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収入激減。独立の継続は、ほんと大変だった。

師匠の金久保さんと一緒に仕事をしたのは5年間ですが、二人の方向性が徐々に変わってきまして、協業が終わるときが来ました。

要因は、今から振り返れば、お互いが寄りかかっていたことによる硬直化でした。私は師匠に営業面を頼りにし、師匠は私にすべてのアシストを期待しました。

このタイミングでちょっとしたボタンの掛け違えが生じて、コンビを解散しようとなりました。

私は、このとき「自分の営業力」に対して、伸ばして行かなければならないと考えていましたが、師匠から来る作業があって、自分の営業ができない状態。ずっと仕事が来れば問題ないのですが、なかなかそうはいかない状況もあります。

そして、あるタイミングがきて、私から離れて行った感じです。


「少し実力が付くと選択肢が広がる」とよくいいますが、まさにその通りでした。

師匠から事務所の鍵を預かっていましたが、それをお返ししました。師匠からはいつでも事務所に来いよって言っていただきました。


それまで、師匠からは、毎月40万円は頂いていたと思います。

それを0円にして、再スタートでした。


もう、必死こでした。


家のローンや車のローン、食費、息子の保育園の費用とか、、、払えない。


ここで、また、独立したときにように足掻くのですが、このときに、2つの大きなきっかけができます。


1つは、師匠がフォローできていなかった、Y経済研究所のお仕事のフォロー。

1つは、美容室の経営サポートの開始です。


Y経済研究所とは、師匠を通して、ジーンズ白書などの「〇〇白書の制作」を行っていましたが、なかなか面倒な仕事なので止まっていました。

それを再開させると同時に、Y経済研究所経由のコンサルを受け始めました。

ファッション業界の企業のコンサルでしたので、これまでの仕事が役に立ちました。

収入的にかなり助かったのを覚えています。天の恵でした。


前の会社で、Y経済研究所のメーカー名簿を見て営業を開始したので、Y経済研究所とは縁が深いようです。


「仕事がないときは、もう一度、過去のルートを洗い出す」がリアルで教訓になりました。

そして、運命を変えた、美容室のコンサルがスタートしました。


師匠と別れる前に、たまたま、ロレアルという美容品メーカーの方と知り合うことができました。


この方も、ほんとに尊敬し、足を向けて寝られない方、戸谷先生です。


戸谷先生は、ロレアルの教育部門のトップの方で、美容室の方々に対して、経営のサポートをされておられました。

そして、ビジネスマスターユニバーシティというビジネスのコースを作られるタイミングで、中小企業診断士の仲間の中辻先生から戸谷さんへ紹介をしていただけました。

中辻さんは、「本を書いて有名になろう会」で知り合った先生で、京都出身の、ものすごく後輩の面倒見にいい方でした。

このとき、中辻先生が、私に声をかけて頂いていなかったら、「美容室のコンサルティング」は行っていなかったです。


すごい縁です。


戸谷先生を紹介していただいて、アパレルで行っているマーケティングを美容室に入れ始めました。

まずはアンケートから始まって、トレンドの変化の様子や、そのころ、徐々に始まっていたインターネット対応の話、

その他、サロンのコンセプトを設定する重要性などを講義させていただきました。


これがきっかけで2005年には、宇都宮のビューティアトリエの郡司社長(当時はマネージャー)と出会い、

はじめて、美容業の企業に対して「マーケティング」を入れていくことになりました。


師匠と分離する前に、こういった動きがあったので、美容業のコンサルに専念する素地が出来ていました。


師匠と離れるときに、「何で食うの?」という話になり、「美容室のコンサルをしようかなと思います」といったときに、「そんな、1回しか仕事をしたことがない業界でできるの?」と言われましたが、そのときは、やるしかないですといった記憶があります。


必死でやればなんとかなる、、、が実現する、ちょっと前の話です。何の根拠もない恐ろしい話でした。

でも、結局はなんとかなったんですね。今から振り返ると。

次回は、なんとかするときの大変さについて、お話いたします。



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