルギーを使いながら、少ない私自身のエネルギーを吸い取られるような気分になり、ふと気づくと相手に気を遣って疲弊し始める自分がいる。相手が気持ちいいと思うことを無意識に言い、面白くないところで大げさに笑う。結局私なんかとしゃべっていて面白いのか、と申し訳ない気分になる。「そういうの、多少なりとも誰にでもあると思いますよ、みんな人に気を遣っていますから」という意見もわかるが、私はその振れ幅がでかすぎるのだ。メーターが振り切れかんたんに故障するくらい。
 誰かと仲良くしている自分を想像して、クラクラしてしまうくらい。

 そういう疲れる予感がしていたせいか、キャパシティを表すコップにどばどばと水が注がれてしまい、それはまたたく間に溢れ、親が来る1時間前に私はパニックを起こしていた。死にたい気持ちは予告なくやってくるし、それをコントロールすることもできない。涙腺がパンパンに膨らんだ。
 前後左右に高くて分厚い壁が立ち、ジリジリと迫って私が立てる面積を少なくしてく。壁が距離を縮めてくるにつれて私の安心できるスペースも狭くなっていく。心に余裕がなくなるというのは、そういうことだと思う。

 「もうすぐ着くよ」と父から着信があったのはそんなときだった。涙声になりそうなのを我慢しながらわかったと返事をしたとき、ふっと今の状況を伝えてみようと思ったのだ。
 「申し訳ないのだけど今とても気分が悪くて、少し休んでからじゃないとご飯食べに行けないかも」
 死にたい気持ちに支配されているとまでは言えなかったものの、そのようなことを口にした気がする。
 「そうか。無理しないでいいからな。体調優先でいいから、ほんとうに」
 父は過去私が死にたいと言ったとき鼻で笑ったし、女性ホルモンのせいにした。「生理のせいなんじゃないか?」そう言って向き合ってくれなかった。娘が境界性パーソナリティ障害だという事実を受け入れたくなさそうだった父。当然そういう背景があるから、私が訴えた「気分が悪い」とは、頭がいたいとかお腹が痛いとか体の不調として解釈されただろうと思った。
 でも、その時私は父のこの言葉を自分の良いように解釈してみようと思った。父の「無理しないでいいからな」は私の心を気遣った一言だったかもしれないと、理解することにした。
 その判断は一瞬だった。電話を切ったあとに私はついに泣き始め、どうして親とうまくいかないのだろう。どうしてこんなに親を憎んでいるんだろう。と自問しながら朝から溜まっていた食器を洗った。何か手仕事をしていないと、とんでもないことをしでかしそうだったから。

***

 「お義母さん、まずはひさこちゃんにどうしたの?って聞いてあげてください」
 するりとオットが差し込んだその一言を、焦点が定まらない視線の先で聞いた。なぜそう言ったのかというと家に到着した途端母が、持ってきたお土産について説明をまくし立てていたからだ。

 家に到着した母は、私を心配しているのかどうかわからなかった。190円もした焼き鳥、東京・恵比寿にしか売っていないブラウニー、ひさこが好きそうと衝動買いしたペンギンのハンカチ。体育座りで彼女の説明を聞き、ときどき顔を膝小僧になすりつけて涙を拭いた。目の前で泣いているのに母はわたしを心配していないように見えて悲しくなった。

 オットが添えた一言はちょっと強引だったかもしれないが、結局母は「どうしたの?」と私に聞いた。

 今日パパとママに会うのが億劫だった、パパとママが嫌いという意味では決してない。来週義実家に帰省するのも緊張してる。仕事はもう請けていないが、手元にある仕事上で面倒なメールが来た。メールひとつで心が揺さぶられてしまう自分に嫌気がさす。
 わたしが死にたくなった理由をぽつらぽつらと羅列した。そう言っている間にも涙はとめられず、母のほうを直視できず、”本当は母に話を聞いてもらいたかった幼少期の私”が泣いているのがわかった。

 「いつでも話を聞くからね」と母は言い、両手をハの字にしてひらいた。私は少し躊躇したがその腕に飛び込んだ。軽いハグで終わるかと思ったのに、思いのほか強く抱きしめられ、どう甘えたらいいのか戸惑ってしまった。しかし、いつも満たされなかった心の穴の中に、少し砂が詰められた気がする。この砂は、いい砂。

 予報では雨と出ていたのに、雨が上がり、ひんやりと湿った空気が支配する夜。これから外に出かけるのかと思うと少し億劫になるが、父と母に少しだけ私をわかってもらえたような気がした。

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!