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YONAGI代表取締役 池原修一 プロフィール

プロフィール

池原修一

1997年東京都生まれ。
慶應義塾大学卒業後、株式会社LIFULLに入社。
2024年1月株式会社YONAGI設立。

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ストーリー

私は1997年、東京都中野区に生まれました。家庭は、電機メーカーに勤める父親と、専業主婦の母親、3歳違いの弟の4人家族です。

小さな頃は日本史にハマり、夏休みの自由研究では「日本史の教科書に出てくる偉人は、全て家系図上でつながるのではないか」という仮説のもと壁一面の家系図を書く、という奇行(笑)をしたりしていました。
今振り返ると、「誰も見たことのないアイデアを形にする」ことへのワクワク感が当時から原動力の一つだったのだと思います。

中学高校は成城学園に通い、中学では野球部、高校では全国的にも珍しいライフセービング部に入部します。
高校でライフセービング部を選択したのは、恩師の「ライフセーバーは他の競技と異なり、大切な人の命を守るために自らを鍛える」という言葉に胸を打たれたからでした。
パトロール活動や教育活動、ビーチフラッグスなどの競技に没頭し、主将も務めました。


高校卒業後は、慶應義塾大学商学部に入学。
それまで部活動や受験に向けていたエネルギーの行き先を失い悶々とする中、知ったのはイーロン・マスクを始めとする起業家の存在でした。
「人類が直面する課題を解決する」という視座の高さ、壮大なビジョンを形にしてしまう実行力。
「自分も彼らのように事業を創りたい」と考えるようになりました。

とは言え何をしたら良いか分からない中で、大学時代は興味を持ったことに飛び込み、色々な経験をしました。
まずはビジネスを学ぼうと起業家スクールに通ったり、大学生向けのイベント事業を立ち上げたり、ベトナムで新商品開発をするインターンに参加したり、シアトルのワシントン大学に留学し、現地でベーシックインカムを実現するためのアプリ開発を行ったり、Gaiaxという会社でインターンをしたり。
旅行も沢山し、インドに行ったり、キリマンジャロに登頂したり、エジプト0円一人旅をしたり、東京から広島までヒッチハイク旅をしたり、多種多様な経験を積みました。

@キリマンジャロ


大学卒業後は、株式会社LIFULLに入社。
「利他主義」を掲げ、社会課題解決のために新たな事業に積極的に挑戦する社風は、私自身の価値観とも非常にマッチしていました。
LIFULLではサービス企画職として、不動産ポータルサイトHOME’SのCRM施策の立案・実行に取り組みました。

独立へ

そんな中転機が訪れたのは、社会人2年目も終わりかけの今年2月。
肺気胸(肺に穴があく病気)を発症し、10日ほどの入院を余儀なくされました。
入棟し、滞在した4人部屋で目にしたのは、まさに命の瀬戸際にいる人たち。
難病と診断され5年以内生存率の話をしている人や、深夜に突如容態が急変し救急搬送されていく人。。
そのような人たちと空間を共にし、自分自身も身体中管だらけになって過ごす中で、人生の有限さを身をもって強烈に感じました。

「死ぬ間際に人生を振り返った時、後悔しない人生を生きたい。」

そんな問いとベッド上で真剣に向き合った末、退院と同時に、独立の意向を当時の上司の方に伝えさせていただきました。
温かく送り出していただいたチームの皆さんに、本当に感謝しております。

Apolon

私は10代の頃から身の回りの方と接する中で、「お金を稼ぐために、そこまでしたくない活動に人生の大半を費やしてしまう人が多いのではないか」という違和感を感じてきました。
学生時代、社会人の方にキャリア相談をした時、「したいことをしている大人なんてほぼいないよ」と諦めがちにぽろっと言われたことは、今でも胸に残っています。
当時からあったこの違和感は様々な統計調査でも立証されており、例えば『ブルシット・ジョブ』という本では「社会の半分位の人は、自分の仕事を”ブルシット=クソどうでもいい”と思っている」という衝撃的なことが述べられています。

一度しかない人生、一人一人が内に秘める好奇心や情熱を純粋に追求し、才能を発揮して輝ける社会を創りたい。
そんな想いで現在、web3領域で事業を開発中です(領域変わりました)

目標は、事業を通じて2035年までに世界10億人に価値提供すること。
まだスタート地点に立ったばかりですが、全力で精進してまいりますので、ご支援のほどよろしくお願いいたします。

※2024年5月16日 追記
上記は2023年7月時点の文章です。
その後、事業領域変わりました!↓


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