日本語教師からゲストハウスのオーナーへ。修行の日々、そして運命の物件との出会い|連載:自分の宿のはじめ方
いつか自分の宿を持ちたいけど、どんな準備をすればいいのか、何から始めたらいいのかもわからない。そんなあなたに向けて宿の開業に有益な情報をお届けする、連載「自分の宿のはじめ方」。宿の運営や、物件探しの方法、実際の開業費用についてなどを、現役のオーナーたちに赤裸々に語っていただきます。
今回は、長野県須坂市で「ゲストハウス蔵」と「一棟貸宿白藤」の二つの宿を開かれた山上万里奈さんにお話しをお伺いしました。宿業に興味をもったきっかけから、開業準備の秘話、当初予定のなかった自身2つ目の宿を開業した理由など、宿づくりを生業にする山上さんのストーリーをお届けします。
日本語教師から一転、旅人を受け入れる仕事へ
ー 自己紹介をかねて、まりなさんの経歴を教えていただけますか?
万里奈:私は長野県須坂市で生まれ育ちました。大学卒業後は日本語教師として、外国人の方々に日本語や文化を教えていました。日本語教師を辞めたあとは、たまたま登録していた派遣会社の割り振りで、飛騨高山の旅館に住み込みで働くことになりました。それが初めて宿業に携わった経験でしたが、日本を楽しみたくて来ている方に対して、旅のお世話をさせていただくのが楽しかったんです。そこから旅人を受け入れる仕事をしたいと思うようになりました。
ー 日本語教師から宿業へと移行していったのですね。そのなかでもゲストハウスを開業しようと思った理由を教えてください。
万里奈:旅館は旅館でよかったのですが、よりゲストと近い場所で自分のおもてなしができるような場所を始めたいと思っていました。それに私の地元・須坂には、当時ゲストハウスが一つもなかったんです。そこから「ゲストハウス 開業」で検索し始めて、宿場JAPANとその修行プログラムである「DETTIプログラム」を見つけました。立ち上げから開業までサポートしてくれる部分や、多文化共生という理念に惹かれてすぐに連絡しました。
白紙からの挑戦を支えた修行の日々
ー そこから修行を始めたんですね。実際に、どのような内容だったのですか?
万里奈:まず、現場のオペレーションを覚えることから始まりました。それと同時並行で宿業に関する講座を受けたり、事業計画の作成に取り掛かります。私は数字があまり得意ではないのですが、メンターからアドバイスを受けながら取り組みました。修行のひとつには「自分のストーリーをプレゼンできるようになる」という課題もありました。地域融合型の宿や体験を作るためには、地域の人に応援されるような人物である必要があるし、そのために応援されるようなストーリーを持っていることが重要だという考えです。自分のストーリーをプレゼンできるようになることで、自分がその地域で宿を開く理由も明確になったと思います。
ー今振り返って、修行ではどんなことを学びましたか?
万里奈:宿業については白紙から始めたので、全てが新鮮でかつ開業を控えているので自分ごととして修行に取り組めました。良かったのは、メンターが道筋を見せてくれていたこと。行き詰まると、いつも具体的な行動を示してくれました。たとえば、ゲストが本当に来るのか不安になったとき「じゃあそのゲストはどこにいるんだろう?」と質問をしてくるんです。私は、ワーキングホリデーで来日している外国人の受け入れ企画を考えていたので「ワーキングホリデーで日本に来日している旅行者は須坂にも来てくれると思う」と答えたら「ワーキングホリデーの協会とか東京にあるんじゃない?聞きに行ったの?」って。そしたら、行くしかないじゃないですか(笑)。行動せざるをえない環境を作っていただいて、不安を一つずつ具体的に潰していくことで、自分で宿をやる自信がついていったと思います。
行動力が実を結ぶ、須坂での物件探し
ー 宿を開業する際に、物件探しは最大の難関の一つかと思います。まりなさんはどのように探していたのですか?
万里奈:初めに、須坂にある不動産を全てあたりました。開業資金が限られていたので、賃貸かつ改修可能な場所を探していたんです。でもやっぱり全然見つからなくて。なので夜暗くなった時間に、明かりの点いていない物件を探し歩きました。電気が点いていない=空き物件の可能性が高いので、そうやって目星をつけていったんです。泥棒みたいですよね(笑)。
ー すごい行動力ですね。その方法で見つかったんですか?
万里奈:見つかりませんでした(笑)。そこでメンターに相談したら「須坂の夏祭り実行委員会を手伝ってこい!」と。修行でも行っていた「地域のイベントに参加」ですよね。この部分が、やっぱりすごく大事なんです。ちゃんと地域のコミュニティに入り込み、繋がりを広げること。そして何より「その地域の情報や影響力を持つ方」からのサポートを得ることが重要だと実感しました。私は出会った人全員に「須坂でゲストハウスをやります。いま修行中で、物件を探しています」と言いまくりました。他にも地域に入り込むために、市役所のまちづくり課で、自分がこれから何をやるかのプレゼンをしました。当時須坂にはゲストハウスがなかったので「なにか新しいことをやろうとしている」と興味を持っていただけたんだと思います。
ー 地域に入り始めてから、物件探しにも変化があったのですか?
万里奈:確実に情報が入ってくるようになりました。須坂に戻り、地域のイベントに顔を出すようにしてから、修行時代の宿題でもあった「その地域の情報や影響力を持つ方」に出会うこともできました。いわばその地域のキーマンとも言える方が、次々と町の協力者を紹介してくれました。電話で空き物件の情報を教えてくれる方もいたし、区長さんが町内の方々に空き物件がないか聞き回ってくれたり、貸してくれそうな空き物件の大家さんへの挨拶に町づくり課の方がついてきてくれたりもしました。常に須坂の中心市街地で物件を探していると言い続けているうちに、町の方から今の物件を紹介してもらうことができました。他にも候補はありましたが、その古民家に決めた理由は二つ。一つ目は、改修の際にどれくらいコストを抑えられそうか。二つ目は、地の利や景観の予測。この場所で宿をやって、ちゃんと続いていくかどうかです。私だけでは判断が難しいので、知り合いの不動産や建築会社の方と一緒に内見へ行きました。
ー 物件探しや最終的な判断にも、それぞれ押さえるポイントがあるんですね。
万里奈:あとは個人的に、その物件の歴史も良かったんです。須坂の歴史を伝えられる元製糸家のお宅で、敷地の奥にはまゆ蔵も残っていました。最終的に、「町の人みんなに探してもらった」ということがストーリーになった点も、よかったと思っています。改修作業も町の人を巻き込んでやったから改修作業も町の人など多くの方々を巻き込み手伝ってもらったことで、OPEN前に既に蔵のファンができている状態でした。修行でも学んだ通り、地域に溶け込むことは、宿を運営していく上でとても大事なことだと思っています。
アルバイトを3つ掛け持ちし、かき集めた開業資金
ー 前回までで、かなり開業に向けて準備が進んでいたと思います。でもやっぱり大きな問題となるのが「資金」ですよね。総事業費はどのくらいだったのですか?
万里奈:結論から言うと、用意したのは600万円(内訳以下)。そこにわざわざ店という、須坂市からの補助金と家賃補助を合わせた700万円が総事業費です。
ー 詳しくありがとうございます。ここまでの資金を、どのように工面されたのでしょうか?
万里奈:丁稚プログラムを終えてから、一年間出稼ぎの期間を設けました。アルバイトを3つ掛け持ちして、なんとか200万円貯めたんです。そうすると母が「宿の中でカフェをやりたい」と言って、プラスで100万円を出してくれることに。そうして300万円集まったんです。銀行の融資では、自分が持っている額と同じだけ借りることだできたので、300万の融資を受けました。そして計600万。須坂市からの補助金を頂いて、合計約700万円ですね。
怒涛の日々を経て辿り着いた「ゲストハウス蔵」の個性
ー ここまでで、開業前のことを詳しくお伺いしてきました。その後、ゲストハウス蔵を始めてからのことをお伺いしたいです。
万里奈:「修行で学んだことをそのままやるだけ」と思っていたので不安はなかったです。でもやっぱり最初は、ゲストが全然来なくて(笑)。当たり前ですが、ただ始めるだけではだめですよね。修行で学んだ通り、どこにお客さんがいるか考えて行動していました。長野の観光スポットでフライヤーを配ったり、観光案内所に突撃営業へ行ったり。ときには東京まで行って、観光地にフライヤーを置いてもらったこともありました。そうやって徐々にゲストが増えて、そこからまたSNSやトリップアドバイザーを見た別のゲストが来てくれるようになりました。怒涛の日々でしたね。
ー 修行での教訓が色々な場所で活きてくるんですね。ゲストが来るようになってからも、何か苦労されたことはありましたか?
万里奈:予約が入り始めてからの3ヶ月は、蔵がどんなゲストハウスで、どんな方に楽しんでいただけるのかを私自身が見つけられていなかったんです。自分ができる宿ってなんだろうと考えたとき、外国人のお客様が「日本の田舎」を感じられるような体験の提案がしたいと思ったんです。他にも日本語教師だった経験を活かして、須坂にいる外国人や観光客の方と地元の人を結びつけるようなイベントを開催したり、ワーキングホリデーで日本に来ている方をサポートするようなプランを考えました。その部分を明確にしてからは、地元の人とゲストがラウンジで出会ってそのまま飲みに行ったり、リピーターも増えていったんです。
100年後の須坂を作るのは今、生まれ故郷に残していくもの
ー 日本語教師だったまりなさんだからこその宿ですね。でも新型コロナウイルスが発生して、考えが変わった部分もありましたか?
万里奈:もちろんインバウンドはゼロになりましたし、多かった関東からのリピーターも移動制限で来られなくなりました。一番辛いのは、地元の方が蔵に来づらくなってしまったこと。でも、なにがあっても生き残ることはできるんだなとも思ったんです。これは同じ長野県の渋温泉で宿を経営する友人が話してくれたことなんですが、渋温泉は300年以上続く温泉街であり、それはつまり2つの戦争を経験していることになる。それでも今なお人気の温泉街であり続けている。純粋にすごいですよね。旅って形を変えながらずっと生き残ってきた産業なので、コロナウイルスが一時的に旅を止めたとしても、消えてしまうことは絶対にないと思っています。
ー 万里奈さん自身は、これからどのように宿を続けていきたいですか?
万里奈:私自身はこれからも現場に立ち続ける、「宿の人」であり続けたいと思っています。「ゲストハウス 蔵」の強みはやっぱり、ゲストとの距離が近いことなんですよね。ゲストのニーズをそのままの温度感で感じながら、ずっと応えていきたいです。ただゲストハウス自体が若者の文化になりつつあるので、そのときの自分に合った「宿の人」の形を探していきたいです。
ー その点で言うと、今年4月には「一棟貸宿 白藤」をオープンされましたよね。
万里奈:ちょうどゲストハウスとは違うタイプの宿をやってみたいと思っていた頃でした。もともと登録有形文化財である「しらふじ」は公的に活用されていたのですが、2019年に民間活用の公募が始まり、審査を経て私たちSHIRAFUJI321という任意団体が管理していくことになったんです。最初は須坂のゲストハウスと同じ方向性の宿をと考えていたのですが建物自体に歴史があり美しく、ここで過ごす空間に価値があるということでのでスモールラグジュアリーの方が良いのではと話がでたんです。個人的にはずっとゲストハウスをやってきた身なので、高価格帯の宿を運営できるか不安でした。そこで宿場JAPANが関わっていたスモールラグジュアリー宿で、数ヶ月また修行させてもらったんです。その繋がりや、経験を得ることができたのは、「一棟貸宿 白藤」を始める上で自信になりました。
ー 最後にまりなさんの挑戦は「ゲストハウス蔵」そして「一棟貸宿 白藤」と繋がってきています。これからはどのように宿を運営していきたいですか?
万里奈:ブランディング会議の際に「須坂が好きだと言うけれど、100年後の須坂はどうあってほしいの?」と聞かれたことがありました。でもそのとき私は、何も答えられなかったんですよね。特に「残していく」という意識が薄かったことに気がつきました。でもやっぱり100年後の須坂を作っているのは、まぎれもなく今の私たちなんです。あたりまえだけど、いま壊してしまったものは100年後にも存在しない。なので白藤は、明治期から栄華をを誇った須坂、そしてその頃から繋いできた須坂の美しさを、100年後に残していく。そんな宿にしていきたいと思っています。
ー 素敵です。今日はありがとうございました。
(執筆:鎌上真帆 企画編集:宿場JAPAN)