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良いフィードバックは「意図の確認」から~手のひら落書き事件より~

二女が小学校に入ったばかりの頃。
「手のひらに落書きをした」ということで、先生に怒られたと、シュンとして帰ってきたことがありました。

モンテッソーリ教育を大事にする保育園で育ったこと、それから何より彼女自身が持つ個性が、公教育としての小学校(地元の普通の小学校)があまりフィットせず苦労した数年間。その最初の1年は色々と大変なことも多かった。

・消しゴムの色は白&ガラなし(理由不明)
・フード付きの上着(例:パーカー)はダメ(引っかかると危ないらしい)
・髪の毛長くて結ぶのはダメ(ぶつかると痛いらしい)
・自由時間は本を読んではダメ(外で遊ぶべし)。
など、理由を聞いても私にも理解できない「ダメ」「べき」が実に多かった。もちろん感謝したい素晴らしいことも同じくらいありますが、ここでは割愛します。

冒頭の「手のひら落書き事件」はその中の一コマでした。

シュンとして帰ってきた次女に、どんな落書きだったの?と聞いてみました。それは「To Do」のメモでした。小学校に入り、忘れ物をすることが度々あった彼女。宿題や持ち物を手のひらに書いていました。もちろんもっと良い方法はあったかもしれませんが、私としては「とても良いなあ」と思いました。

そこで、先生にはそれを伝えたの?と聞きましたが、怒られただけで伝えられなかったとのこと。

どうやったら忘れ物を防げるか彼女なりに考えて採った行動が、手に「To Do」をメモする事だったのです。単なる「落書き」ではなかったのですが、目的を確認してもらえず行為だけで叱られてしまった。

親として「うーん」と不憫に思い、何かの面談の機会に先生に相談したことを覚えています(モンペ!?)

当時、(なぜか)「先生の言うことは絶対」と過剰に思い込んでいた次女にとって、彼女なりに考えた「今をもう少し良くするための方法」について、その意図の確認なく否定されることは、残念(今後への負の影響が大きい)に思いました。

伝えられない彼女にも問題はあるかもしれません(し、食い下がれるように強くなれ、というのはあるのは分かります)が、「何を書いたの?」って聞いて欲しかった、というのが親の願いでした。

上記の話は、もう5年も前の話ですが、最近仕事で「フィードバック」について考えていた時にこのエピソードを思い出しました。

良いフィードバックをするにはいくつか原則があると言われていますが、とても大事なことの一つに、この「本人に、なぜそうしたのか、狙い(意図・思い)を聞く」というのがあると思います。

それによって、フィードバックの方向性を(再)確認する。場合によってはフィードバックの内容が変わる。これはポジティブフィードバックも、ネガティブ(ギャップ/改善)フィードバックでも然りだと思います。

自分が相手にフィードバックをして「やってしまった」と思った時。あるいは、誰かからフィードバックをもらって「ちょっと待ってよ」とモチベーションが落ちてしまった時、多くの場合はこの「意図の確認」が漏れているケースが多いように思います。仕事、プライベート問わず。

友人にも、仕事仲間にも、家族にも、悪気があってやることってまあそんなにない。みな、それなりに良い方向を目指して動いている。それを認めてもらえないと、フラストして別の方向に走ったり、悪気を持つ。

「まずは意図の確認」

自戒を込めて。

なお、その後6年生になった今はだいぶ改善しましたが、それまでしばらく彼女は忘れ物女王に君臨していました。そして今も彼女は手にTo Doをメモしています笑。

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