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父からもらった服を捨てた

 日曜朝からお弁当を作り、ピクニックに行こうという話になった。塩むすびにきんぴらごぼう、ウインナーと卵焼き。温かいルイボスティーを水筒に入れた。いざでかけようとした時、ふっとオットの緑色のアウターが気になった。
 その緑のアウターは、私の父がオットにあげたものだった。いわゆる父のおさがりで、そういった服がうちには溢れていた。何着も、何着も。父が着た服が何着も。

 それは自然と湧き出た質問だった。
「どうしてそれを着ているの?」 
 今日初めて着たわけではない。それでも気になった。
 どうして父の服をオットは着ているの。
「なんでって、気に入っているから」
「父さんにもらったやつじゃん」
「もらったけど、もらったから、もう俺のだよ」 
 その時はふうん、と気のない返事をしたけれど、なぜ嫌なのかはわからないまま私は怒り出していた。身体中から熱が放出して、喉が裂けるくらい叫んだ。一度大声を出したら止まらなくなった。どうして、私の嫌いな人の服を着るの。嫌な人の服を、これまで平気で着てきたの? 

***

 父は毒だった。私の記憶にある若い頃の父は、怒鳴り、物を投げ、機嫌を損ねると目の前の人を無視して口をきいてくれなかった。暴力こそなかったもののその存在だけで周りを、家族を威圧した。私たち家族はそれを恐れてびくびくと過ごした。 
 言いたいことなんて一度も言ったことがない。自分が「こうしたい」「これは嫌だ」と持ったことも黙殺した。父が喜ぶことだけを話し、嫌なことは飲み込み、父が機嫌が悪くなると全部私のせいだと思った。それは、24歳で私が実家を出るまで続いた。そういう記憶しか持っていない。

 どこがターニングポイントだったのかはわからない。実家を出て、オットと出会い、同棲を始め、結婚をしたら、その過程で父は私を威圧しなくなった。距離ができたからだろう。いい塩梅に。
 私も大人になったし、父も年をとって丸くなったのだろう。毎日そばにいたら疎ましいものも一ヶ月に一度会うくらいの頻度になると互いに気を遣う存在に変わるんだろう。
 だけど、だからといって父にされたことを許せなかった。自分をいじめていたいじめっ子のことを未だに夢見るみたいに。

 それでも月に一度、父と会うのは、母のためだった。世間が言う"親孝行"をするためだ。"親孝行"は、しなければならなぬ。そういう呪縛が身体を締め付ける。
 だから、父が嬉々としてオットにおさがりを渡して「似合うじゃん」というのを見るのも親孝行だ。両親と私とオットの4人でドライブをした時、渋滞に巻き込まれたかなんかで父が車内で信じられないほど怒鳴っても、父を咎めず、"普通のこと"として処理に周るのも、普通のことだ。なんでかって? 親を大切にしろって、そういうもんだろう? そういう気持ちがいつもある。

 私の中の90%は父のことが嫌いだ。なのに、残りの10%は、世間が言う"親孝行"をし、昔とは"変わった"父を受け入れ、怒りをなだめ、そういうものだと愛を納得させようとしている気持ちがある。
 その10%の積み重ねが、父からもらうおさがりの山なんだと思う。家に溜まりまくった父の服。
 100%で嫌いになり疎遠になれたらどれだけラクなんだろうとなんども考えた。でも、考えるほど拒絶できない不甲斐なさで情けなくなる。10%でも毒はまわるのに、その10%だけを受け入れようと私はいつも必死になっている。

***

 君が父の服を着ているのを見るのが、本当は嫌だった。昔、いじめられていた相手にもらった服を家に溜め込まれているようなまれいるような気持ちで、見たくない。できれば自分の服は自分で買って、自分らしい服でいてほしい。私のオットが、いじめっ子にもらった服を着ているのを、いつも見たくない。

 そうオットに伝えると、大きなビニール袋を取り出し、家中の父のおさがりを集めて入れた。ダウンやウィンドブレーカーなどのアウターも全部。   
 嫌なことは溜めずにすぐ伝えてほしいとオットに言われ、私は頷いた。嫌なことを嫌だと言ってもいいんだ、と改めて思った。

 父にもらった服を全部捨てた。これで少し前に進める気がする。


今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!