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ものすごい偶然

私は先日、「ものすごい偶然」としか表現できないような、驚くべき体験をした。

その時の私は、仕事とプライベートのどちらでも画面を観る時間が長く、少しばかり目に疲労が溜まっていた。
仕事で画面を観るのは仕方がないとして、仕事が終わったらなるべく目を休められれば良かったのだが、その時の私はある漫画をパソコンで読むのが寝る前の大きな楽しみでもあったため、仕事で多少目が疲れていてもその漫画を毎日読み進めていたのだ。

私は昔から、目に疲労が溜まると右目のまぶたが少し痙攣気味になってしまうことがあるのだが、上記のような生活を数週間続けていたので、ある日その症状に襲われてしまった。
この症状が出ると、さすがに目を休めなければいけないという意識が働くのだが、漫画の続きはそれでも気になってしまう。

そこで私は、あることを試してみることにした。
家にあった仮眠用のアイマスクを、右目だけを隠す形で斜めにつけ、左目だけで漫画を読んでみることにしたのである。
片目だけで読む漫画は想像以上に読みづらかったのだが、少し続けているとだんだん慣れてきたため、おそらく30分ほどはその状態で読んでいたと思う。

今日はこの辺りにして、もう寝よう。
そう思った私はパソコンを閉じ、部屋の電気を消した。
そして、アイマスクを取った瞬間のことである。

視界が明らかにおかしくなった。
黒とグレーの二色が、脳内で点滅するような感覚に襲われたのである。
混乱した私は瞬きをしたり手でこすってみたりして、自分の身に何が起きているのかを把握しようとした。

そして、いくつか試すうち、私は何が起きているかを理解した。
左目の視界は真っ暗闇で何も見えず、右目の視界は暗闇の中でもはっきりと部屋の様子が見えていたのである。
どうやら、右目だけをしばらくアイマスクで隠していたため、右目だけが既に暗闇に順応していたようである。
暗闇がはっきり見える右目と、ついさっきまで明るい世界を見ていて暗闇ではまだ何も見えない状態の左目を同時に開けると、真っ暗な映像とくっきり見える室内の映像が同時に脳に流れ込み、点滅のような現象を起こしたのだ。

「えぇ...こんなことが...!」
私はつい独り言をこぼしてしまうほど、自分の身に起きている出来事に興奮していた。
右目だけ、左目だけ、両目と、順番にやっていると、一つの身体とは思えないような現象が起こるのである。

私は様々な見え方を試して遊んでいたのだが、数分後には左目も暗闇に順応し、やがて両目の見え方に差は無くなっていった。
すごい発見をしてしまった、これを何かに応用できないか、みんなはこの現象を知っているんだろうか。
そんな状態で、その日は目が疲れていたのに、興奮してしばらく眠れなかったのである。


しかし、話はこれで終わりではない。
ここからが、本当にすごいところなのである。

次の日の夜、私はまた右目だけを隠した状態で例の漫画を読んでいた。
私がその時楽しみに読んでいたのは、野田サトルさんの『ゴールデンカムイ』という漫画で、明治末期の北海道周辺を舞台に、アイヌがどこかに隠したとされる金塊をめぐる話であった。有名なので、読んだことのある人も多いと思う。
毎日10話くらいを寝る前に読み進めていたのだが、その夜私が読んだ話の中で、ついに信じられないことが起きたのである。

その話では、ある人物たちが暗闇の中で戦うシーンがあったのだが、その中に出てきたのである。
片目を眼帯で隠している人物が。

その人物は暗闇での戦闘を見越してあらかじめ片目を眼帯で隠しており、眼帯を取ったら即座に暗闇に順応することを利用し、戦闘を有利に進めようとしたのだった...

私は自分の心臓が高鳴っているのを感じた。
私は昨晩、右目の負担を軽減してみようと思いつき、26年間の人生で初めて片目だけにアイマスクをして漫画を読んだ。その結果、偶然にも片目だけを暗闇に順応させられるという衝撃的なことを身を持って発見した。
その次の日に、その現象を利用して暗闇で戦う人物が、昨日も読んでいた漫画の続きに登場した...?

これは偶然ではない、こんなことがあるはずがない。
私は漫画を読むのを中断し、今までの自分の行動、大げさに言えば人生を振り返った。
私はどこかで、片目だけを隠して暗闇に順応させる話を聞いたことがなかったか?
昨日の体験は、本当に私の人生で初めてだったか?
誰かから、ゴールデンカムイの中のそのエピソードを聞いて、興味を持って読み始めたということはなかったか?

いくら自問自答しても、私が昨晩した体験と、その翌日に読んだ漫画の内容を紐づけるようなことは、当然だが何もなかった。私が体験した一連の出来事は、単なる「ものすごい偶然」であり、それ以上でも以下でもないということがおそらく真実なのである。

この『週刊 ん?』では、日常の中で意識しなければ見逃してしまうような小さな違和感や気づきを掘り下げる、という名目で活動している。
そういう観点では、今回の私の記事は場違いかもしれない。
起きた出来事は確かにすごいことなのだが、それは単なる偶然であり、特に考察できる論理的な点もないのである。
しかし、この出来事は、誰かに話さなければ気がすまない、自分のうちにしまっておくことなど到底できないパワーがあった。

私が大好きな映画の一つにクエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』がある。
出来るだけネタバレにならないように書くが、この映画の中で、一つの「ものすごい偶然」の出来事が、ある人物の心情や、それまでの考え方を大きく変えてしまう描写がある。その出来事をきっかけに、その人物はある大きな決断をするのである。

私が今回体験したのは、映画の中の出来事ほど大きなものではない。
しかし、この一連の出来事を境に、私の中で「奇跡」や「運命」といったような、それまでの自分では口に出すのも恥ずかしいと思っていた言葉に対して、多少なりとも認識が変わらざるを得なかったのも事実である。


遠藤紘也
ゲーム会社でUIやインタラクションのデザインをしながら、個人でメディアの特性や身体感覚、人間の知覚メカニズムなどに基づいた制作をしています。好きなセンサーは圧力センサーです。
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