見出し画像

【射精がこわい】ノンバイナリーの妊活①

 結婚を機に性自認について考え始めてモヤり、はや1年以上。そろそろ30歳になる。「子どもを持つ・産む・持たない」ことは悩み続けており、できればもうこんなこと考えたくはないくらいところまで悩んでいる。

 疲れている。愛とか、母とか、子宮とか、親になるとか。もう聞きたくないくらいにはへとへとで、本音を言えばもっと悩む時間がたっぷりほしい。自分のペースで悩みたいが、それでは肉体は待ってくれない。あたしが年をとるにつれて原始卵胞も着々と老いていく。
 きっとあと20年経ったときにはこの悩みに決着がつけられていると思う。でも年をとるごとに卵子は減少する。心の準備が整ったときにはもう体の機能は枯れているのが悲しい。
 いったいどうしてたったの三十年ちょっとで人生を決める大きな選択をしないといけないんだろう。精神的に未熟な10代から毎月毎月血を垂れ流して出産準備をしているくせに、必要なときには来てくれない。

 今、自分の感覚はノンバイナリーというアイデンティティがいちばんしっくりきている。男・女という従来の二元的な枠組みに自分を当てはめたくない。「女らしく」と言われるのも、スカートを履くのも最近は嫌。ただ自分という存在でいるだけ、という感覚が強い。

 子どもを産むには性行為が必要。でもその性行為をするには、あたしは挿れられるほうだから、自分を女だと強く認識しなければならない。結婚する前はこんなこと思わなかったはずなのに、性行為が気持ち悪くなり、射精が怖い。これがいちばんネックだ。子どもを産むか産まないかについて、(さまざまな理由はあるけれど)これをいちばん悩んでいる。どうすればいいのかわからない。

「産める年齢のときに産んだほうが楽だよ」はあたしには効かなかった。「孫の顔を見せて」もきかなかった。「子どもを産んでよかったよ幸せだよ」もそうなんだとしか思わなかった。どうにかなるからとりあえず産んでみればという人には無責任極まりないなと思ってしまった。世間でいう、そういう、一般論的なものもどうやら自分には作用しない。

 「だったら子どもなんて産まなければいいじゃない。夫婦ふたりで生活していけば?」という話はなんども言われたし、自分でもそう思う。けれども「あたし、子どもほしいと思ってないの」と堂々と言えるところまで自分の踏ん切りがついていない。いやお前どっちやねん!ってツッコミたくなるのだけど、だから悩んでいるというか。悩んでいる時間はほしいけど、体は老いていくので時間がないというか。

 昔、30代後半夫✕40代前半妻のライターの先輩夫婦に「子どもほしいきもちが少しでもあるなら、悪いこと言わないんでほんとに早いほうがいいですよ」と言われたことがある。それは、思うように妊活の進まなかった先輩からの本気のアドバイスだった。そういうのも、ぜんぶわかっているはずなんだけどなぁ。でもそうはならないんだよなあ。

 うちは、どちらかというとあたしに精神的な問題がある。夫は子どもがほしいと言っているから。だから、本格的に考えねばならない。なおさら本格的に考えねばならない。

 以前、このnoteを書いた気持ちからあたしがどう変わっているのか、確認の意味を込めてこれから書いていこうと思う。書いて気持ちを整理して、最善の選択をしたい。


今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!