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コメダ珈琲のソフトクリーム

コメダ珈琲のソフトクリームをご存知だろうか。
メニューを見たとき、その見た目の強さに脳が焦げそうになった。

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皿の上にソフトクリームが横たわっているのだ。
私は初見、コーンがクリームを支える時代は終わったのか...と心で呟いた。

理由が気になり調べてみると、答えはそれなりにすぐヒットした。頼んでみるとよりわかるのだが、「ソフトクリームの量がかなり多いため、お客様が倒してしまわないようあらかじめ倒してある。」という優しさらしい。

考えたことなかったが、コーンカップのソフトクリームには「クリームの量」に限度があったのか、と気付かされた。

食べ進めていくと、溶けても皿の上なので何の問題もなく、急いで食べる必要がないことにも気づき、コーヒーをゆっくり飲みながら同時に楽しむことができた。コーンカップのソフトクリームにはタイムリミットという制約も存在していた。

こうして私は、次々この状態が合理的な形であることを身をもって知っていくのであった。

食べたくない時は両手が自由になるし、人にも簡単にシェアできる。ネットには「お客様が倒してしまわないように」と書いてあったが、同時に作るアルバイト側のミスも軽減されているのではないか。

持ち歩く必要のない喫茶店というフィールドで、
「支える」という任務をおえたコーンはなぜ存在しているのか。シンプルにコーンの味を含めてソフトクリームの美味しさを感じれるというメリットがあるだろう。

そして何よりコーンがあることで、機能性を失ったとしてもソフトクリームらしさを成り立たせる強烈なアイコンとして存在しているように感じた。

ソフトクリームを食べる行為に発生する要素を勝手に分解できた気がして嬉しくなり、帰って表にしてみていた。

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ソフトクリームが立っている必要性、というルールを1つやめるだけであらゆる拡張をしたコメダ珈琲のソフトクリームのこの造形を、私はモノをつくる時にたまに思い出したい。

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