見出し画像

お嫌いでなければ

2年ほど前から、お昼に通うようになった職場の近くのカレー屋さんがある。地下にあるカウンター席のみのシンプルなお店で、いつも同じ女性の店員さんが丁寧な接客で対応してくれる。

最近またそのカレー屋を訪れ、いつも通り名物のドライカレーを食べて会計にて支払いを終えると、女性の店員さんは「いつもありがとうございます」と私にお釣りを渡した。
いつもならこれで終わりなのだが、この日はお釣りに続けてさらに「お嫌いでなければいかがですか」と謎の小さいカードを一枚渡された。
そのカードには、得体の知らない魚人のイラストが描かれていて、「アマビエ」という文字が記されていた。私は一瞬脳がフリーズしたが、「ありがとうございます」と笑顔で受け取り財布にしまってしまった。

私はなんともモヤモヤした。
店を出てとりあえずこれが一体何なのか「アマビエ カード」で急いで調べた。するとどうやら、疫病退散の象徴である妖怪「アマビエ」(アマビエ自体知らなかった...)をモチーフにした手作りのお守りであることがわかり、この様なご時世だからこそのお店からの計らいであった。

これの正体は分かったところで、私が気になったのはそこだけではない。
渡された時の「お嫌いでなければいかがですか」という質問である。
この質問に対して受け取らないという選択をすれば、私はアマビエのカードが嫌いということになる。私はとっさに「俺はアマビエのカードが嫌いか?」と頭の中の引き出しを開けたが、そこには何も入っていなく思考が停止してしまった。
当たり前だが、アマビエのカードという初めて見たものに対して好きとか嫌いとかそんな感情がある訳もなく、そうなると嫌いとは言えない=受け取るという選択肢しかなかったのだ。

この店員さんの言葉に特別な意図は全くなかったと思われるし、アマビエのお守りを貰わなきゃよかったという後悔もそこまでではないので別にいい。

ただ、質問のしかた次第で「答えの選択肢」が限定され、結果的に本意でない選択をしてしまったり、他の回答を考えることすらできない状況が日常でも多々ある。

「今、忙しい?ちょっと手伝って欲しいことがあって」
「忙しくないです」
「では頼んだ!」

→ 手は空いていても手伝いたくない・手伝えない理由は他にあるかも知れないが、忙しくないと言った時点で手伝うことになってしまった。
「お菓子買ってきたんだけど、きのこの山とたけのこの里どっちがすき?」
「きのこの山かなー」
「じゃあそっちあげるね」

→ AかBかという2択を迫られると、比較の観点で思考して答えてしまい、そもそも今甘いもの要らないという選択ができなくなってしまった。

相手に何かを尋ねる際は、質問とこの質問に相手がどう答えられるかまでがセットであるということを改めて考える良いきっかけとなった。


来週も同じ時間の23時頃に新しい記事が更新予定なので、寝る前に忙しくなければぜひ読んでいただきたい。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?