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中3の娘が初めて「コロナが憎い」と言った話

私には3人の娘がいます。長女は中学3年生で、私立の中学校(共学)に通っています。

2020年が中学校に入学した年。ちょうどコロナの蔓延と共に中学校生活がスタートした世代となりました。小学校の卒業式や中学校の入学式をやるのかどうか、授業はどうするか、など、あとどれくらい続くか分からないこの流行り病に対して、最も世間が騒いでいたタイミングだったと思います。

そんな彼女も親の不安をよそに中学校生活になじみ、これまでの2年半、元気に過ごし、成長してくれました。

一方で「マスクがデフォルト」であるという点だけは気になりました。マスクを外しても良い、という状況でも外したがりません。そういう子が多いとのこと。それはそうですよね。中学校入学のスタートからずっとマスク生活なんですもん。

私自身も最近良く思いますが、人間、見えないことは美化したりするんだなと。これ、スキー場や、クラブで出会った相手を「割増」で見てしまうというあれと一緒だと思います。

ということで、マスクつけている方が色々と良いこともあるみたいです。

と、話が脇道に逸れました。本題に入ります。

先週から週末にかけて、長女の中学校で学園祭がありました。
2年前はバーチャル。1年前は色々制限ある中で、超縮小版。そして、今年は初めてほぼフルスペックでやったみたいです。私の妻も、私も参加しました。私が行った時には既に片付けしていましたが笑。

で、後夜祭とその後のサイゼリヤでの打ち上げ(先生に内緒で隣の駅までわざわざ行って)を終えて帰ってきた長女が言ったこと、それが

「こんなに楽しいイベントを奪われてたなんて、初めてコロナが憎いと思った」

です。

なるほど、と思いました。
まず思ったのは「これまで(コロナを)憎いと思わなかったんだ」ということ。
そして「人は体験して初めて、その価値を理解するんだな」ということ。
逆に「知らないと知らないで済むこともあるんだな」ということ。

とてもシンプルで当たり前のことだとは理解していますが、これは良い気づきかもと思いました。

人の一生は、多くのことは「認知」「体験」を基に組み立てられていると思います。学校も社会生活もなんでも。とすると、ある程度はその機会をデザインしてあげることで、少しでも「良い」が増える方向に、少しでも「悪い」が減るように、組織を作っていくことはできるんだろう、と思いました(「良い」「悪い」はその組織や時々によって変わるものでありここでは定義はしません)。

彼女の残りの中学校生活や高校生活で、もっともっと「コロナが憎い」と思える体験に出会えますように。


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