お前はもう来年の誕生日を迎えている
北斗の拳の主人公ケンシロウの決め台詞である「お前はもう死んでいる」は、誰しも一度は聞いたことがあるのではないだろうか。
「お前はもう死んでいる」とは、暗殺拳である北斗神拳をくらった者たちが、自分の身体が破裂する寸前にケンシロウから発せられる死の宣告のような言葉だ。
私はこの「お前はもう死んでいる」という10文字の言葉に、とても大きな人生哲学が隠されているように感じた。
「お前はもう死んでいる」
一体、死とはどこからが死なのか。死ぬことが確定している人は、すでに死んでしまっていることと変わらないのか。
しかしそうだとすると、困ったことに私たちは皆、もうすでに死んでいることになってしまう。そして死んでいるだけではなく、毎年の誕生日もすでに迎えていることになり、明日の朝食ももう食べてしまったことになるのだ。
仮に人生で起きる全ての出来事がすでに確定しているのだとしたら、自由意志のない人生に何の意味があるのかとさえ思えてくるだろう。しかし、未来の出来事が確定していたとしても、それらを体験できるという価値は残されている。
物語の結末を変えることのできない漫画も、読者にとっては全く自由意志がない人生のようなものだ。それなのに私たちは、北斗の拳を読んで毎回手に汗を握りながら一喜一憂することができる。
人生の意味や価値は、何が起こるかわからない未来を変えることではなく、今この瞬間に起きている出来事に焦点を当てながら、できる限り楽しんでいくことなのではないだろうか。
そう考えると、「お前はもう死んでいる」という一見救いようのない言葉に、「今この瞬間を思い切り楽しめ」という温かいメッセージが隠されていたように思えてきて仕方がないのだ。
作者がこの言葉に込めた意味の真相は定かではないが、私は今日を、今この瞬間を、思い切り楽しんで生きようと思う。
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