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いじわるする大人

結局は好きな人の文章を読んで、自分でも気分がのったときに文章にして気持ちを整理するという生活がいちばん性に合っているのだと思う。ライターや編集者という仕事に疲れている。人と話すこと、〆切があること、私が考えた文章や構成などのクリエイティブをおもしろい/おもしろくないと評価されること。メールを送るのにいつも以上にビクビクするには、この仕事で評価される能力が限りなく自分の精神に近いからだと思う。

ちょっと前、すごくいじわるな男の人と仕事先で出会った。その人は自社の同僚にもわざわざ当たりが強い。なので会議などではたびたびその人の後輩たちが萎縮していた。会議で発言なんてもってのほか。後輩たちはビクビクしていた。自社だけにはとどまらない。自分が「認めた」人以外には他社の人でもいじわるするし、小馬鹿にしたような態度をわざわざとる。その人が「認める」というのは、仕事ができる/頭がいい/著名な作家/大企業のえらい人/容姿がいいとか、そういうかんじだと思う。

私は直接いじわるを受けてはいないのだけど、大勢いる会議などで、誰かがその人からいじわるされている現場を見るのが本当に苦痛だった。HSPの特性なのかわからないけど、他人が攻撃されているのを見るのは精神を消耗する。

その人はおそらく支配構図を作らないと他人とコミュニケーションが取れないのだ。いや、むしろそうやっていじわるをして自分の立ち位置を明確にしているのだろう。『このひとよりは仕事ができる自分』『才能あるあの人と一緒に仕事をしている自分』『あのひとと違っておいしいものしか食べないグルメな自分』とか。数多くの自分のキャッチコピーを持って安心を手作りしているんだろう。自分より下だと判断した人にはいじわるをして、上下関係を明確に。自分よりも才能や地位がある人だと判断した人には腰巾着のように褒める、称える、寵愛する。

仕事ができる/できないで言ったら、その人は「自分は仕事ができる」ときっと自ら確信している。でも、本当に仕事ができる人は、後輩を萎縮させないし、他社の人も気持ちよく仕事できるように配慮するし、何よりこうやって間接的に誰かを悩ませたりしない。要は昭和的概念なんだろうか。だとしたらもうそれは遅いし古い。このモンスターの人についてはある意味興味深いので今後も感じたことを書くかもしれない。

私へ肝に銘じたい。その人について今私が悩んでも何も変わらない。そういう人は寂しい人だからあまり巻き込まれないようにしたいね。大丈夫、その人と仮に何かあったとしても、私の人生にはあんま関係ない。

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!