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暴れん坊のゴールデンウィーク

GW中、突如として死にたくなった。今年に入ってから突如としてから「生きたい」と願う欲望が出てきたせいで、しばらく死にたいなんて思わなかったのに。

今、思い出すとなぜ死にたいと思ったのかわからない。この先ずっと私は私のことを嫌いだろう。極端に物事を考え、小さなことで気持ちを落としてを繰り返す自分に嫌気が指した。この先も変わらないだろう自分の思考を持ち続けることが怖くなった。

つらい思いをするのだったら、死んでなくなったほうがいいんじゃないかと思った。

死にたくなったとき、必ず旦那に言う「私のこと好きなんだったら早く私のことを助けてよ!」と。私はいつも他力本願。

高二の体育祭。クラスTシャツの背中に自分の好きな言葉を印字できたんだけど、「他力本願♡」とふざけて印刷していた女の子がいた。一緒にバレーボールの競技に出たんだけど、その子は元バレー部だったから敵なしで、試合でもどんどん活躍した。何が他力本願だよって思った。自分の力を存分に発揮できていたくせに。

たしかあのとき、ハンガーの置き場所で旦那と揉めたんだと思う。思い出せないくらい些細なことから火がつき、私は私の思い通りにならなかったことが気に食わず、暴れる。そして、泣く。壁を殴り、旦那も殴った。

そして言う、「私のことが好きなんだったら、早く私のことを助けてよ!」と。

旦那は一貫して同じ態度で私に接し続けてくれている。でも、暴れているときの私は冷静な判断ができず、旦那でさえも敵だと思い込んで戦おうとする。

いつも私は他力本願だ。

その日の私は、いいことを思いついた。私がキレている瞬間を母に見せようと、旦那に母に電話させたのだ。母に向かって「私は毎日こんなに苦しいのにお前はなにもわかってくれない」と私は言い放ち、泣き続けた。母は「仕事のせい?」と聞いたり、してきた。「心配される」ことを望んでいたはずなのに、私は「そうじゃない」と叫ぶ。たとえば仕事をゼロにしたところで今の私の寂しさやつらさはなくならない。私の寂しさの根本は枯渇する愛なのに。どうして、とわかってくれない母に理不尽に苛立った。

母は心配し、次の日うちへ様子をみに来てくれることになった。

母との電話が一段落した後、その晩、友人とオンラインの飲み会を予定していたことを思い出した。境界性パーソナリティ障害は身近な人以外には攻撃を加えにくい。そのため外面がかなりいいし、約束を無碍に破るようなことも私はしたくないと思っている。おまけに外面のいい私はもし、ここでオンライン飲み会に参加しなかったら、また自分を責めると思う。総合的に判断して、30分遅れで参加することにした。

泣きはらした目。連絡もせず遅刻。ボロボロの顔。これらをどうやっていいわけをしようか考えたが、正直に話すことにした。今、私死にたくなるほどつらくなって30分ほど暴れていた、と。私は境界性パーソナリティ障害で、今すごくつらいんだと。みんな、遅れてごめん。

すると、友達のひとりが「私もよくそうなる」と共感してくれた。まさかだった。学生時代から家族の前だけで暴れたり、自分のことが嫌になると自分を叩いたりするそうだ。私はそれを聞いて、ひとりじゃなかったんだと安心してしまった。

たぶん、その子も病院に行けば病名がつく。でも、あえて行っていない。なぜなら、その対処法を自分で見つけているからである。

私がキレたり、暴れたりするとき、必ずその状況を俯瞰して見ている本当のわたしがいる。二重人格ではないが、ちょっと離れたところから「あ〜あ、言いすぎちゃってるよ」とか「どんどんキレて収拾つかなくなってるね」とか突っ込んでくるような冷静な目。ときとき暴れるというその子の場合、このツッコミ役の冷静なほうの自分が徐々にキレているほうをなだめてくれるという。

また、その子は、キレているときは、まわりから冷たい反応をされてきたといった。私のように誰かに助けを求めるのではなく、冷たくあしらわれてきたからこそ、自分の異常行動に早期に気づくことができていた。放って置かれることが、自分の暴動沈静化に一役買ってくれそうな気がした。


今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!