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Jでの再会。牛にひかれて信州ダービー観戦記。

こんばんは!コダカです。
突然ですが5月15日は何の日だったかご存知でしょうか?

そう、そこのあなた正解です!
カズです。北澤です。マイヤーです。

正解はJリーグの日です。

5月15日国立競技場の横浜マリノス(当時)vsヴェルディ川崎(当時)の試合でJリーグが開幕したのを記念して制定されました。

5.15Jでの再会

奇しくも同じ5月15日、とある試合が長野県で開催されました。

AC長野パルセイロ(ホームタウン長野市他)vs松本山雅FC(ホームタウン松本市他)

同じ「長野」県で活躍する2チームの試合です。
しかし、この「長野」という地名ですが今日対戦する松本をはじめ県中南部の人々は長野ではなく信州や信濃という呼び名を好みます。

それは何故か。

長野県の成り立ちを遡ると、この2チームのホームタウンの因縁の歴史が浮かび上がってきます。

因縁の背景

時は明治初頭。
廃藩置県で藩の枠組みから都道府県制へ変更するため統合合併が進みました。

当時の信濃地方も例外なく伊那県と長野県が統合したり、飛騨地方の一部が筑摩県と統合されました。しかし筑摩県の松本の筑摩庁舎が原因不明の火事で焼失。そのため筑摩県は分割され南部は岐阜県、北部は長野県へとそれぞれ統合され現在の長野県の形になりました。

このことから旧筑摩県地域では、長年に渡り分県や県庁の移庁を求める意見があり、昭和23年の長野県庁が火災で一部焼失した際には分県派と現状維持の議員との間で議会が紛糾。「分県に関する意見書」決議案が提出され議会に警察が動員されましたが、白紙もあり決議の投票数に届きませんでした。「議長(副議長)は『賛成、反対、何れも法定得票数の30票に達しませんので、本案は可決、否決何れも決定いたしません。』」(引用:長野県議会HPより)との結論となりました。

その後、県行政の不均衡について調査する「県行政調査特別委員会」の設置や、政府政策の新産業都市に松本・諏訪地区が指定される施政が行われ現在に至っています。(以上参考:長野県議会HP)

長野市出身の知人にこのことを聞くと「いつの話?令和の世の中で分県で対立している人はボクの周りにはいないですよ。」と笑われました。しかしその一方で、長野県を代表する都市として「松本だけには負けられない」というプライドとライバル意識はどうかしらあるそうです。

作られたイベント的なダービーマッチが多い中、歴史的にも本当の因縁がある両都市のクラブがガチンコでぶつかり合う一戦。


それを人は「信州ダービー」と呼ぶのです。

ダービーとは?



さて観戦記に行く前にダービー(マッチ)とはなんぞやをサラッとおさらいします。

ダービー‐マッチ【derby match】 の解説
サッカーなどで、同一地域に本拠地をおくチーム同士の試合。ダービー。

デジタル大辞泉(小学館)

同じスタジアムや隣接する街のチーム同士がオラが街の誇りをかけて対戦するフットボールの試合を指します。

有名なところでスペインのバルセロナvsレアル・マドリーのエル・クラシコ、イタリアのミランvsインテルのミラノダービー、イングランドのマンチェスター・Cvsマンチェスター・Uのマンチェスターダービー、日本だとジュビロ磐田と清水エスパルスの静岡ダービーやアビスパ福岡とサガン鳥栖の九州ダービーは有名で、その他世界各地のリーグに無数のダービーマッチが存在しています。

ダービー当日、両サポーターが練り歩き飲み歩き歌い歩き、街はいい意味でお祭り騒ぎ、悪い意味で機能不全となります。そして試合の結果でサポーター同士の衝突で警察が出動したりと暴走することもしばしば。

海外のような衝突や暴力沙汰などは皆無ですが、信州ダービーはそれに劣らないサポーターの熱量と地域リーグで1万人を超える観客動員数を誇るほど特殊な試合で、それが映画になったほどです。

映画『クラシコ』2011年日本 監督 ‏ : ‎ 樋本淳
2009年、地域リーグの中で最も激戦と言われた「北信越リーグ」を取り上げたドキュメンタリー映画『クラシコ』。故・松田直樹選手の移籍で注目を集めた松本山雅FCと、AC長野パルセイロによる“因縁の対決 (=クラシコ) ”そして、選手たちを支えるサポーターたちの熱き闘いの日々を、一年間に渡り記録し、サッカーを通して、地域に生きる老若男女が郷土愛に目覚めていく姿がリアルに映し出される。(中略)09年に松本山雅FCがJFL昇格を決め、10年にはAC長野パルセイロがJFL昇格を果たした。11年5月に行われた信州ダービーでは1万人を越える入場者数を記録し、両チームともに注目を集め続けている。

引用:Amazon商品ページ



しかしながらJリーグ加盟後、違うカテゴリーに両クラブは所属し、2012年から2021年までリーグ戦天皇杯を含めて信州ダービーは開催されませんでした。

それが今シーズンまさかの松本山雅のJ3降格をうけて、11年の時を経てJリーグの舞台で信州ダービーが開催されることになったのです!

「いつか」は今だった。

映画「クラシコ」で感化され、応援チーム(FC東京)との松本山雅の試合では松本の地でロケ地巡りをしてみたり、関東で開催されたJ3長野の試合に行ってみたり、別々ですが両チームをウオッチしてきました。
そして今年、これまでJリーグで交わることがない松本山雅と長野パルセイロの奇跡の再会。否が応でも思いは募ります。

信州ダービーいいなー。
いつかは行ってみたいなと思っていたら…。

ん?

○?

チケットがまだある?

日曜日の夜だけど、最悪でも月曜日の午前中までに帰ってくれば問題ない。

このチャンス逃す?逃さない?ど・っ・ち・な・ん・だ・い?(パワー)

その「いつか」がスグにきてしまいました。

なかやまきんに君よろしく行ってきます。長野県。

決戦の地、長野へ。

当日の朝。
ツイッターでチケット完売の報を知ります。

このつぶやき一つ見てもスタッフの喜びと熱量を感じます。

チケット完売で満員のスタジアム。
運営に関わる人たちの悲願が叶うのでしょうか。

何年振りかの長野駅です。


長野駅に降りると静かです。
時間が早かったせいもあるのかな。
街中には信州ダービーのポスターが結構貼ってあって気分が上がりますが…。

市内のお店で見かけました。
長野駅前の飲み屋さんのディスプレー

お、それでも駅周辺でキョロキョロしているサッカーアイテムを身につけた旅行客を数人発見。
サッカーショップKAMOのバック、某関東のチームのジャージ。
ボクにはわかる。
ボクもFC東京マスコット・東京ドロンパの柄が入ったエコバックをぶら下げているので(笑)。

同志よ、あなた達も見にきたのですね。

信州ダービーは長野県内の人々を超えて、今では日本全国のサッカーファン注目の的なのです。

試合は19時キックオフ。
さすがにスタジアムに行くには早すぎることもあり、せっかくなので長野を観光してきます。

松代の真田邸
武田信玄と上杉謙信の川中島古戦場

史跡の宝庫ですね。半日では回りきれません。
また観光だけでもきていいかなーと思いつつ、休日の家族連れに紛れ込みながら、ひとり川中島の売店でおでんを食べて準備万端。

公園の売店にて。

そろそろスタジアムへ行こうと、お店の人に行き方を聞いたらスタジアムへのバスは篠ノ井駅からしかないと言われたので古戦場から歩きます。2キロ半ぐらいですかね。距離的には新宿から渋谷ぐらいかな。そう考えると移動可能距離です。(あまりオススメはしません。)

りんご畑の先にはスタジアムと大行列

この日はスタジアム周辺やパーク&ライド用の臨時駐車場がOPEN

トコトコ歩いていくとコンビニを発見。
飲み物と夕食までのつなぎで昆布のおにぎりでも買おうと入店すると、ガラーンと広がる奥の陳列棚。
お弁当やおにぎりは跡形もありません。
米ものは全て売り切れでした。

おでん食べておいて良かったなぁ。

コメから先に売れて行くのはスポーツ観戦あるあるですね。


存在感がある長野Uスタジアム

さぁ、いよいよ、りんご畑の隙間から見えてきました長野Uスタジアム。
オリンピックのメイン会場となった野球場の横に並び立つ姿は壮観です。

ちょっと早く着きすぎたのでケータリングでも冷やかそうかなと思ったら…え?なにこの列?

入り口に向かう待機列



目の前には長蛇の列という表現にぴったりな入場列が地平線の向こう側まで続いているではありませんか!!

これはいかん。早く並ばないと試合が始まっても入れなかった先日のニュースみたいになるぞ!と列の最後尾を探します。

長野オリンピックスタジアム

まだ


まだ


あ、あれか!

公園の反対側の入り口が最後尾でした。

全長で1キロは軽く超える伸びに伸びた列は善光寺まで(って言ったら長野出身の友人に怒られるかな?)は伸びてはいませんでしたが、ぐねぐね曲がりくねった列は公園の端っこまで達していたのでした。

列の後ろにつくと意外と止まることなく進みます。
それでも30分ぐらい並んだかな。
難なく入り口に到着。

目星をつけていた空きがありそうなバックスタンドに向かいます。


極上の舞台へ、いざ入場。

2階からの眺め、素晴らしかったです。


階段を昇りゲートをくぐるとそこに広がる緑のピッチと茜色の夕焼けが。


絶景。


素晴らしい。

1万5000人収容の球技専用スタジアムでピッチに近く、角度があるスタンドは言葉に尽くせないくらいの見やすさ。
さらには上層席が2階までしかないので圧迫感もなく視界には空が広がっています。
しかも、屋根付きはポイントが高い!


あまりの素晴らしさに我慢ができないのでスタジアムを回ってみました。


ぎゅうぎゅうで試合前から躍動する山雅側ゴール裏。
パルセイロ側の1階G裏も早い時間からぎっしりでした。



パルセイロのファンサポーターは幸せですね。
こんなステキなスタジアムでホームチームの試合が見られるなんて。

大型ビジョンも気合いが入っています。

煽りに煽った選手紹介からいよいよ選手入場です。
スタンドいっぱいの観客が入場時に配られたオレンジのハリセン兼メッセージボード、緑のマフラーをそれぞれ掲げます。

選手入場。感動的な光景でした。

これが本当にJ3の試合なのか。

埼スタでも日産スタジアムでも味スタでもありません。

風光明媚な景色の中にポツンと建っているスタジアムがオレンジと緑のユニを着た多くの人で埋まっています。

「地域密着」Jリーグの理念が今ここに形となって広がっています。

ものすごい雰囲気でした。こんなワクワクとドキドキが詰まった選手入場はなかなか経験したことがありません。

チャントもない声援もない、しかし打ち鳴らされる太鼓と手拍子とハリセンの音は高揚感と一体感を高めていきます。

時は来た。19時3分


そしてキックオフ!
J初のリーグ戦での信州ダービー。
ついに戦いの火蓋が切られました。

前半からスタジアムの雰囲気に感化されたのか両チームバチバチにやり合います。特に球際のコンタクトは激しく、互いに詰め寄る場面も。

次第に強力攻撃陣を有する松本山雅がJ3得点ランキング1位の横山選手を中心にパルセイロ陣内に攻め込む形が増えいきます。

一方、パルセイロも献身的なディフェンスで決定的な場面を阻止。
数少ないチャンスを武器である宮阪選手のセットプレーに託し山雅ゴールに迫ります。

互いに譲らないまま試合は終盤に差し掛かります。

パルセイロ主催試合過去最高の驚異の動員数でした。

89分、宮阪選手のフリーキックから山本選手のヘディングシュート。
わずかボール一個分枠を捉えることができず、パルセイロサポーターの悲鳴と絶叫でスタジアムが揺れました。

アディショナルタイム、サポーターの願いを込めたパルセイロのクロスが山雅ディフェンスに跳ね返され、熱狂の時間はついに終焉を迎えます。

タイムアップ。

まさに死闘でした。

戦前からハイテンションだった試合は両者譲らずスコアレスドローで幕を下ろしました。

一瞬の静寂の後、湧き上がるような大きな拍手がスタジアムを包み込みます。

脱力、しばし脱力。

終わった。
満足感と寂しさ、そして感動。
込み上げてくるものがありました。

パルセイロの選手たち、悔しそうでした。

夜になり昼の暖かさが嘘のように気温が急降下して、ダウンジャケットがちらほら見えたのですが、熱気と熱気のぶつかり合いで90分間寒さを忘れていました。

試合後ピッチに倒れ込む選手が出るほど死闘を戦い抜き、全力を尽くしたパルセイロと山雅の選手たちの挨拶を見送った後もなかなか立ち上げることができません。

最後の篠ノ井駅行きのシャトルバス時間がアナウンスされ、後ろ髪を引かれる想いでスタジアムを後にしたのでした。

ゴール裏の通路に貼られていました。サポーターの気合い。



戦い終えて月が出て。



さて、このまま新幹線で帰京したいところですが、この混雑と電車の接続では22時の最終の新幹線は無理だろうと早い段階で諦めて、長野駅近くの安いドミトリーを予約しました。

予約したはいいけど、とりあえず長野駅まで行かないといけないのですが、
篠ノ井駅行きのバスはどこかな…。土地勘もないので暗闇の中でシャトルバスの列を見つけることができません。うろうろしていたら公園の外に出てしまいました。

タクシーはいないし、どこからかやってきたシャトルバスが通り過ぎていきます。

グーグルマップを開くと篠ノ井駅までおよそ3キロ40分。
並ぶのも入場の時で飽きたし、熱戦を振り返りながら歩くのもいいかなと。
試合終わりでアドレナリンが出終わったカラダにはとても寒かったこと、また、街灯もなく幹線道路沿いはほぼ暗闇だったのでめちゃくちゃ怖かったことを除けば、さほど苦にならない距離でした。
(オススメしません。ナイトゲーム後は素直にシャトルバスを使ってください。)

来る前から懸念した通り、普段の倍以上の観客の長野Uスタジアムの帰路はやっぱり大変です。

シャトルバス乗り場までたどり着けないボクみたいなのは論外なのですが、他のファンの人たちも帰りの交通機関を心配にしてか、試合終了を待たずに多くの人が座席を立ってしまったのは今日唯一の残念なことでした。

大人の事情はあるにしても日曜日の19時開催で終了が21時前後、いくら車社会と言えども、シャトルバスの行く先の少なさとJRの本数の少なさはちょっと何とかならないものかと。

前を歩いていた地元の大学生ぐらいのグループは長野から先の終電に間に合わない、タクシーか始発までカラオケにするかと相談する声が聞えてきました。

もし、サッカー観戦でよく見かけるそれより下の高校生・中学生の子どもたちだけのグループがきていたらどうしていたのだろう。
ちょっと考えてしまいました。

しかし他のクラブがそうであったようにパルセイロも近い将来昇格して、場数を踏んでスポンサーも集めて地元の支援も増えて、徐々に改善されていくだろうなと思っています。

夜の篠ノ井駅

ああ、やっと着いた。夜道は風景が見えないので余計に長く感じました。

篠ノ井駅にはオレンジと緑のユニフォームを着ているサポーターさんたちが放心状態で40分後にくる次の電車を待っていました。

両サポーターにとってもこの試合にかける意気込みは相当なものだったのがそのお疲れの姿から伝わってきます。

どんだけってぐらいポスターが掲出されていました。


牛に惹かれる善光寺



翌朝、帰る前に寄り道して早くからやっている善光寺へ。

善光寺まで続く参道を地元のラジオを聴きながら歩きます。
リスナーさんからのメールもDJのフリートークもニュースの内容まで、ほぼ信州ダービー一色。

すごいもの見ちゃったなと昨日の興奮が蘇ってきました。

坂の途中には長野五輪のメモリアム
朝でも参拝客がいます。

程なく善光寺に到着。

「牛に引かれて善光寺詣り。」今回は牛じゃなくサッカーだったけど。

善光寺は7年に一度のご開帳を行なっています。
本来ならば去年開催だったそうですが、このご時世もあり一年延期し、平日の朝にも関わらず全国から訪れたであろう参拝客の皆さんで賑わっていました。

回向柱、みなさん手のひらをつけてお祈りされていました。


善光寺といえば、牧場をやっていた祖父が牛が関係しているということで、よく善光寺をお参りしてお札をもらってきていたらしいです。

天国のじいちゃん喜んでくれたかな。

本堂に入場する待機列で御高齢の女性が小さなお孫さん?子どもたちに話しをされていました。
やっと来れたね。次のご開帳になると花子ちゃんは中学生。太郎くんは小学生だね。私は…また来れるといいねぇ。と。

かわいい牛もいました。

7年周期のご開帳、11年ぶりの信州ダービー。
初めての人も何年ぶりかの人も、月日は違えど皆さん待ち遠しかったのだと思います。

毎年・毎シーズン開催される試合の素晴らしさは別にあるのですが、期間が開くことで、2度とないこの瞬間を大切にして生きないと。と普段忘れている時間の尊さや機会への感謝を教えてくれるのかもしれません。

当然ですが来シーズン山雅とパルセイロどちらかが昇格してしまえば、信州ダービーは行われません。昇格でダービーがあるとするならば両クラブとも昇格してJ2で対戦するのが一番ハッピーな形です。

次のご開帳のときはパルセイロと山雅はどのような歩みを見せているのか、そのとき信州ダービーは開催されるのか。

いずれにしてもまたこの地を訪れることでしょう。

さすが蕎麦どころ。立ち食いの朝蕎麦でも唸るクオリティ。


旅の終わりは瞬間移動


北陸新幹線、あっという間でした。

満足からの抜け殻。
我欲の全てをぶつけた信州の旅を終え東京へ帰ります。
しかし新幹線は速い。目を閉じたら一瞬で大宮に着いていました。
ふらふらの足で予定の場所へ。

疲れ切ってその日は使い物になりませんでしたが、いいんです。
ずっと行きたかったあの熱狂の信州ダービーを体感できたことはボクの人生の財産ですから。

長野Uスタジアムや善光寺で思った「行けるときはGO!」それにつきます。

今年のチャンスは残すところあと1回

最後の最後で恐縮ですが、実は今年の信州ダービーはこの試合だけではありません。先日終わった天皇杯の長野県代表決定戦と10月30日に予定されている松本山雅のホームのリーグ公式戦、サンプロアルウィンスタジアムで開催されます。

今日は感染症対策で声を出しての応援が禁止されていましたが、これから一部試合で設定されたエリアでの声援が解禁されるとのことです。
それ以降も世の中の感染状況とスタジアム内の検証を行い、ロードマップに基づいて夏に向けて徐々に緩和されて行きます。

10月の松本のアルウィンではスタジアムを埋め尽くす大観衆から、歓声やチャント、さらには長野県民なら誰でも歌える県歌「信濃の国」の大合唱で信州ダービーの熱気をさらに感じることが、もしかしたらできるはず。

松本にも行きたいなー。

Jリーグに舞台を移して行われた信州ダービー。
殺伐どころか感動的ですらあった両クラブの試合は新たな歴史の1ページとなり、長野に本格的なサッカーの種を植え付けたのではないでしょうか?

なにより長野パルセイロと松本山雅がある長野県民の皆さんは、もっともっとクラブやサッカーに対して誇りを持っていいと思います。

なぜならここまで人々を熱狂させる信州ダービーは日本の宝なのですから。


最後までお読みいただきありがとうございました。


参考サイト
長野県議会公式サイト
https://www.pref.nagano.lg.jp/gikai/chosa/index.html
長野県公式サイト
https://www.pref.nagano.lg.jp/index.html

南長野運動公園
http://minaminagano.jp/


AC長野パルセイロ公式サイト
https://parceiro.co.jp/

松本山雅FC公式サイト
https://www.yamaga-fc.com/

AC長野パルセイロ
プロフィール
1990年に長野エルザSCとして創設。2007年に現在のチーム名に改称され、2014年にJリーグに入会した。チーム名の「AC」はAthletic Clubの略。パルセイロ(PARCEIRO)はポルトガル語で「パートナー」を意味し、地域社会とクラブが共に手を携えて、強いパートナーシップで共生する「地域密着協働型スポーツクラブ」を目指していることに由来する。エンブレムに描かれる雌ライオンは、前身のチーム名に由来。長野の名産であるリンゴの花と組み合わせて、「パートナー」の意味を表現している。
ホームタウン
長野市、須坂市、中野市、飯山市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、飯鋼町、小川村、栄村、佐久市

Jリーグ加盟年 2014年
クラブの沿革
1990/長野エルザSC設立
1996/北信越リーグ昇格
2000/長野県リーグ降格
2001/北信越リーグ昇格
2007/チーム名をAC長野パルセイロと改称
2010/全国地域リーグ決勝大会準優勝
2011/JFL昇格
2012/Jリーグ準加盟クラブとなる
2013/JFL優勝  
2014/Jリーグ入会。J3リーグ参加
2015ー2022/J3リーグ



引用:Jリーグ公式サイト、AC長野パルセイロ公式サイト


松本山雅FC
プロフィール
長野県選抜の選手を中心に結成された山雅サッカークラブとして、1965年より活動をスタート。2005年にJリーグ入りを目指し、松本山雅フットボールクラブと改称し、2012年にJ2リーグに昇格した。チーム名の「山雅」は、結成された当時の選手たちが通っていた松本駅前にある喫茶店「山雅」に由来する。エンブレムの上の3つ角は、常念岳を中心とした北アルプス、その部分を含めた上部は松本城を図式化したもの。この2つのモチーフで、ホームタウン松本のアイデンティティを表現。また、両脇にはクラブの愛称「ターミガンズ」でもある雷鳥(県鳥)が配置されている。

ホームタウン
松本市、塩尻市、山形村、安曇野市、大町市、池田町、生坂村、箕輪町、朝日村

Jリーグ加盟年  2012年
クラブの沿革
1965/長野県選抜の選手を中心に結成
1975/北信越フットボールリーグ発足に伴いリーグ加入
2004/NPO法人アルウィンスポーツプロジェクトを運営母体として活動
2005/北信越2部リーグ優勝、チーム名を山雅サッカークラブから松本山雅フットボールクラブ(松本山雅FC)と改称
2006/北信越1部昇格
2009/第33回全国地域サッカーリーグ決勝大会優勝
2010/JFL昇格、Jリーグ準加盟となる。運営会社となる株式会社松本山雅を設立
2011/運営母体を株式会社松本山雅に移行
2012/Jリーグ入会、Jリーグディビジョン2参加
2015/J1リーグ昇格
2016/J2リーグ
2018/J2リーグ初優勝
2019/J1リーグ昇格
2020/ J2リーグ 
2020/ J2リーグ
2022/J3リーグ





引用:Jリーグ公式サイト、松本山雅FC公式サイト

つたない文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。 もっと上手に書けるよう精進します。