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#152 進路に関するご報告(三浦雅人/4年)

こんにちは。

今シーズンも筑波大学蹴球部への多大なるご声援誠にありがとうございました。


今回部員ブログを担当します、筑波大学蹴球部4年の三浦雅人です。


今回は、私の進路の話についてお伝えしたいと思います。少なからず、私の進路について気になっている方もいると思うので、部員ブログを通じて私の思いや進路決定に至る過程も含めて少しお伝えしたいと思います。

だいぶ長く、拙い文章ですが、最後まで読んでいただければ幸いです。


まず初めに、私を知らない方もいると思うので、軽く自己紹介をさせていただきます。

神奈川県出身の22歳。4人兄弟の3番目で、兄や姉の影響で知らないうちにサッカーを始めていました。幼い頃は年上の人たちと暗くなるまでひたすらボールを蹴っていた記憶くらいしかないです。(三笘薫選手もその一人でした)本格的にチームに入団してサッカーを始めたのは、小学校1年生の頃で、地元川崎のF Cパーシモンというクラブで小学6年生までお世話になりました。その後はヴェルディジュニアユース、ヴェルディユースを経て、筑波大学に進学しました。


早速、進路の話に移りたいと思います。


結論から言うと、プレイヤーとしてのサッカー人生はここで終わりになります。


ただ、プレイヤーは離れますが、私のサッカー人生はまだまだ続きます。

と言うと、サッカーをプレイヤーではなく、別の形で盛り上げたいと思っています。

今後は、スポーツマーケティング・マネージメントを学びに(どちらにするかは考え中ではあるが)海外の大学院進学をしたいと考えています。そのために、来年1年間(もしくは2年間)オーストラリアに語学留学をする予定です。

その後のプランは私の中でいくつかありますが、ひとつ夢をあげるなら、「自分のサッカークラブを持つこと」です。サッカー(スポーツ)を通じて、人と人を繋げたい、人の心を動かしたい、人々の生活とサッカーをもっと近い存在にしたい。などなど、いろいろな思いはありますが、とにかく、最終的に自分のクラブを持つことが、現段階での私の夢です。


正直驚かれた方もいるかもしれませんが、私自身もこの決断をすることは簡単なことではありませんでした。この決断に至るまで、たくさん悩みましたし、たくさんの方に相談しました。この決断に至った経緯や思いをできるだけ素直にお伝えできればと思います。


まず私がそういったピッチ外の活動に興味を持ったのは、無意識的なもので、もうずいぶん前になります。私は、幼少期から地元の川崎フロンターレの試合を観に毎週のように等々力に足を運んでいました。(当時は、今のフロンターレからは想像できないですが、スタジアムが満席になることはありませんでしたし、クラブの規模も今とは全然違いました。)その時から私は、サッカーを観にいくと言う感覚よりも、雰囲気を味わいに行くことを楽しみにしていた記憶があります。

それは大人になってからも同じで、Jリーグを観にいく時は、出場選手や対戦相手、サッカーのレベルなど正直言ってほとんど興味がありません。やはり気になるのは、どんなスタジアムなのか、そのチームがどんな取り組みをしているのか、どんな選手紹介をするのか、どんな演出で入場するのか。など、ピッチ外のことばかりです。笑

こんな感じで、サッカーのサッカー以外のところに昔から興味があり、「いつかそっちの世界にいきたい。」とは思っていました。


そんな思いがあった中で、その思いをさらに加速させる出来事がいくつかありました。ここではその一つをお伝えします。

それは、東京オリンピックです。

私が中学生の時、2020年にオリンピックが東京で開かれることが決まってから、非常に楽しみにしていました。しかし、皆さんもご存知の通り、コロナの影響で1年の延期、さらには無観客での開催となりました。そのこと自体は致し方ないと思っているのですが、オリンピック開催にあたり、批判的な意見が多くあったことが私はすごく悔しかったです。「スポーツなんかなんの役にもたたない」「選手が勝手にやればいい」「国民を巻き込まないでほしい」などの意見があったのは、みなさんも覚えているかと思います。(もちろん批判的な意見が前面に出ていただけで、それが国民の総意とは思ってないです)

そんな声を聞いて、私は、「一人でも多くの人にスポーツの素晴らしさを知ってもらいたい。心が動く瞬間を創出したい。」と強く思いました。この東京オリンピックを通じて、いつか、プレイヤーとしてではなく、ピッチの外からスポーツに貢献したいと決心したことを覚えています。


ただ、それはプレイヤーとして限界まで挑戦して、引退した後からでもできることではあり、まずはプロになれるように頑張ろうと思っていました。


しかし、月日が経ち、本格的に進路について考えた時に、やっぱりこの思いがプレイヤーとして上に行きたいという思いより高いものになっているのを実感しました。

それと同時にプレイヤーとしての限界を感じていた時期でもありました。

日々の練習や関東リーグ、プロチームとの練習試合や、練習参加などをしていく中で、私自身がプロの世界でやっていける自信がありませんでした。

また、プロの世界に行けたとしても、プロ以外でサッカーを続けたとしても「もっと上にいきたい」というモチベーションを持つことができないだろうなと感じました。

実際に、練習参加したクラブから契約できないと告げられた際も、悔しいという思いは正直湧き上がってきませんでした。そのような自身の心境から、プレイヤーとしてこれ以上続ける資格はないと感じました。


時は少し戻りますが、4月に、始めて母親に「もしかしたら今年でサッカーをやめるかもしれない」と伝えました。どんな返事が来るか不安でしたが、母親はすでにわかっていたような感じで、けどやっぱり寂しそうに、泣くのを我慢している顔で、私の話を聞いてくれました。きっとあの時の母親の顔は一生忘れないです。


その後、兄弟や筑波の同期など、本当に色々な人に相談しました。普通なら言いにくいことを打ち明けることのできる仲間がいたのは、本当に救われましたし、みんながいなければ、自身の気持ちに素直になることはできなかったと思います。

そして、夏の終わり頃には私の中である程度の気持ちの整理をし、方向性は決まっていました。


ただ、これを小井土監督に伝えることはなかなかできなかったです。

小井土監督と信頼関係がなかったとか、そういうことでは全くありません。私をプレイヤーとしてある程度評価してくださり、プロを目指す集団の監督を務めている立場の方に対して、申し訳ない気持ちで、伝えるのは、それなりに覚悟が必要でした。その時点では、そこまでの覚悟がなかったのだと思います。

初めて私の思いを伝えたのは、確か10月か11月ごろだったと思います。


それと同時に、マーケティング・マネジメントを学ぶにあたり、どのようなルートが最適なのかを模索していました。私は就活をしていませんでしたので、1年間の就活浪人を視野に、夏過ぎから就活も始めました。(就活と言っていいかわからないレベルですが)マーケティングやマネジメントはスポーツ関連の企業でなくても学べますし、サッカーしかやってこなかった私にとっては、サッカー以外のことはほとんど無知であり、サッカーとは全く関連性のない仕事に、意外と興味がわくかもしれないと思い、いろいろな業種にアタックしていました。幸いにも(?)、私は多趣味なので(建築、再開発、エンタテイメント、コーヒー、映画などなど)、自身の趣味を生かせそうな仕事も多くみつかり、サッカー以外の世界を少し知ることができたと思います。

ここでも本当に多くの方にお世話になりました。


ただ、やっぱりスポーツに貢献したいという思いが強く、またもっと広い世界を知りたいという思いから、海外の大学院に挑戦することを決断しました。(なぜ海外大学院なのかは別の機会でもっと詳細にお伝えできればと思います。)

今まで全くと言っていいほど勉強をしてこなかった私が、海外の大学院なんかにいけるのかは未だに不安ではありますが、人間いつからでも何者にでもなれると信じています。そういった意味では、伸び代しかない私がどこまで成長できるか、本当に楽しみです。


サッカー選手という人生の第1章が終わり、第2章が始まろうとしています。


サッカー選手人生を終えるにあたり、やり残したことも、心残りもほとんどありません。最後の最後まで、自身の力のなさを痛感させられましたし、現段階では、この選択が私にとって最適であったと思っています。

唯一の心残りは、筑波で日本一を、頂の景色をみんなでみることができなかったことです。この思いを次のステージの原動力として、来年から頑張ります。


第1章では、本当に多くの方が応援してくださり、多くの方が支えてくださりました。

サッカーを通じて、本当にたくさんの仲間と出会うことができ、私をここまで成長させてくれました。

まずは、パーシモン、ヴェルディ、筑波で同じチームメイトとして戦ってくれた仲間に感謝を伝えたいです。みんなと本気で結果を追い求めて、悔しい思いもたくさんしたけど、それ以上に毎日が楽しかったです。ありがとう。

特に、筑波のみんなには感謝してもしきれません。ピッチ内外で本当に濃く楽しい時間を過ごすことができました。みんながいなければ、この決断はできなかったです。本当にありがとう!


また、これまでのサッカー人生において、たくさんの方にご指導、ご支援いただき、ここまでサッカーをやってこられたました。そのすべての皆様にこの場をお借りして、感謝申し上げます。


そして、いつも一番私を応援してくれた家族に、本当に感謝しかないです。これでもかという愛情で私を育ててくれた母親。私の原動力となっていた兄弟の存在。家族は私にとってとてつもなく大きな心の支えとなっていました。辛い時も多かったこれまでのサッカー人生でしたが、ここまで続けることができたのは、間違いなく家族の支えがあったからです。プロサッカー選手として、活躍している姿で恩返しすることはできませんが、新しい人生で、何か恩返しができればと思います。



以上、だいぶ長い文章になってしまいましたが、私からの報告になります。

第2章の私にもぜひ注目してみてください。きっと面白い人生を送っていると思います。皆様どうか温かく、時には冷たい目で見守っていただければと思います。


最後になりますが、マーケティング・マネジメント分野でご活躍されている方や、そのような方を知っている方がいれば、ご連絡いただければ嬉しいです。笑 

D Mも受け付けておりますので、ご連絡お待ちしております!

筑波大学蹴球部

体育専門学群4年

三浦雅人

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